クルト・クニスペル(Kurt Knispel, 1921年9月20日-1945年4月28日)は第二次大戦中のドイツ国防軍の軍人である。最終階級は曹長。
戦車の砲手・戦車長として数々の戦果を挙げ、その撃破数は168両、非公式の記録を含めると195両以上(加えて70以上の対戦車砲も撃破)にも上ると言われ、ドイツ軍の全戦車兵中、ひいては世界中で最も多くの敵戦車を撃破したと考えられるエースである。
その戦果の大きさにも関わらず実情は多くの謎に包まれており、数々の噂もあって存在は半ば伝説と化している。
経歴
1921年、ズデーテン地方、ザリスフェルト郊外のズックマンテルにて生まれる(現チェコ共和国ズラテーホリ郊外サリソフ)。少年時代はその隣町、ニクラスドルフ(現チェコ共和国、ミクロヴィーチェ)にて過ごす。そこには父レオポルド・クニスペルが働く自動車工場があった。子供のころから手先が器用で学校を卒業後、父親同様自動車工場で働いていた。
1940年 工場勤務は元々あまり好まなかったようで、仕事を辞めてドイツ軍に従軍。ザガン(現ポーランド、ジャガン)での基礎訓練の後、戦車兵となり、I号戦車、II号戦車を用いた訓練を受ける。
1940年10月頃、第12装甲師団第29戦車連隊第3中隊に配属され、IV号戦車の装填手、砲手としてザガン及びプトロスにて訓練を受ける。
1941年6月22日 バルバロッサ作戦開始。クニスペルの連隊は中央軍集団、第三装甲軍に所属。ヘルマン中尉という戦車長の元でIV号戦車の砲手として参戦する。その後、レニングラード方面に転戦。
1942年 ブラウ作戦発動に伴い、それまでの短砲身から長砲身に換装したIV号戦車に乗り換える。連隊はA軍集団に所属し、南方のマイコープ占領・防衛戦などに参加する。しかし、激戦の中で病気のため一時帰国する。この戦いまでに12両の撃破戦果をあげたという話もあるが出典不明。
1943年1月 第503重戦車大隊所属となり、ティーガーIの砲手となる。訓練には定数不足からあのポルシェティーガーも混じっていたが、不思議とこの隊の中では通常のティーガーIよりも評判が良い。
1943年7月 ハンス・フェンドザック上級曹長に率いられた第1中隊第1小隊に所属してクルスクの戦いに参加。砲手クニスペルの乗るティーガーIの戦車長はハンネス・リップル曹長で、彼との抜群のコンビネーションで部隊随一の戦果をあげ、隊の中で知らないものはいない、といわれるほどの有名人になる。
1943年後半 クルスクの戦いでドイツ敗北後、ドニエプル川防衛線、コルスン包囲戦、カメネツ=ポドリスキー包囲戦、などの厳しい戦線を戦う。この時のクニスペルの活躍はフランツ・ベーケからも賞賛され、後に騎士十字章を何度も推薦される。しかし、4度の推薦にも関わらず最後までクニスペルが騎士十字章を受章することはなかった(1等鉄十字章とドイツ十字章は受章している)。
1944年4月25日 101両目の敵戦車撃破記録と共に国防軍報に名前を報じられる。士官ではない兵士が報じられたのは戦中通して唯一クニスペルのみらしい。
1944年7月 大隊はティーガーIとティーガーII(ポルシェ砲塔)の混成装備部隊となり、西部戦線へ送られる。しかし、圧倒的な敵の航空攻撃の前になす術がなく、後退戦を続ける間にほぼ全滅。クニスペルの一番の上官にして戦友であるフェンドザックもこの際に戦死してしまう。
1944年9月 本国でティーガーII(ヘンシェル砲塔)装備で再編成。この時から戦車長になった模様。訓練時の映像が残っている。訓練終了後、再び東部戦線へ送られ、ハンガリー、ブダペスト戦等に参加するが、敵の圧倒的な物量の前に消耗と後退を強いられ、年末にかけてスロバキア、チェコ方面へと転戦する。
1945年4月28日 ソ連軍の戦車に包囲されクニスペル乗車のティーガーIIが撃破されてしまう。ウルバウ(チェコ名ヴルボヴェツ)の病院に運ばれるものの死亡。終戦まであと10日あまりという悔やまれる死であった。
