グレート小鹿単語

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グレートコジカ
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グレート小鹿とは、70歳をえて現役で活動するプロレスラーである。

大日本プロレス会長。本名、小鹿信也こじか しんや)。

概要

1942年4月28日生まれ、北海道函館市出身。

17歳のとき、出羽海部屋に入門し、相撲界入り。
1963年プロレスに転向。5月9日日本プロレスプロレスラーデビュー

1967年大熊と共に渡し、テネシー州、ジョージア州のタッグ王座などを獲得。69年からは単独でヒールレスラーとして活躍。ミル・マスカラスとのデスマッチで注を浴びる。

1970年に帰。73年に全日本プロレスに移籍。大熊と「極コンビ」を結成し、アジアタッグ王座を獲得するなど、一時代を築く。

1988年7月31日函館大会で一度引退。この時の引退行は自らプロデュースしている。実際、全日本在籍中はプロモーターも兼務しており、後の実業としての基礎を築く。引退後も天龍源一郎率いるWARの営業部長として巡業ルートの策定などに携わった。

1994年12月横浜市大日本プロレスを設立し、社長に就任。観客動員に苦戦した事から、1995年に現役復帰。兵隊ゴルゴ13などのコスプレをしてリングに登場する「コスプレ社長」として活躍。

若手成長と共に最前線に出る事が減少し、2003年には仙台ちゃんこ屋をオープン関本大介ら選手もスタッフとして働いていたが、選手からは大ブーイングが出る程だったという。そんなちゃんこ屋も2007年閉店。再び横浜を拠点にするようになるが、自転車販売や歌手デビューと、多くの副業をしようとして、団体経営上副業を快く思わない登坂栄児統括部長(当時)から妨工作を受けたりする。

2009年佐々木が設立した団体FREEDOMSに選手として上がり、バラモン兄弟らとユニットを結成したり、アイスリボン里歩ミスター6号と6人タッグ王座になったりと、高齢とは思えない活躍を見せる。

2011年7月1日付で大日本プロレス代表取締役社長を退任し、代表権のない会長職に就任。

2012年に70歳の誕生日を迎え、2013年にはデビュー50周年を迎えた。日本人選手でデビュー50周年を迎えるのは例がない。

2014年FREEDOMSでジ・ウィンガ―とタッグを組みタッグ王座を獲得。71歳でのチャンピオンは、当時の日本プロレス史上最高齢となる。2015年には大日本両国国技館大会で「平成コンビ星野勘九郎・稲葉雅人)」の「叔父」として6人タッグ王座に挑み、勝利日本最高齢タイトルホルダー記録を73歳2か22日にまで更新させる。

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グレート小鹿

1 ななしのよっしん
2015/09/27(日) 13:42:03 ID: FqTw9OwdJu
これWikipeidaコピペ変じゃないのか。
まったく同じ内容あるし、情報記述の順番も全く同じだし。
コピペして削って縮めただけって感じ。
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2 ななしのよっしん
2015/09/30(水) 06:44:10 ID: 4M16DIyCMv
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3 ななしのよっしん
2016/04/14(木) 19:11:51 ID: 9JBpzX0wAe
73歳最後の日にデスマッチ、74歳の誕生日関本大介とのコンビアジアタッグ挑戦とは…
とんでもないお爺ちゃんだ
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