クレルモン・フェランとは、フランス中部に位置する人口14万人の都市である。
世界2位のタイヤメーカー・ミシュランの本社があることで知られている。
ミネラルウォーターvolvicの生産地でもある。
位置と気候
クレルモン・フェランはフランスの中央やや南の内陸部に位置し、海岸線とは250km離れている。
夏の平均最高気温は26度、平均最低気温は14度。
これは札幌市や軽井沢町と同じぐらいで、まあまあ暑いといった程度。
冬の平均最高気温は7度、平均最低気温は0度。
これは名古屋市やさいたま市と同じぐらいで、まあまあ寒いといった程度。
フランスにも偏西風が吹いていて、西から雨雲がやってくる。
ところがクレルモン・フェランの西にはシェーヌ・デ・ピュイ(Chaîne des Puys フランス語で
「丘の連なり」)という火山の山地帯があり、雨雲がそこにぶつかり雨を降らせる。
偏西風がクレルモン・フェランに到達する頃には乾いた風になっていることが多く、
クレルモン・フェランは晴天の多い土地柄になっている。こういう現象を雨陰という。
火山とミネラルウォーター、温泉
クレルモン・フェランのあたりはオーヴェルニュ地域圏と呼ばれ、火山が多い。
休火山ばかりで噴火の危険性は低いのだが、とにかく火山だらけである。
火山が多いので地下水が多い
火山の周辺は火山噴出物ばかりで、土の目が粗く、水を通しやすい。
そのため降った雨が地表を流れず、地下へどんどん入っていき、良質の地下水が大量に産出される。
(富士山周辺も地下水が多いが同じ理由である)
おなじみのミネラルウォーターvolvic_はクレルモン・フェラン市近郊のここで生産されている。
volvicのラベルに山が映っているが、これはクレルモン・フェランの西の火山帯シェーヌ・デ・ピュイの
山である。検索すると、volvicの画像とそっくりな火口が凹んだ緑色の火山の画像が出てくる。
火山が多いので黒い岩が多い
クレルモン・フェラン市にはノートルダム・ド・ラソンプシオン大聖堂がある。
近くの火山から切り出した真っ黒な玄武岩で作られている。
典型的なゴシック様式の建築物で、2つの黒い塔が天に向かって真っ直ぐ伸びる姿が印象的。
この大聖堂に限らず、市内には火山の玄武岩を使った黒い建物が多く、黒っぽい街という印象がある。
市街地の道は石でできている石畳だが、やはり全体的に黒っぽい。
温泉街クレルモン・フェラン
火山の熱いマグマと火山噴出物による大量の地下水といった2つの要素が合わさり、温泉が多い。
こういう温泉を火山性温泉という。
検索してみるとクレルモン・フェランが立派な温泉街であると分かる。
クレルモン・フェランから近いヴィシーも温泉街で、皇帝ナポレオン3世がしばしば訪れていた。
ちなみにヴィシーは極めつけの温泉街で、観光客向けのホテルが非常に多い。
1940年にパリを追い出されたフランス政府がヴィシーを首都にしたのは、ホテルが多かったためである。
ホテルを借り切ってしまうと臨時の官公庁がすぐに出来上がった。
街の象徴 ピュイ・ド・ドーム
街の西9kmのところにピュイ・ド・ドームという火山がある。
クレルモン・フェランのどこからでもすぐに発見することができ、街の象徴になっている。
標高は1464mで、展望が素晴らしい。火口はあまり凹んでいない。
火口には73mの白くて細い電波塔があり、他の山と区別することができる。
ローマ時代の古い神殿跡が見つかっている。
歩いて登る人もいるが結構大変なので2012年にラック式の鉄道が開通した。
勾配が急なので普通の鉄道では上手く登れない。だから2本のレールの間に歯の付いたレールを敷き、
歯車をガチッとかみ合わせて登っていく。
20世紀の大合併
もともとクレルモン・フェラン市はクレルモン市とモンフェラン市の2つに分かれていた。
クレルモン市は1095年のクレルモン公会議で有名。この公会議で十字軍が結成された。
クレルモン市はパリを本拠地にするフランス王室とカトリック教会の勢力が強く、
中央政府の出先機関みたいな場所だった。
