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 ガンバ大阪(GAMBA OSAKA)とは、大阪府吹田市茨木市高槻市豊中市摂津市池田市箕面市を本拠地とするプロサッカークラブである。

概要

前身は松下電器産業(現:パナソニックサッカー部で、1991年10月1日運営会社を独立させJリーグに加盟。Jリーグ発足時より参加しているオリジナル10の一つである。

チーム名の「ガンバ」はイタリア語で「脚」という意味で、日本語の「頑る」にも通じる名前として採用された。マスコット松下進デザインの「ガンバボーイ」で、ゼウスの生まれ変わりという設定である。ガンバって勝利を勝ち取る元気サッカーボーイであり、の形の闘志あふれるエネルギーをその手につかんでいる。

以前はホームスタジアムとして万博記念競技場を使用していたが、FIFAが定める際規格を満たしておらず老朽化も進んでいたことで、2016年より新スタジアムである「パナソニックスタジアム吹田」を使用するようになった。

Jリーグ開幕当初は下位に低迷し、名古屋グランパス浦和レッズとともにお荷物クラブと揶揄されていたが、2000年あたりから、ユース上がりの選手達の活躍もあり徐々に順位をあげてくる。そしてついに、2005年リーグ戦を制覇し悲願の初タイトルチームにもたらした。

その後、2007年ナビスコカップ優勝2008年には天皇杯優勝AFCチャンピオンズリーグ優勝の二冠を達成、2014年にはタイトル三冠リーグ戦、ナビスコ杯、天皇杯全てを優勝)を達成し、2015年には天皇杯連覇を達成。今ではJリーグの攻撃を誇るチームとなっており、西日本ではもっとも多くのタイトルを獲得したチームである。

また、初代ユー監督であり、2008年まで育成・普及部長を務めた上野山信行の導のもとクラブアカデミーユースの大会で多くのタイトルを獲得しており、これまで宮本恒靖稲本潤一、大将志橋本英郎、二川孝広家長昭博宇佐美貴史堂安律といった日本を代表する選手を輩出している。ちなみにユースには上がれなかったものの本田圭佑もガンバ大阪のジュニアユースの出身である。

2012年吹田市に加え、茨木市高槻市豊中市を、2015年には池田市摂津市箕面市ホームタウンに加えることがそれぞれJリーグ理事会で承認された。同じ大阪府チームであるセレッソ大阪大阪市ホームタウンとしているのに対し、ガンバ大阪は北摂・北河内地域の143町を重点地域にしている。

歴史

近畿地方チーム一のJリーグクラブとなることが内定し、1992年に前身である松下電器サッカー部を体に「パナソニックガンバ大阪」と命名。


Jリーグ開幕となった1993年だったが、記念すべき最初の試合こそ勝利したものの、チームの成績は振るわず、年間成績7位で終える。高卒ルーキー波正信がハットトリックを決めるなど明るい話題もあったが、古参選手と釜本邦茂監督の確執が生じるなど問題を抱え、シーズンオフには大量の選手が解雇されることとなった。

1994年エースでありチームの顔だった永島昭浩が釜本監督との対立によって移籍。磯波、山口ら若手と旧ソ連代表トリオを中心としたが、前時代的ともいえる釜本の采配もあって潜在は高いはずのチームを出し切れず、7連敗を喫するなど最下位争いの常連に定着してしまい低迷。浦和レッズ名古屋グランパスエイトと並んで「Jリーグのお荷物」と揶揄されるようになっていた。成績不振の席にを取る形でシーズン終了後、釜本は退任となる。

1995年にはジークフリートヘルト、1996年にはヨジップ・クゼといずれも欧州監督を招聘するも、チームの成績が大きく変わることはなく、浦和名古屋チームの強化に成功したのをに4年連続でのシーズン負け越しとなる。磯波も期待したほどは伸びず、袋小路に迷い込んでいた。


停滞したチームの流れを変える一人の男が1997年にやってくる。パリ・サンジェルマンの下部組織出身であるカメルーン代表のパトリック・エムボマは規格外の身体ゴールを量産し、Jリーグを掻き回す存在となる。また、ユース出身でくから逸材と称されていた宮本恒靖稲本潤一も台頭。当時17歳だった稲本はJリーグの最年少試合記録更新している。「浪速の」というあだ名が定着するほど人気選手となったエムボマはこの年28試合25得点の活躍で得点王を獲得。チーム2ndステージ2位に入り、年間順位も4位と過去最高の成績を残した。

