グレート小鹿とは、70歳を超えて現役で活動するプロレスラーである。
概要
17歳のとき、出羽海部屋に入門し、相撲界入り。
1963年、プロレスに転向。5月9日、日本プロレスでプロレスラーデビュー。
1967年、大熊元司と共に渡米し、テネシー州、ジョージア州のタッグ王座などを獲得。69年からは単独でヒールレスラーとして活躍。ミル・マスカラスとの金網デスマッチで注目を浴びる。
1970年に帰国。73年に全日本プロレスに移籍。大熊元司と「極道コンビ」を結成し、アジアタッグ王座を獲得するなど、一時代を築く。
1988年7月31日函館大会で一度引退。この時の引退興行は自らプロデュースしている。実際、全日本在籍中はプロモーターも兼務しており、後の実業家としての基礎を築く。引退後も天龍源一郎率いるWARの営業部長として巡業ルートの策定などに携わった。
1994年12月、横浜市に大日本プロレスを設立し、社長に就任。観客動員に苦戦した事から、1995年に現役復帰。兵隊服・ゴルゴ13などのコスプレをしてリングに登場する「コスプレ社長」として活躍。
若手成長と共に最前線に出る事が減少し、2003年には仙台でちゃんこ屋をオープン。関本大介ら選手もスタッフとして働いていたが、選手からは大ブーイングが出る程だったという。そんなちゃんこ屋も2007年に閉店。再び横浜を拠点にするようになるが、自転車販売や歌手デビューと、多くの副業をしようとして、団体経営上副業を快く思わない登坂栄児統括部長(当時)から妨害工作を受けたりする。
2009年、佐々木貴が設立した団体FREEDOMSに選手として上がり、バラモン兄弟らとユニットを結成したり、アイスリボンで里歩・ミスター6号と6人タッグ王座になったりと、高齢とは思えない活躍を見せる。
2011年7月1日付で大日本プロレス代表取締役社長を退任し、代表権のない会長職に就任。
2012年に70歳の誕生日を迎え、2013年にはデビュー50周年を迎えた。日本人選手でデビュー50周年を迎えるのは例がない。
2014年、FREEDOMSでジ・ウィンガ―とタッグを組みタッグ王座を獲得。71歳でのチャンピオンは、当時の日本プロレス史上最高齢となる。2015年には大日本・両国国技館大会で「平成極道コンビ(星野勘九郎・稲葉雅人)」の「叔父貴」として6人タッグ王座に挑み、勝利。日本最高齢タイトルホルダーの記録を73歳2か月22日にまで更新させる。
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関連項目
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