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グループビー
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曖昧さ回避

  1. グループB - モータースポーツにおけるマシンカテゴリー名。本記事で解説
  2. グループB - 日本国経済産業省による、「輸出貿易管理」の輸出カテゴリー分けの一つ。詳細は「グループA(輸出国カテゴリー)」の記事へ。

グループBとは、モータースポーツ狂気の時代である。

概要

1982年、FIA(国際自動車連盟)は第二次オイルショックによるWRC(世界ラリー選手権)への参戦車両台数の減少を深刻に受け止め、それまでの規格であったグループ4(Gr.4)にホモロゲーション取得のための生産台数を半分以下にして大幅にメーカーの負担を軽減したグループB(Gr.B)という新レギレーションに移行することを決定した。これにより数多くのメーカーが参戦しWRC盛を極めることになった。

が、Gr.4時代も「ランチアストラトス」等ラリー専用に生まれたマシンが猛威を奮ったWRCだけのことはあり当初から様々な掟破りのマシンが投入され、最終的に1トンを切る軽量ボディに500エンジン4WD+ミッドシップ+ターボは当たり前というマジキチチキチキマシーン達の刈り場となった。

もちろんどのマシンも尋常でないほどく、モンテカルロで走らせたらF1より速かった、などという都市伝説まで生まれる有様であった。[1]

このクラスの参戦車両はモアパワーモアスピードの頂点たるマシンであるため、パワーありすぎてタイヤが常に空転状態であり基本的にまっすぐ走らない。とりあえずパワーを出すために一所懸命開発した技術者達、そのマシンを難なく乗りこなすドライバー達、その暴力的な走行性に魅せられた観客達[2]、まさに狂気と熱狂の時代である。

このためFIAは「もう全別物だし危ないから全に新しいプロトタイプマシン作ったほうが安全なんじゃね?」と新しい規格、グループSに移行させようと計画を練っていたが、その矢先の1986年ツール・ド・コルスでモータースポーツ史に残る重大事故が発生したため、グループBは止され87年以降WRCは下位カテゴリグループAに移行することになった。