1998年は退任したクゼの後任にフレデリックアントネッティが就任することとなったが、欧州シーズン終了後の来日という契約になり、フリードリッヒ・コンシリアコーチ揮を執ることに。こうした揮系統がしたのかチームは再び低迷。頼みのエムボマは7月セリエAへ移籍。アントネッティ就任後も流れは変わらず、年間15位と低迷する。


1999年も成績は振るわず、1stステージ終了後にアントネッティは退任。2ndステージから早野宏史監督に就任する。若い選手の多いこの頃のチームはなかなか安定した戦いをできずにいたが、2000年2ndステージになると稲本を中心に若い選手たちが躍動。開幕から5連勝を飾り、鹿島アントラーズとの優勝争いを繰り広げる。しかし、当時黄金時代にあった鹿島、磐田との直接対決に敗れ、4位に留まる。

2001年遠藤保仁山口智が加入。ニーノ・ブーレの活躍もあって1stステージは5位に入る。しかし、2ndステージではアーセナルFCへ移籍した稲本のを埋めることができず、チームは低迷。第8節でC大阪との大阪ダービーに敗れると、早野は辞任。コーチから昇格した竹本が後任となるが、チームは浮上することなく11位で終了。年間順位は7位。


2002年西野朗監督に就任。外国人の獲得をこれまでの欧州心かブラジル中心へと方針を変え、ゲームメーカー遠藤保仁を中心とした攻撃チームを作ろうとする。1stステージでは4位、2ndステージではジュビロ磐田優勝を争い、2位という好成績を残す。年間順位も3位と過去最高の成績を残し、後に訪れる黄金期の到来を予感させるシーズンとなった。

2003年は躍進を遂げた前年とは打って変わって不振に陥ってしまう。年間で7度アディショナルタイムで失点を喫するなど勝負弱さが立ち、失った勝点が積み重なった結果、一時は残留争いに加わるほどだった。結局この年は4年ぶりに負け越しとなった。
この年、クラブのOBであり1996年の試合中の事故から脳腫瘍患し治療を続けていた今幸治が4月17日に死去する。

2004年フェルナンジーニョとシジクレイというJリーグでも実績のある外国人を獲得し、戦を大幅にアップさせる。この年、ユース出身の大将志日本人最多となる20得点を挙げ、2種登録選手の家長昭博デビューゴールを決めるなど、戦の底上げがなされる。成績面でも1stステージ2ndステージ共に優勝争いに加わり、年間3位という好成績を残す。


そして、西野体制4年となる2005年陽介とアラウージョを獲得。序盤戦は開幕6試合でわずか1勝と苦戦するが、当初は連携面で苦労していたアラウージョがフィットするようになるとチームは上昇気流に乗るようになる。

シーズン中盤戦からアラウージョ、大将志フェルナンジーニョが絶妙なコンビネーションを披露するようになり、J1の攻撃を発揮するようになる。第22節でついに首位に立ち、ナビスコカップでは初の決勝進出を果たすが、PK戦ジェフユナイテッド千葉PK戦で敗れ、初タイトルを逃す。

リーグ戦では優勝争いが佳に入ったシーズン終盤戦になって失速。第33節終了時点でC大阪に抜かれ、2位に後退する。それでも、最終節で川崎勝利し、勝点1差の首位だったC大阪FC東京引き分けたため、クラブ創設以来初タイトルであり、また関西チームとして初となるJ1リーグ優勝を果たす

この年、33得点ゴールを量産したアラウージョは得点王とリーグMVPダブル受賞を果たし、アラウージョ、大遠藤の3人が二桁得点記録した攻撃は驚異の破壊を見せつけた。そして、1993年Jリーグ開幕からずっと在籍していた「ミスターガンバ波正信が優勝を見届けて現役を引退する。


2006年優勝の原動となったアラウージョと大の2トップって退団するが、埋めとしてマグノ・アウベスと播戸二を補強。さらに明神智和、加地という代表クラスの選手も獲得する大補強をおこなう。

遠藤保仁二川孝広橋本英郎、明神智和で構成された中盤は抜群のパスワークで相手を圧倒し続け、「黄金の中盤」と称され、G大阪=パスサッカーイメージを定着させることになる。

