クロスボウとは、矢を撃ち出す射出兵器である。「ボウガン」の通称があるものの、正確には「クロスボウ」の名称が正しい。中国でも「弩」という名称で古くから使われている。
概要
クロスボウは銃床の先端に弓を載せたようなシルエットをしている。使い方は簡単で、弦を引いてトリガーと連動した金具に引っかけ、矢(ボルトもしくはクォーラルと呼ぶ)をセットすれば発射準備は完了。後は狙いをつけてトリガーを引けば弦が金具から解放されて矢が射出される。
同種の兵器である弓と比較すると連射速度に劣るが、以下の利点があるとされる。
連射速度の遅さに関しては兵士を数列に分けて順番に発射する戦術的解決法や、連発が可能なクロスボウ(連弩)を開発するという機械的解決法が行われた。戦術はそれなりの効果をあげ、連弩の方は大型の設置式連弩は役にたったが、個人携行用の小型の連弩は威力低下が問題となり、実戦での使用はされなかったようだ。
西洋において
欧州においては、少なくとも古代ギリシャの時代から存在しており、軍事的に利用されていたようだ。
11世紀頃には、「キリスト教的に残虐すぎるからクロスボウ禁止」と威力の高さから時の法王に使用禁止令を出されたりもしているが、「異教徒相手なら何も問題ないよね」とばかりに第3回十字軍で大々的に使用が始まり、13世紀頃にはイタリアの都市国家が大量に導入して全盛した。
その後、クロスボウを使用したフランス軍がロングボウを使用したイギリス軍に連射速度の差で惨敗したりもしたが、クロスボウの軍事利用は続けられ、15世紀の終わり頃に、より簡易で威力の高い火器にとってかわられた。
その後も、狩猟用に小型・低威力にしたクロスボウが使われ続けた。
東洋において
中国
中国においては弩(ど)と呼ばれ、戦国時代(前5世紀~)から使われていたと言われており、誰が発明したかも不明である(神話の人物が発明したという伝説もある)。
その後、弩は中国における軍隊の標準装備となり、唐の軍隊では実に兵士の20%が装備し、一人当たり3本の替えの弦と100本の矢を持たされたとされる。宋に至っては弩を主力兵器として位置づけ、民間での弩の所有を他の兵器の所有よりも重く罰した。
これだけ中国の王朝で弩が重要視されたのは、事あるごとに「ヒャッハー!!水だぁー!!」とばかりに侵略してくる世紀末モヒカン遊牧民族の騎馬隊をアウトレンジで撃退するのに弩は大きな力を発揮したためである。
中国でもその後は火器にとって代わられることとなる。
日本
日本には中国から伝来し、奈良時代末期から平安時代初期まで利用されたが、当時の日本の弓矢の使い方が「近距離まで近づいて撃つ」という中国の遊牧民族的使い方だったので、弩の連射速度の遅さが敬遠されてか次第に廃れたとされる。
とは言え利用されていた時代においては弩は重要な武装と捉えられていたようで、現在の東北地方で蝦夷(えみし)と相対していた「鎮守府」や、新羅と相対していた山陰地方の国々や対馬には、特に防衛的重要度が増した時に「弩師」を配置した記録が残っているという。ちなみに「弩師」とは弩を製作し、さらにその実用に関する兵への教練なども行った専門職らしい。
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