2013年4月10日 長らく所在が不明だったクニスペルの墓がチェコ南部のズノイモ近郊ヴルボヴェツ戦死者墓地で発見される。
エピソード
- チェコ支配下のズデーテン地方で育ったためチェコ語が話せ、同じスラブ系言語である東欧諸国ではその語学力を生かして現地民との交流も行っていたらしい。
- ズデーテン地方特有のかなり強い訛りがあったらしく、このせいで上官から失礼な奴、と思われることがあったようだ(クニスペル自身は敬語をきちんと使っている話が多くある)。
- 上官を戦友の誕生日パーティに誘う際に「あなた達二人を歓迎します」と述べ「私は1人だが?」と聞かれると「もう一人はコニャックの瓶のことです」と返したという。そのユーモアと大胆さにこの上官は大笑いしてちゃんとお酒を用意してくれたようだ。
- 2km以上(一説には3km)先の敵戦車を仕留めたという驚異的な射撃能力を持っていたらしい。
- 戦友が誰一人気が付かなかった闇夜の敵戦車の接近に気がつき、即座に戦闘態勢に入ったおかげで奇襲を防ぐことができた。
- 対戦車地雷をT-34のエンジンルームに放り込んで撃破した。「生身(素手)で戦車を撃破しやがった!」と驚く戦友に対して「対戦車地雷を装備してたぜ」
- 戦車が通れるかどうか濁った氷の川に裸で飛び込み深さを確かめた。全身紫色になったが生還。「アルコール入りコーヒーを用意してくれ」
- ソ連兵捕虜を不当に暴行していたアインザッツグルッペンの将校を見て居ても立ってもいられず、銃を突き付けて制止させようとした(いくつかの話では殴りかかったとも)。この出来事はどうやら部隊の士官の努力でうやむやになりクニスペルが処罰されることはなかったようだが、勲章や出世には影響したかもしれない。
- 部隊が敵に攻撃され放棄されていた列車の車両を見つけた際、中の物資を取ろうとしたが鍵がかかっていたのでクニスペルを連れてくると手先が器用で機械を扱っていた経験があったため簡単に開錠してしまった。
- 戦歴の大半が砲手なので、戦車長としての戦果は撃破数のうち42両ほどらしい。
- 訓練時代から戦中を通してI号戦車からティーガーIIまで様々な戦車に乗り継いでいるため、"最も多くの種類のドイツ戦車搭乗を経験した兵士"の一人でもある。
- ネットでは戦車に娼婦を連れ込んだという話が人気だが調べた限り出所不明。誰か見つけてください…。
- ワイルドな兄貴風の髭写真が有名だが、隊の中ではかなり小柄で髭のない写真の方が多い。ユーモアあふれる話が色々あるようにどちらかというと明るいムードメーカー的人物だったようだ。
関連人物
- ハンス・フェンドザック
- 階級は曹長~上級曹長。クニスペルの上官だが、よき理解者でもあり一番仲がよかったという戦友。体格はちょっと太めで、良い笑顔でクニスペルと一緒に写っている写真が何枚もある。綽名として「小さなハンス」というものがあったらしい。西部戦線で敵の航空攻撃により戦死。
- アルフレッド・ルーベル
- 階級は中尉。ザガン訓練時代からクニスペルと同じ部隊の所属で付き合いは長く、フェンドザック、クニスペルと一緒に写っている写真もある。あの有名なクニスペルの髭写真もルーベルが撮ったものである。クニスペルには遠く及ばないものの彼も数多くの撃破記録を持つエースである。第503重戦車大隊は最後ほとんど全滅してしまい、戦闘での生き残りも多くがソ連に連行されて帰ってこなかった中、彼は戦後も生き延びて隊のことを伝える貴重な生き証人となった。数々の映像メディアにも出演している。2013年8月にバッスムにて永眠。
- フランツ・ベーケ
- 戦車エースとしても名高い軍団長で、第503重戦車大隊が彼の軍団隷下所属になった際にクニスペルの活躍を高く評価し、4度も騎士十字章に推薦している。
関連動画
関連商品
関連項目
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