地元の有力者であるオーヴェルニュ伯爵が「中央の連中の言いなりになるのは面白くない」と
クレルモン市の隣にモンフェラン市を建設し、それ以来クレルモン市とモンフェラン市の仲が悪かった。
17世紀や18世紀にフランス王室が「モンフェラン市はクレルモン市に従って吸収合併されるべき」と
勅令を出したが、それでもモンフェラン市は反発したままで、20世紀までずっとその状態だった。
この対立に終止符を打ったのがミシュランで、ミシュランが双方に向かって「まあまあ」と言いながら
和解するように奔走した。金満企業ミシュランによって両市もやっと態度が柔らかくなり、
20世紀になってとうとう合併した。
クレルモン市の旧市街はこのあたりで、モンフェラン市の旧市街は北東に少し離れたこのあたり。
どちらも赤くて綺麗な屋根の民家が密集している。
その間に無骨な灰色の屋根をした建物が並んでいるところがあり、それがミシュランの工場である。
ミシュランが両市の仲介をした歴史を体現しているかのようで面白い。
ミシュランのお膝元
クレルモン・フェランには世界第2位のタイヤメーカー・ミシュランの本社があり、
典型的な企業城下町となっている。市内にはミシュラン関連施設があちこちに点在している。
この建物がミシュラン本社である。クリーム色の建物。
こちらの建物はタイヤ貯蔵センターである。
この工場では大型トラック用タイヤを生産している。
この工場ではMotoGPなどのレース用タイヤを生産している。「Usine」は工場という意味。
こちらもミシュランの子会社。
この場所にラヴァンチュール・ミシュランという博物館がある。
もともとミシュランの工場だったが内部を改造した。世界最大のタイヤを玄関前に置いてある。
自転車・自動車・飛行機のタイヤを作ってきた社史を体験できる。
各地のレストランを紹介したミシュランガイドの古い物も展示されている。
ラヴァンチュール・ミシュランとは「ミシュランの冒険」という意味。
ラヴァンチュール・ミシュランの南隣にはスタッド・マルセル・ミシュランというラグビー場がある。
1911年にミシュランが出資して開業し、数々の大試合を開催してきた。
スタッドは「スタジアム」の意味。
マルセル・ミシュランはミシュラン創業者エドゥワール・ミシュランの甥である。
クレルモン・フェラン市街地から北に8kmほど離れたラドゥ(Ladoux)に、テストコースがある。
世界最大のテストコースとのこと。ミシュラン公式のこのページでも紹介されている。
シャレード・サーキット
市街地から南西に5kmほど離れた山間部にシャレード・サーキットがある。
1950~70年代にF1が4回、MotoGPが10回開催された。
カーブが多くてドライバーやライダーからの評判が良かったが、安全性が今ひとつだった。
風が吹くとコースサイドから火山性の岩石が落ちて来て、それが路面にばらまかれる。
先行車が跳ね飛ばした小石を後方車が浴びてしまうことも多かったらしい。
現在は国内選手権のレースに使われる程度になっている。
こちらが公式Facebook。 トラックレースの画像も出てくる。
路面電車
クレルモン・フェラン市内には路面電車(トラム)が走っている。2006年11月13日に開業した。
こちらがトラム開業10周年記念動画で、これをみると結構大きい街だと分かる。
ちなみにクレルモン・フェランのトラムはタイヤで走る。
名門タイヤメーカーの企業城下町のトラムだからタイヤ式トラムが選ばれた。
入札の段階で「タイヤ式トラムに限る」となっていた。
他の街のトラムは金属レールの上を金属の車輪で走るので停車時に「キィ~」と音が鳴るが、
クレルモン・フェランのトラムはタイヤで駆動するので停車時も静かである。
クレルモン・フェランのトラムには一本だけ金属のレールがある。これはトラムが左右にぶれないよう
位置決めするためのものである。この1本のレールに、左右から1つずつ金属の車輪を当てる。
このページの画像を見てみると、2つの金属車輪でしっかり位置決めしているのがよく分かる。