リーグ戦は最終節前で浦和に勝点3差の2位であったが、最終節の浦和との直接対決に2-3で敗れ、リーグ連覇はならなかった。天皇杯でも初の決勝進出を果たしたが、またも浦和に敗れ準優勝と魅的なサッカーを披露しながらあと一歩で冠に終わる。


2007年は開幕前のゼロックススーパーカップ三度浦和タイトルを賭けて戦い、今度は4-0で勝利タイトルを手にする。リーグ戦では2年連続で3位に終わったものの、ナビスコカップでは二度の決勝進出を果たすと、川崎フロンターレをくだして優勝を遂げる


2008年は二度の出場となったACLで勝ち上がり、準決勝では浦和との初のJリーグ勢同士の対決を制し、ファイナルへと進出。11月12日のアデレード・ユナテッドとの決勝では、2試合トータルで5-0と圧勝し、クラブ史上初となるアジア王者の座に就くACL史上3クラブ敗での優勝、そして、史上初のアウェー全勝での優勝であった。遠藤保仁が大会MVPを受賞。また、AFCよりアジア年間最優秀クラブ賞を受賞し、西野朗アジア年間最優秀監督賞を受賞した。

一方、ACLとの兼ね合いもあって公式戦を過去最多の61試合をこなす過密日程となってしまい、シーズン中盤に播戸、遠藤が相次いで体調を崩して離脱したことも重なり、リーグ戦では優勝争いから々と脱落し8位に終わる。

12月にはFIFAクラブワールドカップ2008に出場。準々決勝で再びアデレード・ユナテッドと戦い勝利すると、準決勝でイングランドの名門マンチェスター・ユナイテッドと対戦。世界の強相手にも持ち前の攻撃的なサッカーで立ち向かい、壮絶な打ち合いの末に3-5で敗れる。この試合で遠藤保仁世界的名GKエドウィンファン・デルサールを相手に得意のコロコロPKを決めたシーンとなっている。3位決定戦ではパチューカ相手に勝利し、世界3位となった。

さらにこの年の天皇杯でも選手たちは疲労困憊の中で決勝まで勝ち進む。決勝ではを相手に延長戦の末に1-0で勝利し、G大阪として初優勝、前身の松下電器時代の1990年度大会以来18年ぶり2度優勝を果たす。これにより、内3大タイトルを全て獲得した5つクラブとなった。


2009年は新戦が期待を裏切り、レアンドロが7月カタールへ移籍してしまったこともあって低迷。一時は首位と勝ち点差19が離れ、優勝絶望的と思われた。しかし、後半戦はACLで敗退したことによって日程面が緩和されたこともあり復調。最終的には優勝争いに顔を出し3位でシーズンを終える。一方、天皇杯では2年連続で決勝まで駒を進めると、決勝の名古屋グランパス戦では遠藤の2ゴール1アシストの活躍もあって4-1と快勝し、歴代7チームとなる天皇杯連覇を達成

2010年は大きな補強をおこなわなかったことが裏に出てしまい、シーズン開幕から公式戦6試合未勝利と不調に陥る。しかし、後半戦に入ると新戦のイ・グノの活躍、平井将生の覚醒、まだ高校生だった天才宇佐美貴史の台頭によって巻き返しに成功し、2位に入る。

2011年は開幕から得点として活躍していたアドリアーノがカタールへ移籍、宇佐美バイエルン・ミュンヘンに移籍する危機を迎える。しかし、後半戦に入ると新戦ラフィーニャがを埋める活躍を見せたことで戦低下のを薄め、守備の不安定さがに付いたが、を切らせてを立つ戦いぶりで優勝争いを演じる。だが、第29節で名古屋に大敗し、最終節まで可性を残しながらも3位に終わり、2年連続での冠となる。
シーズン終了後、2002年から10年もの間、監督を務めてきた西野朗が退任。クラブ側がマンネリ化し始めていた西野体制に見切りを付ける格好となった。


2012年、新監督にはジョゼカルロス・セホーンが就任した(実質的にはヘッドコーチの呂ワグナーとの二頭体制)。しかし2012年シーズンは序盤から低迷し、リーグ戦ではクラブ史上初となる開幕3連敗、公式戦5連敗を喫する最悪のスタートとなってしまう。結局、リーグ戦第3節終了後の3月26日にセホーン監督及び呂コーチは解任され、コーチ波正信が監督に就任した。

