概要
クリスマス島という名前を聞いて日本人は寒冷地を想像するかもしれないが、南緯10度30分、東経105度40分に位置する。北極や南極よりも赤道の方が圧倒的に近い。雪やトナカイも見られない。むしろ家の庭先にヤシの木が生えていたりサンゴ礁があったりするぐらい温暖。
オーストラリア領ではあるが、本土となる大陸からは北西方向に離れており、インドネシアの方がはるかに近い。クリスマス島からインドネシアのジャワ島までが最短で約360km、首都のジャカルタまでが約500kmであるのに対し、オーストラリアの本土までが最も近くても1500km、人口最大都市のシドニーまでは5000kmを超える距離である。なお、参考までに東京-大阪の直線距離は約400kmである。
一方で政治的にはオーストラリアに属しているため、島内では英語が公用語とされ、通貨はオーストラリア・ドルが流通している。
歴史
島の原型は6千万年前に火山活動によってできたと考えられている。その後いったん海に沈み、リン鉱が島内に堆積した。1千万年前にふたたび陸地となった。
もともとは無人島であり、ヨーロッパ諸国が大航海時代に入った16世紀には存在が確認されていた。1643年12月25日のクリスマスの日にイギリス人のウィリアム・マイノースが到着し、「クリスマス島」と名付けられた。
それ以降はあまり島の存在が注目されることも無かったが、19世紀後半にこの島に堆積していたリン鉱が発見され、イギリス海軍が島の併合を宣言した。当時からリン鉱は化学肥料の原料として注目されていた。
1942年に日本領となるが、島内の労働者がサボタージュを行ったため当初の目的だったリン鉱の輸出はうまくいかず、1943年には輸送貨物船が撃沈されたため撤退した。その後1958年にイギリスがこの島を手放し、オーストラリア領となった。
自然と人間活動
10月から11月にかけて島のいたるところが赤色で埋め尽くされる。これは数千万匹いるクリスマスアカガニが繁殖のため大移動をすることによる。この時期にはカニが自動車に轢かれる事故が多発するため、道路にアルミの柵を作ったり、地下道を作って誘導したりと様々な策が講じられている。
ほかに島内固有種としてブルドッグネズミという動物がいたが、人間が持ち込んだ他のネズミと競合して20世紀初めに絶滅してしまった。他のクリスマスアオハズク、クリスマスミカドバト、クリスマスメジロなどの種も絶滅が危惧されている。このような事情もあって島の半分以上が国立公園に指定されている。
自然環境への影響が大きいため、現在はリン鉱の採掘はあまり行われず、貯蔵してあるリン鉱の加工・積み出しを中心に行っている。島内の失業率は8.1%と、同じようにリン鉱を産出していたナウルほどではないものの、やや高い。他の産業として、イルカやサンゴ礁を見ることができるダイビングや、後述する難民施設の運用がある。
文化
北東にある「フライング・フィッシュ・コープ」と呼ばれる集落が島の中心となっている。島内にはスーパー、銀行、病院、ホテルといった生活や観光に必要な施設のほか、キリスト教教会や仏教寺院、モスクもある。
仏教寺院やモスクは採掘労働者として移住した人々の子孫のためのもの。島の住民は中国系やマレー系が多く、中国系については住民の約7割を占める。地名も「プーン・サン地区(半山地区)」といった中国語系のものや、「カンポン」「ジャラン・パンタイ」のようなマレー語系のものもある。
人口は労働者・難民の一時的な移住が伴うため変動が激しいが、2016年の統計では約1600人ほど。
隔離施設的扱い
位置が位置なので、オーストラリア政府から隔離施設的な扱いを受けることもある。
アジアに近接しているため難民がやってくることが多く、2001年にはクリスマス島移住受付センターという難民受け入れ施設が設置された。難民はここで数ヶ月間暮らし、ナウルやパプアニューギニアといった別の国に送られている(ナウルについては2020年現在は移送を取りやめている)。しかし居住環境が悪いという批判もあり、実際に暴動やハンガーストライキ、脱走に伴う死亡事故などが起こっている。
2020年にはコロナウイルスが流行している中国の武漢からの帰国者を、2週間クリスマス島に隔離する措置がとられた。
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関連項目
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