タイヤ式トラムの長所は、先述の通り、静かに止まることができること。
また、坂道を登るときの力強さも素晴らしい。クレルモン・フェランは山の近くで坂道が多く、
タイヤ式トラムがぴったりとなっている。
短所としては、古くなった車両をどこかの街へ売り飛ばすことが難しいこと。
タイヤ式トラムを採用している街はまだ少ない。
やはり今のところ、金属のレールの上を金属の車輪で走る方式のトラムが世界中で優勢なのである。
「タイヤを交換するコストが高い」というのも短所のはずだが、クレルモン・フェランには
ミシュランがいるので、その点は大丈夫となっている。タイヤを安く提供してくれる。
その他の観光名所
ジョード広場
市内中心部のこの場所がジョード広場(Place de Jaude)で、古代ローマ時代から現在に至るまで
この街の中心部である。
ラグビー・ワールドカップやサッカー・ワールドカップになるとこの広場にスクリーンが立てられ、
数万人の人が集まって試合を観戦する。検索すると人混みでごった返す画像がいくつも出てくる。
クリスマスの頃には移動式遊園地の観覧車もやってきて、綺麗にライトアップされる。
真っ赤な路面電車(トラム)がジョード広場の前を通るのはいい絵になる。
ウェルキンゲトリクスの銅像
ジョード広場にはウェルキンゲトリクスの銅像が建てられている。
フランス語ではヴェルサンジェトリックスと発音するらしいが、表記揺れしている。
2000年前の紀元前にガリア(現在のフランス)の諸部族をまとめ上げ、ローマ帝国と対抗した。
数に勝る帝国軍にもひるまず、しばしば撃退している。
ながらく忘れられた人物だったが、19世紀になって皇帝ナポレオン3世が彼のことを気に入り、
各地に銅像を建てさせた。
19世紀のフランスはドイツの脅威に直面していて、「外敵に立ち向かう国家的英雄」がほしかった。
そこで白羽の矢が立ったのがウェルキンゲトリクスだった。
クレルモン・フェランの銅像はフレデリク・バルトルディが作った。
この人はアメリカ・ニューヨークにある自由の女神像を設計したことでも知られる。
数学者パスカルの道
クレルモン・フェランは数学者パスカルの出身地で、この道にはパスカルの名前が付いていて、
パスカルのメダルが所々に埋め込まれている。
街の中心部にあるアンリ・ルコック博物館にはパスカルが発明した計算機が所蔵されている。
ちなみにフランスは日本を遙かに上回る超学歴社会である。
大学とは別にグランゼコールという専門高等教育機関が350校程度あり、
その出身者が政界・官界・財界の屋台骨になる。
フランスで出世したければグランゼコールに入らなければならないのだが、この入学試験が難しい。
太陽の光を浴びることがないと言われるほどの猛勉強をしなければならない。
そして、そこで出てくるのが数学である。文系だの理系だの関係なく、ごってり数学の問題が出る。
そういうわけでフランスは「数学のできる頭のいい人が国を引っ張る」という気風が強い。
数学者に対する敬意も強いものがあり、パスカルはかつてフランスの紙幣の肖像画になっていた。
ノートルダム・デュ・ポール・バシリカ大聖堂
市内中心部のこの場所にノートルダム・デュ・ポール・バシリカ大聖堂がある。
12世紀建立の大聖堂で、花崗質砂岩で作られたため白っぽい。
ノートルダム(Notre Dame)とは我々の(Notre)貴婦人(Dame)という意味で、
聖母マリアを指している。ノートルダムの名前を冠した聖堂はフランスの各地にある。
ポール(port)は市場という意味。
バシリカ(basilica)とは、一般の教会よりも格が高いことを認められた教会の称号。
建築様式としてはロマネスク様式に分類される。ロマネスクは「ローマ風」という意味。
この大聖堂の内部には柱がずらっと並んでおり、柱の上の部分に彫刻をしている。
「アダムとイヴと蛇」とか「十字軍の騎士」とか「角笛を吹く天使」という柱頭彫刻がある。
関連項目
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