その後活躍の場を失ったグループBのマシン達はパリダカやヒルクライムラリークロスに流れて大活躍することになるのだがそれはまた別のおはなし。

Gr.Bのマシン達

アウディクワトロ
簡単に言ってしまえばアウディ80にパリダカで優勝したフォルクスワーゲンイルティスの4WD移植ターボを付けたもの。だがWRCに初めて4WDを導入したマシンであり、現代のラリーカーの基礎を作った偉大なベテランハンヌ・ミッコラとスティグ・ブロンクビスト、女傑ミシェルムートン等によりGr.4末期Gr.B中期のWRCで八面六臂の活躍、85年にはムートンパイクスピークヒルクライムでも勝利を収めている。しかし、ミッドシップマシンが台頭するようになると次第にその力も衰えてゆき、何とか対抗すべく300mm以上もホイールベースを短縮した「スポーツクワトロ」を作り出すもが立たず、更に恥も外聞もしにチバラギちっくなエアロを装着した上、ブレーキを武装し600力までパワーアップした「スポーツクワトロS1」を投入しデビュー2位、2戦優勝復活狼煙をあげたが、ポルトガルラリーを最後にアウディがGr.Bを自粛してしまい数戦で役を終えてしまう。
ランチアラリー037
ランチアストラトスの流れをくむマシンランチアベータモンテカルロベースフィアットを手がけていたアバルト社が開発。因みに037とはアバルト開発コードクワトロとは全く逆のミッドシップ+二輪駆動+スーパーチャージャーという組み合わせでクワトロが苦手なターマック(舗装路)で確実に勝利をモノにし、ワルター・ロールとマルクアレン等の手により83年のマニュファクチャラータイトルを獲得した。非常に端正な外見をしており「最も美しいラリーカー」と呼ばれる。このアバルトマシンフェラーリF40やホンダNSX等、後のミッドシップスポーツカー開発にもを与えた。ちなみに、Gr.B消滅から8年後の1994年ラリーカーであるにも関わらず全日本GT選手権(現・SUPER GT)第3戦にスポット参戦している。(余談だが、このレースGr.A、B、C車両が同カテゴリーから一緒に出走した一のレースだったりする)
プジョー205ターボ16
グループBの流れを全に変えてしまった戦犯見た名前プジョー205にそっくりだが、あくまでそっくりなだけで普通205とは縁もゆかりいベツモノである。ミッドシップ+ターボ+4WDを小さなパイプフレームで包んだ、タイヤ付きエンジンと言わんばかりのモンスターマシンであり、アリ・バタネンがドライブする205T16は登場するや否や一にしてラリーを席巻、後期のグループBのトレンドを作った。不運にもバタネンは事故で長い休養を余儀なくされるが、ベテランティモ・サロネン、当時はまだ27歳の若手ユハ・カンクネン等が活躍。改良版のエボリューション1で350力、最終エボリューション2では540力を発揮し最終的に連覇する事になる。またWRCを去った後も205T16は怪から復帰したバタネンとトヨタに移籍した傍ら助っ人参戦したカンクネンの手により87、88年パリダカを連覇、89年以降は405T16、シトロエンZXラリーレイドに姿を変えドライブしたバタネンが更にパリダカを3連覇している。
ランチアデルタS4
ランチアが満を持して送り出した最強のグループB。037と同じくアバルト社が開発。037まではフィアットの2LエンジンだったがデルタS4ではランチアの1.8L。205ターボ16と同じく全にとはベツモノだが、一応見たぐらいはタネと似せていた205に対し、こちらは見たからして全く似せる気ゼロスーパーチャージャーターボチャージャーを両方搭載しているのが特徴で、の鳴きのような特徴的な音を発する。デビューして5戦になる86年のツール・ド・コルスでヘンリ・トイボネン/セルジオ・クレスト組が崖下に転落し、爆発炎上。二人は帰らぬ人となった。これによってWRCは87年からグループAで行われることが決定されデルタS4の未来は閉ざされた。また、事故の後もデルタS4は205ターボ16と熾な争いを繰り広げ、マニュファクチャラーズ、ドライバータイトルの両方を手にした・・・はずだったのだがシーズン終了後の政治的裁定により一部ポイント効になり両方を失った。このためドライバーマルクアレン共々「無冠の帝王」と呼ばれている。
フォード・RS200
グループB最後期にデビューしたマシン全にラリー競技の為に作られた独自種で他のメーカーのように量販種の名前を使わなかったのはいかにも潔いフォードらしい。が、開発が遅れたためエボリューションモデル制作できず、他のメーカー500600力なのに対しRS200は450力と非常に不利な状態であった。また、86年のポルトガルラリーでヨアキム・サントス操るRS200がを塞いだ観客を避けようとしたもののコントロールを失い群集の中に突っ込み40名以上の死傷者を出す大惨事を引き起こしたりと非常に運に恵まれないマシンだった。ミッドシップマウントされたエンジンから前部にあるミッションとデフを介し前輪後輪にトルクを配分するトランスアクスル4WDが特徴的。
MGメトロ6R4
