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キニーネ(Quinine)とは、キナヒから抽出されるマラリア治療薬である。キニンとも。
概要
マラリアは、熱帯・亜熱帯を中心として世界各地で猛威をふるい、歴史を変えたとも言われる感染症である。病原体のマラリア原虫が蚊(ハマダラカ)によって媒介され、ヒトの体内で増殖し、赤血球を破壊する。激しい高熱、頭痛、関節痛、嘔吐、下痢、呼吸器症状などが引き起こされ、死に至ることもある。予防や治療が可能であるものの、2012年時点で約2億人が罹患しており、同年マラリアによって63万人が死亡したと推計されている。
キニーネは、キナヒ(アカキナノキの樹皮)に含まれるアルカロイドで、病原体のマラリア原虫に特異的な毒性を示す。キナヒそのものは伝統的な薬として古くから南米で用いられてきたが、マラリア治療薬としてヨーロッパに伝わったのが17世紀末ごろ、広く用いられるようになったのは18世紀末ごろからである。有効成分の単離は18世紀中ごろから試みられ、1820年にフランスの2人の化学者ペルティエとカヴェントゥによってキナヒからキニーネが単離された。
キニーネの副作用は、頭痛、めまい、吐き気、視神経障害(視力低下など)、血液障害(出血傾向など)、腎不全などがある。重い副作用があらわれるおそれがあるため、キニーネの構造をもとに副作用を低減したマラリア治療薬(クロロキン、メフロキンなど)も開発された。しかし、近年はこれらの薬物に耐性をもったマラリア原虫の感染もみられたことから、キニーネが再評価され、その治療に用いられている。
19世紀や20世紀前半の古い小説や医療記録、薬剤広告などを読むと、明らかにマラリアではないと思われる疾患にも「キニーネ」を使っている/推奨している記述がある。副作用の重い抗マラリア薬としてキニーネが知られている現在では、いささか奇妙に思うかもしれない。これは、当時キニーネには殺原虫作用のみならず解熱鎮痛効果や局所麻酔作用、健胃強壮作用や堕胎作用もあるとされていたためである。キニーネの副作用についても知られていなかったため、それらの多様な薬効を期待して非常に広い範囲の医療に(半ば万能薬的に)使用されていた。現在ではより副作用が軽くて効果も強い薬剤が登場しているため、キニーネがこれらの薬効目的に使用されることはまずない。
ヒト以外にも、例えばイヌのバベシア症や魚類の白点病など、動物が罹患する原虫性疾患に対しても有効である。ただし現在ではヒトのマラリアと同様、これらの疾患にもより副作用が少なく同等に有効な薬剤、あるいはより入手が容易な薬剤が登場している。
食品添加物
清涼飲料水のトニックウォーターはもともと、熱帯にあったイギリス植民地で、マラリアの予防のために飲用されていたもの。また上記のようにキニーネには健胃強壮の薬効があるとされていたため、トニックウォーターはその効果も期待されていた。トニックウォーター(tonic water)のトニック(tonic)とは強壮剤という意味がある。
キニーネには苦みがあり、これが独特の風味としても好まれた。つまり、本来はトニックウォーターの苦味=キニーネの苦味であった。しかし、現在の日本のトニックウォーターにキニーネが入っているとは限らない。
薬物としてのキニーネ(日本薬局方収載のキニーネ塩酸塩水和物、キニーネ硫酸塩水和物、キニーネエチル炭酸エステル)は食品に添加することができない。だが、キニーネを主成分とする「キナ抽出物」は、2016年現在のところ「既存添加物」という枠組みで食品添加物として認可されている[1]。つまり法的には、キニーネを含有する食品の製造・流通は日本では禁止されてはいない。
実際に、成分としてキナ抽出物を含んでいることを明示している外国製トニックウォーターも日本にも輸入・販売されている[2]。だが、この外国製トニックウォーターの宣伝文句によると、日本で流通するトニックウォーターは殆どキナを使用していないという[3]。