第6節の川崎F戦で今季初勝利を挙げたものの、5月7月の11試合で最下位の札幌から奪った1勝にとどまるなど、結果を出すことができなかった。ACLグループリーグで敗退し、終盤は降格争いに巻き込まれる事となった。降格圏の16位で迎えた最終節で磐田に敗れ、クラブ史上初のJ2降格が決まった。

シーズン得点リーグ1位の67ながら、リーグワースト2位の65失点が大きくく形となった。なお、オリジナル10J2降格は5クラブJ1リーグ制覇後の降格は東京V(2005)に続き2クラブ)。


初めてのJ22013年シーズン監督長谷川健太を迎え、ヴィッセル神戸しい首位争いを重ね、残り3試合を残してJ1への自動昇格条件である2位以内を確定させ、2014年シーズンは再びJ1に戻る事になった。最終的には2試合を残してJ2優勝も決めた。

得点99点は2位ヴィッセル神戸(78得点)を大きく上回るJ2トップ数字。なお、J1優勝J2優勝の両方を達成したのは史上3クラブだが、先にJ1優勝を達成してからJ2優勝を達成したのはガンバが史上初であった。


J1復帰直後となる2014年シーズンエース宇佐美貴史をケガで欠いてのスタートとなり、攻撃不足からシーズン開幕から降格圏に低迷。ブラジルW杯中断前には16位、首位浦和とは勝ち点で14もの差が開いていた。

しかし、リーグ再開後は宇佐美の復帰、パトリックの加入により攻撃に厚みが増したこともあり、5連勝・7連勝で一気に優勝戦線に参戦。第32節の首位浦和との天王山を後半終了間際の2得点で勝ちきると、翌33節には得失点差で遂に首位に立つこととなった。最終34節は守りを固められた最下位徳島相手にスコアレスドローとなるものの、優勝の可性があった浦和鹿島が共に敗れたため、2005年以来9年ぶり2回リーグ制覇を達成した遠藤保仁Jリーグ年間最優秀選手賞を受賞。

リーグ戦と並行して行われたナビスコカップも2点差からの逆転でサンフレッチェ広島を下し、2007年以来7年ぶり2回優勝リーグ優勝翌週に行われた天皇杯決勝も、J1昇格で勢いに乗るモンテディオ山形を下し、2009年以来の優勝2000年鹿島アントラーズ以来となるタイトル三冠を達成した。


2015年は開幕前のゼロックススーパーカップを制覇したものの、ACLとの過密日程の兼ね合いから選手はコンディションの維持に苦しみ、1stステージは4位に終わる。ナビスコカップでは2年連続で決勝に進出するが、やはり過密日程のからパフォーマンスが落ち、鹿島敗して連覇を逃す。

ACLでは開幕2連敗という苦しいスタートとなったが、そこから巻き返しに成功しグループステージを首位で突破。準決勝まで進出するが、準決勝で広州恒大に敗れる。

2ndステージ優勝争いからは脱落するが、最終節で年間3位に滑り込み、この年のチャンピオンシップに出場。準決勝では年間2位浦和を相手に下上に成功するが、決勝では年間1位広島に敗れてしまう。

天皇杯では、準決勝でJ1王者広島を相手にリベンジに成功し決勝進出。決勝では浦和を相手にパトリックの2ゴール勝利し、2008年2009年大会以来となる天皇杯連覇を飾った


2016年よりホームスタジアムとしてパナソニックスタジアム吹田を使用。ACLではグループステージ勝利のまま敗退となり、3年連続で決勝まで進んだルヴァンカップでも決勝でPK戦の末に浦和に敗れ準優勝に終わる。結局この年は冠に終わった。

2017年ACLでは2年連続グループステージ最下位で敗退。9月7日長谷川健太監督の退任が発表されると、その後はクラブワースト記録となる13試合未勝利のままシーズンを終え、リーグ戦10位という不本意な成績に終わる。


2018年ライバルチームC大阪監督を歴任したレヴィー・クルピを監督に招聘。しかし、リーグ戦では開幕3連敗を皮切りに一時は最下位にまで転落するほど低迷。その後も降格の危機に直面するほど低迷したことから7月にクルピ監督を解任し、U-23監督であり、クラブレジェンド宮本恒靖監督に就任する。9月以降チーム状態は上向き、クラブタイ記録の9連勝を記録。最終的に9位でJ1残留を果たす。