デルタS4とほぼ同時期にデビューしたマシンで、F1で有名なウイリアムズ開発した。ドライバーは後にフォードを率いる事になるマルコムウィルソントニーポンド。当初のコンセプトではもっとコンパクトスッキリした貌になる予定だったが、あれやこれやと弄っているうちにすっかりエアロ盛り盛りのいかつい姿に。そのためか非常に力性が良かったらしく、ダウンフォースGr.C2並みだったとか。また、あえてレスポンスを重視してターボではなく自然吸気の3.0LV6(ビュイックからローバーへ流れてきたV8エンジンから2気筒ぶった切ったもの)を搭載し410力を発揮したが、ターボ勢にはやはり勝てなかった。エンジンは後にジャガーGr.CとIMSA-GTPのスプリントレース戦専用エンジンとしてターボ化されて搭載され、そのエンジンは後にジャガーXJ220にも使われる。ちなみに6R4というのは6気筒リア(ミッド)エンジン4WDの略。ちなみにこいつを作ったのは「あの」ブリティッシュ・レイランドである。元のメトロゴミ箱と間違えそうなクソなのになんでコイツはこんなにカッコイイんだろう。ふしぎ!
ルノー・5マキシターボ
1978年ラリーはまだGr.4だった時のこと、「見たソレっぽくしてりゃ中身何だって良いんじゃね?」と大衆の5を持ち出しパワートレイン180°ひっくり返しターボのっけて(当時のルノーF1ル・マンと何でもターボを搭載しターボ戦争の火付け役を買った)足回りを変更、最後にドカンと特大のフェンダーを付けて生まれたのがこの5ターボ。当時のホモロゲは400台生産すればよかったのだが、何を思ったのか折だから普通に販売しようとこの変態1800台以上もの大量生産をする。そしてどういうわけか売れた。Gr.Bの発端ともなったマシンだが時を経てGr.B時代の85年ツール・ド・コルスでひょっこりエボリューションモデルマキシを投入する。過去に5ターボで同ラリーやモンテカルロ優勝経験のある舗装王にしてルノー社員のジャン・ラニョッティの手によりルノー久々優勝するもワークスとしてのまともな活動はこれっきり(マキシではいがRS200の事故ワークスが総撤退した86年ポルトガルで地元ドライバーの5ターボ優勝している)。余談だが、好評を博したこのは初代よりマイルド安価ターボを販売し、こちらも3000台以上売れた。日本でもたまに中古を見かけることがある。
シトロエン・BX4TC
ゴミプジョー・505ターボエンジンをBXにブチ込み、エンジンを縦置きにし4WD化(でもパートタイム)、CXブレーキSMミッションなどを装着しエアロパーツ全武装している。でもサスはハイドロというやる気があるのかいのか分からない(ダメな意味での)変態マシン。巨大なヌボーっとしたボディはグループBらしからぬ妙な違和感バリバリに感じさせてくれる。というか、86年アクロポリス映像を見る限り、移植したエンジンマッチングなり信頼性なりに問題があったのか、そもそも全然回転数上げられていなかったんじゃなかろうか。
こんな状態でまともに勝負できるわけもなく、出走してもリタイヤしてばかりで弱くてバカにされるどころかエントリーしていることにさえ気付いて貰えなかった疑惑すら出る始末。当然ながら生産した車両の大半が売れ残り、後にスクラップにされたと言われている。
シトロエン・ヴィザ・ミルピステ
ローエンモデルである「ヴィザ」を4WD化(でもやっぱりパートタイム)したもので、1.4リッターエンジンからはだいたい93力ぐらいを発揮する・・・と思う。ロクに資料がいから分からないけど。シャレード・926ターボとともに世界最小のGr.Bマシンベース車両5000台以上生産され、なおかつ300力未満のマシンであったため、Gr.Bが終了した後も選手権対外だが出走することができた。Gr.A時代となった1987年のモンテカルロでは総合7位と、小としては十分な結果を残している。ちなみに、名前の由来となったミルピステ。(1000pistes)とはフランスの軍用地で行われるラリーイベントである。
ダイハツ・シャレード・926ターボ
ヴィザ・ミルピステとともに世界最小のラリーカー現在X4シリーズの祖先とも言える存在である。「926」は排気量をしており、ターボ係数を掛けると1.3リッター相当になる。日本らしくサファリで活躍し、クラス優勝を飾っている。DOHC化したエンジンリアミッドシップに配置した「926R」なるモデルモーターショーで発表されたが、Gr.Bが終焉を迎えてしまい日のを見ることはかった。
日産・240RS
Gr.4時代にバイオレットを駆りサファリ4連覇を達成していた日産サファリ王者防衛のためにシルビアベース開発したGr.Bカーである。1トンを切る軽量ボディには240力(エボリューションモデルでは280力)を発揮する専用エンジンであるFJ24が搭載されており、軽さにおいてはGr.B初期でアトバンテージを持っていた・・・はずだったのだが83年のサファリラリー老兵であるオペルアスコナに敗れることとなり240RSは4位という残念な結果に終わった。その後もニュージーランドでの2位が最高成績であり、1度もWRC勝利することなくGr.B終了とともに消えていった(前述のヴィザと異なり生産台数が5000台以下だったため)。余談だが、ラリーカーにおいて初めて別タンクショックアブソーバーを搭載したのはこのマシンだったりする。

