“知るは楽しみなり”と申しまして、知識をたくさん持つことは人生を楽しくしてくれるものでございます。私は当ゼミナールの主任教授でございます。
クイズ面白ゼミナールとは、1981年~1988年にNHK総合テレビで放送されていたクイズ番組である。
日本のテレビ史史上最高の視聴率を記録したクイズ番組。
概要
番組をゼミナールに見立て、司会者を主任教授、3人1組のゲスト回答者を学生、問題の出題を講義と呼んでいた。そのため、教授という立場から回答者に対してはやや居丈高な態度で臨む傾向があり、回答を促す時には「さあ、書きなさい」と命令口調であった。このことから出演者などから「あの態度は何だ」と幾度か詰め寄られることもあったという。
ゲストの紹介とともに簡単な2択クイズを出題する「ウソ・ホントクイズ」、学校で使われている教科書の中の知識から出題する「教科書クイズ」、そして番組のメイン企画となる毎週特定のテーマを取り上げ、それについてのクイズを出題する形式で進行した。
司会の鈴木健二は番組台本を丸暗記した上で本番に臨み、さらに時折アドリブを交えて番組を進行するというスタイルを貫き通した。そのため、鈴木は進行中に台本を持たず、台詞そのものまで細部にわたり全て暗記していた。
また、取り上げられるテーマの調査には多大の労力をかけており、資料に何万円もかけて独学で習得することも多々あったとのことである。
番組開始当初は木曜日夜20時からの放送だったが、1982年4月より日曜夜19時20分という、「大河ドラマ」の前の時間帯に移動。これにより更に人気に火がつく事となり、1982年9月12日放送回では42.2%とという、クイズ番組としてはビデオリサーチが現在の視聴率集計方法になって以降最高の視聴率を記録するまでに至った。日本のテレビ史で視聴率40%超えを達成したのは「クイズダービー」(TBSテレビ)と当番組のみである。
他局の同時間帯番組からしても視聴率はさほど悪くなかったが、司会の鈴木がNHKを退職することになったため番組継続が難しくなり、惜しまれつつも1988年4月3日の放映を持って最終回となった。後継番組は「クイズ百点満点」。(司会は大塚範一)
ちなみに、本番組の名口上となっている「知るは楽しみなりと申しまして」は、本来なら別の台詞を用意していたものの、本番直前に鈴木が完全に失念してしまったため、咄嗟に老師の言で急場を凌いだというエピソードがある。
補足
- 番組中はVTRなどの資料映像は一切用いず、全ての実験をスタジオで行っていた。一例では鮭の孵化シーンをわざわざ専門家に問い合わせた上、「採取から4時間程度経てば孵化させられるかもしれない」という言質を取り、OAに間に合うよう敢えて採取時間を調整し、見事収録中で孵化に成功させている。
- 明石家さんまがゲスト出演した際、退屈な内容のあまりアクビをしてしまったところをカメラに撮られてしまった。しかもそれがカットされずにそのまま放送されたため、視聴者から抗議が殺到。これをきっかけにさんまとNHKの関係が険悪なものとなってしまい、以降30年近くに渡って一部の例外を除きNHKの番組にさんまが出演しない状態となった。
- 寺内タケシが番組内で二度不正を行った(不正解だったにも関わらず、正解発表の際にフリップを書き換えて正解に見せかけた)がために、以降番組への出入り禁止を申し渡されたことあがある。
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