キプロス(Cyprus)とは・・・
- キプロス島。地中海東部のヨーロッパ・アジア・アフリカを繋ぐような位置にあるため、古くから交差路として発展している。鹿児島県とほぼ同じ大きさの島。地中海で三番目に大きい。
島の内部は100mの緩衝地帯をはさんで、北側のトルコ系地域(北キプロス・トルコ共和国)と、南側のギリシャ系地域(キプロス共和国)に分断されている。
島にはギリシャ正教の時代の遺産が数多く残されており、世界遺産にもなっている。 - キプロス共和国の略称。キプロス島の南側に位置するギリシャ系地域の事でEUにも加盟している。
- 色の名前。青緑系の色をしている。
RGB値では#0f4645→■
ここでは2のキプロス共和国を中心に島全体の歴史について解説する。
基礎データ | |
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正式名称 | キプロス共和国 Κυπριακή Δημοκρατία Kıbrıs Cumhuriyeti |
国旗 | ![]() |
国歌 | 自由への賛歌![]() |
公用語 | ギリシャ語・トルコ語 |
首都 | ニコシア |
面積 | 9,251km2(世界第177位) |
人口('22) | 約125万人(世界第159位)[1] |
通貨 | ユーロ(€, EUR) |
キプロス(Cyprus)とは地中海に浮かぶキプロス島の南側の約60%を占めるギリシャ系の国である。2004年にEUに加盟した。
概要
正式名称キプロス共和国(Republic of Cyprus)。
ギリシャ語:Κυπριακή Δημοκρατία
トルコ語:Kıbrıs Cumhuriyeti
キプロス島は海上交通の中心地だったため、エジプト、ローマ帝国、ヴェネツィア共和国など多くの国に支配されてきた。
そのころからギリシャ系住民が多く住んでいたが、オスマン帝国がこの島を征服したのをきっかけに、トルコ系常民が多く移住してきた。
その時はオスマン帝国がギリシャ系住民に対して抑圧などを行わなかったため、双方が協力し合って生活していた。
しかし、1830年にトルコからギリシャが独立を果たした事から、キプロス島も独立を要求。しかしトルコ側もおいそれと独立を許すわけにはいかないと対立関係に突入した。
その後イギリス統治時代を経て1960年に独立したが、内部の紛争は勢いを増し、ギリシャ側がクーデターを起こした事をきっかけにトルコ本国が軍事介入し、北部にトルコ系地域を作った。このときに実質的な島の分断が行われた。
独立当初から、ギリシャ・トルコの本格的な紛争に発展しないように、国連平和維持軍が駐屯しており、現在でも860名の部隊がいる。この問題解決がトルコのEU加盟の条件にもなっているため、トルコ本国側から再統合の要求が出ている。しかし、島側の住民の反発も強く、あまり進んでいないのが現状である。
イギリス統治下の名残でイギリス空軍基地もある。
キプロス島の農業地帯は北側に集中していたために分断後は経済的に大きなダメージを受けたが、現在では観光や金融に力を入れ、一時期は一人当たりのGDPが本国ギリシャを上回るほどに成長した。現在は本国よりやや少ない程度まで減少している。
なお、トルコのみ承認している北キプロスが外国資本の投入も困難という関係で停滞している関係上、北との格差は完全に逆転している(北キプロスの推定の国民1人当たりのGDPはキプロスの2/3)。
観光業に力を入れているため紛争中ではあるが、治安はかなり良い。
ちなみに昔は銅の採掘場があり、元素記号のCuはキプロスのラテン語からとられている。今はそんなに採れない。
日本やニコニコとの関係
世界遺産もある美しいリゾート地域なので、観光好きの日本人が多く訪れる場所である。
また、世界ラリー選手(World Rally Championship)が2000年から2006年までキプロスで開催されており、トヨタ・スズキ・スバルなども参戦していた。またニコニコにもその時の中継映像などが多く上がっている。
関連動画
関連項目
脚注
- *北キプロスの人口も含む。(北の人口は約30~40万人ぐらいと見られている。)
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