他にもポルシェ・911SC-RS、オペルマンタ400、トヨタ・セリカインカムターボマツダRX-7サファリラリーに特化した車両などが存在する。

現代のグループB

グループB消滅後のWRCではの面強いグループAやWRカー等の規定が用いられていたが、2017年WRC人気回復を狙って大規模な力面の規則の緩和がなされ、アップも図られた。

グループBのような自由な発想とはいかないが、ベース車両とは似ても似つかない手なWRカーは、長年地味な見たWRCマシンを見てきたファンたちから「グループBを思い出す」と好評である。また速度WRC史上最高に速く、前世代のWRカーよりより10~15km/hほど速いとされている。

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関連項目

脚注

  1. *実際は「ヘンリ・トイヴォネンがテストF1マシンに乗って6位グリッド並のタイムを出した」事と、「コース若干違うサーキットで、トイヴォネンのデルタS4がそこそこ速いタイムを出した」事が混同され、「F1モナコGPのコースランチアデルタS4で走ったら、当時のF1の6位に相当するタイムが出た」という尾鰭が付いたものと思われる。ちなみにトイヴォネンは元々サーキット出身のドライバーであり、F1ラリーのどちらに進むか迷ったほどの腕前の持ちであることも付記しておく。
  2. *元々WRC(特に南欧ステージ)では沿の観客が度胸試しなどと称して競技走行中の車輌の直前を横断する問題行為が多発していたが、こんなコントロール不能一歩手前の暴走マシン相手にそんなことをするなど正気の沙汰ではない

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グループB

80 ななしのよっしん
2018/09/13(木) 22:29:55 ID: r0wPvcx9t+
この頃って色々言われてる時代だと思うけど、が最も熱かった時代でもあると思う。グループBをまさしく楽しんだ連中はもう年寄りだけになってしまった。哀しい事だ。
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81 ななしのよっしん
2018/09/14(金) 08:11:58 ID: lIMRZYjF5j
来年ラリージャパン復活らしいから、今のグループBっぽいマシンが走るのを日本で見るのが楽しみやで。
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82 ななしのよっしん
2019/02/19(火) 09:05:59 ID: RQGoNyejJ1
技術的に今の選手が凄くない訳じゃないんだが
イっちゃってるのは確実にBの選手の方だと思うわ
今の選手がグループBカー使って同じタイム出せるかって言うと恐らく理だ
グループBの選手は今のマシン使ってもいんだろうが
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83 ななしのよっしん
2019/05/12(日) 19:23:46 ID: lIMRZYjF5j
今の選手だってしばらく乗ってりゃ当時のタイム出すと思うぞ。
人間が年々劣化していってるわけじゃないんだから。
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84 ななしのよっしん
2019/08/02(金) 17:33:13 ID: VDtUBsVRaY
今後は非ホワイト国の意味になるのか
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85 ななしのよっしん
2020/01/19(日) 11:17:32 ID: lIMRZYjF5j
今年のセントラルラリーでヤリスWRC日本田舎や人の前を疾走してる様はまさにグループBを思いこさせる感じで奮したな。
ラリージャパンで各WRマシンが走りまくったらどうなってしまうんだろうか、楽しみ。
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86 ななしのよっしん
2020/10/08(木) 00:59:15 ID: uBHLuJWZvV
>>85
見たかったなぁ
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87 ななしのよっしん
2020/10/08(木) 18:28:56 ID: lIMRZYjF5j
>>86
来年以降に期待しよう。
一応2021年カレンダーには入ってるし。
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88 ななしのよっしん
2021/01/05(火) 22:20:21 ID: FtRFN989U5
二年くらい前のニュースだったが、メトロ6R4の未使用オークションに出たらしい。一色塗装にバケットシートはビニールで覆われオドメーターは僅か7キロ

メトロ色々マニア向け過ぎてDIRT ラリー2位でしか見掛けないから、デッドストックが存在するとは思わんかった
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89 ななしのよっしん
2023/11/21(火) 20:25:37 ID: 42H8fPaM8R
アフリカで現地人催によるグループB再現したらいいのに(金やエンジンはこっそり回して西側諸国がある程度安く提供とりあえずネットで全世界放送)。
あっちだったら事故被害が出ようが継続出来ると思うし。
人権がとか人の命が・・・などいろいろと言われる欧などではグループBは続けられない。被害にあったドライバーには手厚い補償をするようにもしてほしい。
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