この宣伝文句が正しいのか否か、即ち日本製のトニックウォーターで「キナ抽出物」を含有している製品がどれだけあるのかは確認が難しい。この種の食品添加物は製品の原材料表示欄で「苦味料」とのみ一括表記することが許可されており、「キナ抽出物」を含有しているかどうかを明示する必要はないためである。ただ、2005年に食品安全委員会がキニーネの害について検討した際の公的記録によると、「少なくとも2003年の時点では国内では食品製造に使用されていない。輸入品についてはわからない」との要旨である[4]。
アメリカ合衆国やドイツなど、食品に含まれるキニーネの用量や濃度を規制している国もある。だが日本では既存添加物としての「キナ抽出物」には、少なくとも2016年現在では使用量上限などは規定されていない。上記の食品安全委員会の検討の際の議事録によると、「現在日本に流通していない」ために健康影響評価の優先順位が低いと判断されたようである[5]。
関連物質
- キニジン
- キニーネの鏡像異性体(鏡写しの構造をもつ物質)であるキニジンは、キニーネ同様、キナヒに含まれるアルカロイドである。Na+チャネルを抑制することで心筋の電気的な刺激の伝導を遅らせる作用をもち、心臓のリズムを正常にする抗不整脈薬として利用される。ただし、高度伝導障害、心停止、心室細動などの致死性の副作用があるほか、ほかの医薬品との併用でその薬の副作用を強めることがあるため、実際に使用されることは少ない。
- モーブ(モーベイン)
- 世界初の合成染料であるモーブは、キニーネの人工合成の実験中に偶然発見された物質。1856年、イギリスの18歳の化学者パーキンは、アリルトルイジンの酸化によりキニーネを得られないかと考えた(当時はまだ化合物の構造に関して知られていなかった)。アリルトルイジンとまったく構造が異なり複雑なキニーネを得ることはできなかったが、代わりに紫の色素モーブを発見した。彼は特許を取得し、モーブの生産工場を設立して一財産築いた。
- ストリキニーネ(ストリキニン)
- ストリキニーネは、マチン(ホミカ)の種子に含まれるアルカロイドである。シナプス後抑制を遮断することにより、脊髄を興奮させ痙攣を引き起こす作用をもつ。中毒症状として、筋硬直、反弓緊張(弓状に反る)、呼吸停止がある。非常に毒性が強く古典ミステリ作品にもしばしば登場した。日本薬局方には、ホミカ、ホミカエキスなどが「劇薬」「指定医薬品」として収載されている。キニーネと名称が似ているがまったく別の薬物である。
関連動画
関連項目
- 有機化学
- 医学 / 薬学
- 医薬品
- 食品添加物
- 蚊
- キニー - マルタで販売されている炭酸飲料。キニーネは入っていないが、それに似た苦味がある。
- クロロキン
- アルカロイド
- 化合物の一覧
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脚注
- *食品添加物 - 厚生労働省のページ内、「添加物のリスト等」>「既存添加物」>「既存添加物名簿」参照。
- *“フィーバーツリーは社名の由来である「キナの木」の天然エキスを使用したプレミアムなトニックウォーターです。「キナの木」由来の天然の苦味と爽快感が、プレミアムなカクテルを演出します。” - 「Fever-Tree Tonic Water」の輸入販売業者による商品説明より引用。
- *“現在、日本で消費されている99%以上のトニックウォーターにキナは含まれず、苦味成分は、代替品が使用されています。” - Amazonでの同製品(Fever-Tree Tonic Water)の商品説明より引用。
- *“平成15年度厚生労働科学研究によると、既存添加物「キナ抽出物」については、添加物としての国内での流通実態はないと報告されており、国内では添加物として食品の製造に使用されていないものと考えられる。なお、食品に含まれた形で輸入されるものについては現段階で具体的な情報は有していない。” - 食品安全委員会企画専門調査会第11回会合の会議資料「食品安全委員会が自ら食品健康影響評価を行う案件の候補について(検討資料) 」より。会議資料詳細 - 第11回企画専門調査会のページ内、資料3参照(pdfダウンロード注意)。
- *食品安全委員会企画専門調査会第11回会合議事録より。会議資料詳細 - 第11回企画専門調査会のページ内、議事録参照(pdfダウンロード注意)。
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