2019年も序盤で大きく躓き、一時はJ2自動降格圏まで順位を下げる。しかし、宮本監督クラブアイコンである遠藤をスタメンから外すことを決断し、若手を積極的に起用。さらに宇佐美貴史パトリックチームに復帰したことも追いになり、前年同様に後半戦の巻き返しに成功。最終的に7位でシーズンを終える。

2020年リーグ戦では好調なスタートを切り、堅守からパトリックの高さを生かしたシンプルサッカーで手堅く勝ち点を稼いでいく。この年の7月、20年間チームに在籍し、多くのタイトルをもたらした遠藤保仁ジュビロ磐田へ移籍。チームは一時失速したものの、終盤に入ると12試合負けなしと盛り返し、最終的には川崎の独走を許したものの、久々の上位進出となる2位シーズンを終える。また、変則開催となった天皇杯では、決勝に進出するが川崎に敗れ、冠となる。

2021年開幕戦消化後、新型コロナウィルスの感染がチーム関係者複数に発生し3月9日から3月23日にかけてトップチーム活動の休止を余儀なくされたことで低迷。リーグ戦10試合消化時点で1勝4分5敗の暫定18位、得点数も3という深刻な状況だったことから宮本監督を解任し、波正信が後任となる。しかし、3年ぶりに出場したACLではグループリーグ敗退となり、シーズンを通して2度の4連敗を喫するなど低迷。それでも、最終的には13位に入り、J2降格という最悪の結果だけは免れる。


2022年大分革新的なサッカーを見せていた片野坂知監督に就任。リーグ戦前半こそ勝ち点を稼いでいたが、エース宇佐美が大怪を負って長期離脱したことでチームは低迷。負けを重ねたことで監督が本来していたサッカーも見えなくなり、またも残留争いに巻き込まれることに。9月に入り降格圏に沈んだことで、片野坂監督を解任し、松田浩が監督に就任。監督交代後は何とかが先行し、最終節で辛くもJ1残留を決める。降格圏の清水との勝ち点差はわずか3だった。


2023年徳島監督だったスペイン人のダニエル・ポヤトスが監督に就任。開幕から6試合未勝利と苦しいスタートとなり、第10節から第14節まで5連敗を喫し一時は最下位にまで転落。第15節の新潟戦ではサポーターが一部サポーター応援拒否する異常な事態になる。この出来事の後、チームは8勝1分1敗と急速に盛り返し、一時は残留争いを抜け出したことでポヤトス監督の続投も発表される。しかし、シーズン終盤に入って再び攻守にちぐはぐなサッカーを見せるようになり、7連敗のままシーズンを終えてしまう。最終順位は通常の年ならばJ2に降格していた16位、失点数はリーグワーストタイ記録している。


おもなタイトル

国内タイトル

国際タイトル

個人タイトル

2023年の所属選手

背番号 Pos. 選手名 生年 加入年 前所属 備考
- 監督 ダニエル・ポヤトス 1972.1.10 2023 徳島ヴォルティス 監督
1 GK 東口順昭 1986.5.12 2014 アルビレックス新潟 【H】
2 DF 福岡将太 1995.10.24 2022 徳島ヴォルティス
3 DF 半田 2002.1.1 2023 モンテディオ山形
4 DF 黒川 1997.4.13 2019 関西大学
5 DF 三浦弦太 1995.3.1 2017 清水エスパルス
6 MF ネタラヴィ 1996.8.25 2023 マッカビハイファFC
7 FW 宇佐美貴史(C) 1992.5.6 2019 フォルトゥナ・デュッセルドルフ 【H】
8 FW 食野亮太 1998.6.18 2022 GDエストリル・プライア 【H】
9 MF 山田康太 1999.7.10 2024 柏レイソル
10 MF 倉田 1988.11.26 2007 セレッソ大阪 【H】
11 FW イッサム・ジェバリ 1991.12.25 2023 オーデンセBK
13 FW 坂本 2003.8.26 2022 ファジアーノ岡山 【復】【H】
14 MF 福田湧矢 1999.4.4 2018 東福岡高校 【H】
15 MF 岸本武流 1997.7.16 2024 清水エスパルス
16 MF 鈴木 1997.3.12 2024 セレッソ大阪
17 FW 山下諒也 1997.10.19 2024 横浜FC
19 DF 今野息吹 2001.5.10 2022 法政大学 【卒】
20 DF 中谷進之介 1996.3.24 2024 名古屋グランパス
22 GK 1991.7.2 2020 横浜F・マリノス 【復】
23 MF ワン 1996.6.23 2023 ジュベントゥージ
24 MF 江川湧清 2000.10.24 2023 V・ファーレン長崎
25 GK 石川 1992.9.30 2020 サガン鳥栖
27 MF 2002.2.12 2023 関西学院大学 【卒】
28 DF 1995.5.7 2024 大分トリニータ
31 GK 2005.4.25 2023 ガンバ大阪ユー 【昇】【H】
33 DF 中野伸哉 2003.8.17 2023 サガン鳥栖
40 FW 唐山 2002.9.21 2019 水戸ホーリーホック 【H】
41 MF 中村仁郎 2003.8.23 2022 ガンバ大阪ユー 【H】
46 DF 松田陸 1991.7.24 2024 ヴァンフォーレ甲府
47 MF ファンアラー 1996.9.2 2022 鹿島アントラーズ
48 MF 石毛秀樹 1994.9.21 2022 清水エスパルス
97 FW ウェルトン・フェリ 1997.8.6 2024 PFCレフスキ・ソフィア
- GK 荒木 2007.10.4 2023 ガンバ大阪ジュニアユー 【2】【H】
- GK ステイマンJ太郎 2007.3.2 2023 長崎ドリームFCジュニアユー 【2】【H】

※備考欄は【】=全移籍での加入、【レ】=レンタル移籍での加入、【復】=レンタル先からの復帰、【新】=新任の監督、【昇】=トップチーム昇格、【卒】=新卒での加入、【特】=特別定選手、【2】=2種登録、【H】=ホームグロウン選手

過去に所属したおもな選手

歴代監督

監督 在任期間 備考
釜本邦茂 1992年1994年 松下電器時代の1991年から在任
ジークフリートヘル 1995年1995年12月
ヨジップ・クゼ 1995年12月1997年12月
レドリック・コンシリア 1997年12月1998年
フレデリックアントネッティ 1998年5月1999年6月
早野宏史 1999年6月2001年10月
竹本 2001年10月12月
西野朗 2002年2011年 J1リーグ優勝(2005年)
ナビスコカップ優勝(2007年)
AFCチャンピオンズリーグ優勝(2008年)
天皇杯優勝(2008年2009年)
ホーン 2012年2012年3月
波正信 2012年3月2012年12月 J2降格(2012年)
長谷川健太 2013年2017年 J2優勝J1昇格(2013年)
ナビスコカップ優勝(2014年)
J1リーグ優勝(2014年)
天皇杯優勝(2014年2015年)
レヴィー・クルピ 2018年2018年7月
宮本恒靖 2018年7月2021年5月
波正信 2021年5月2021年12月
片野坂知 2022年2022年8月
松田 2022年8月2022年12月
ダニエル・ポヤトス 2023年

サポーター問題

同じ府にあるセレッソ大阪とは、かなり仲が悪い(サポーター)。2011年シーズン大阪ダービーの際、一部のガンバ大阪サポーターセレッソに対し侮辱行為をしていたりしている。(関連動画にて)

他にも2012年シーズンの最終節、残留をかけてジュビロ磐田と対戦したが、2-1で敗退、降格が決定した。その際、ジュビロ磐田ホームであるヤマハスタジアムで座り込みを決行。退散するジュビロサポーター、選手、警備員、あろうことか磐田の吉野博行社長にさえ誹謗中傷の言葉を浴びせたなど、数多くの問題を起こしている。

2023年にはチームが最下位に転落するほど低迷したことに対する抗議5月20日ホーム横浜F・マリノス戦でサポーター連合応援のボイコットを宣言。しかし、あくまでサポーターグループの宣言であるため、試合中一般のサポーターからは連合の意思を無視して援を送っていた。さらに試合後は選手たちとの対話をおこない、将・宇佐美貴史ながらに受け止め、和解するという一幕もあった。こういったサポーター連合の行為に対してはこの試合が吹田市小学生無料招待試合だったこともあって多くの批判が寄せられ、その後サポーター連合は一連のボイコット騒動を謝罪することとなった。

ガンバ大阪U-23

ガンバ大阪U-23とは、2016年から2020年までJ3リーグに参加していたガンバ大阪に所属する23歳以下の選手で構成されたセカンドチームである。

概要

クラブの強化本部は兼ねてよりセカンドチームを持ち、若手選手が試合経験が積める場を提供していきたいという構想を持っていたことから、2016年シーズンよりJ1J2クラブの「U-23チーム」がJ3に参加することが発表された際に参加を表明。同時にこの年に完成した新スタジアムの稼働率を上げたいという思惑もあった。

チーム内の競争を促し、チーム全体のレベルアップ・強化に繋げることを標に掲げ、トップチームU-23チームの編成は合同を基本としつつも、練習の質を下げないためにトップチームトレーニングに参加するU-23メンバーを限定し、そこに出場機会のなかった選手をU-23のメンバーとしてJ3の試合に出場させる方針をとっていた。

ホームスタジアムとしてはパナソニックスタジアム吹田メインとしつつ、2015年までのホームスタジアムであった万博記念競技場も使用していた。

歴史

J3参戦初年度の2016年好礼忠が監督に就任。高校生である2種登録選手も積極的に起用し、順位こそ9位に終わったが、堂安律や初瀬チームの中心として活躍。特に18歳の堂安は10得点記録する活躍を見せた。

2017年からはトップチームと分けられるようになり、クラブレジェンド宮本恒靖監督に、山口智がヘッドコーチに就任。開幕戦では生が16歳3か若さJリーグデビューを果たしたものの、大量失点を喫する試合が立ち、シーズン20敗を喫するなど苦戦。17チーム中16位に終わる。

2018年飛び級プロ契約を交わした中村敬斗などが出場。7月宮本監督トップチーム監督に就任したため、好が1年半ぶりに復帰。この年は初めてを上回り、6位という好成績を残す。

2019年クラブOBの森下仁志監督に就任。食野亮太郎が8試合8ゴール記録、唐山自がJリーグ最年少ハットトリック記録などのハイライトはあったが、この年トップチームが若手を積極的に引き入れたことでメンバー構成に苦慮し低迷。年間17位に終わる。

2020年シーズン序盤は6連敗を喫するなど苦しんでいたが、後半戦にかけて少しずつ持ち直し、最終的に14位でを終える。この年を最後にJ3リーグでの参加を終了することになり、チームは解散となる。

歴代監督

監督 在任期間 備考
好礼忠 2016年 トップチームコーチと兼任
宮本恒靖 2017年2018年7月
好礼忠 2018年7月12月
森下仁志 2019年2020年

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104 ななしのよっしん
2016/01/05(火) 22:57:27 ID: M+lhrX4oW0
天皇杯優勝おめでとう!!
本当にJ2に落っこちたときに残ってくれた遠藤選手には感謝してます
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105 ななしのよっしん
2017/04/20(木) 21:23:19 ID: ASqH9dPP4t
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106 ななしのよっしん
2017/10/14(土) 19:10:39 ID: 38c7s3Di46
最近はサポーターの酷さにチームの負けっぷりが重なって残念な有様だなあ
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107 ななしのよっしん
2018/01/21(日) 16:56:33 ID: YiJ2R+cVZc
あのさぁ……オフの補強ヤバない?
あれだけ層の薄かったFWがそのまんまじゃん。
また長沢、アデミウソン、ファンウィジョの三人で回すつもりなの?おまけにアデミウソン怪してるし
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108 ななしのよっしん
2018/11/15(木) 12:56:05 ID: IKBhhx/PWA
>>107
残留出来たから良かったものの中盤までヤバイどころじゃなかったんだよなあ・・・
本当にツネ様とウィジョには感謝ですわ
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109 ななしのよっしん
2021/10/17(日) 02:12:54 ID: V88+AOJi+J
ガンバはなんか2017年あたり、Jリーグ全体が元気になり始めたころに落ちぶれてしまったな。
5〜6年前は関西サッカーといえばガンバダントツ一番人気だったのに今やヴィッセルのほうが明らか強いし人気あるしセレッソにも強さでは後を拝している気がする。
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110 ななしのよっしん
2023/05/20(土) 20:00:11 ID: DR/LOdN4hW
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111 ななしのよっしん
2023/05/20(土) 23:38:01 ID: DR/LOdN4hW
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112 ななしのよっしん
2023/05/22(月) 11:37:09 ID: 8S5JXwDC/N
んー
応援ボイコットするくらいなら観戦ボイコットしろよって思うんだよね
その方があちらさんにも刺さるでしょうに
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113 ななしのよっしん
2023/06/07(水) 21:54:10 ID: 8S5JXwDC/N
JFLに負けとかなーにしとんねん
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