ケーシー・ストーナー単語

ケーシーストーナー

ケーシー・ストーナーexitとは、オーストラリア東海岸・サウスポートexit出身のオートバイレーサーである。

2002年から2012年までMotoGPに参戦した。

ドゥカティワークスレプソルホンダで1回ずつ最大排気量クラスチャンピオンを獲得。

70年あまりのMotoGP歴史の中で異なる2つのメーカーチャンピオンを獲得したのは
ジェフ・デュークexitジャコモ・アゴスチーニexitエディ・ローソンexitヴァレンティーノ・ロッシ
そしてケーシー・ストーナー、この5人しかいない。

現在は故郷オーストラリア々自適の生活を送りつつ、たまにドゥカティテストに参加している。

略歴

1985年10月16日生まれ。

1987年4月、1歳半のころからバイクに乗り始め、ゴールドコーストexitの農場の裏を走り回っていた。

1989年、4歳の頃からダートトラックレースを始めた。

1991年、6歳の頃には父親コーリンバイクで負かすようになった。

1994年、ケーシーの参戦機会を増やすため一家そろってシドニー近郊のハンターバレーexitへ引っ越す。

1998年13歳の頃のダートトラックレース動画があるexit。最初から独走しているのがケーシー

1999年、ケーシーの可性に賭けた両親はレース参戦の機会を増やすためイギリスへの移住を決意した。

2000年には「challenge Aprilia 125」というスペインレースに参戦し3勝を挙げランキング2位

2001年にはスペイン選手権に参戦し7勝でランキング2位

2002年からMotoGPへのレギュラー参戦を始める。この年は250ccクラスで最高が5位。
2003~2004年125ccクラスに移り、2年で2勝・2位5回・3位3回の好成績を収める。
2005年250ccクラスへ移り、5勝してダニ・ペドロサに次ぐランキング2位の好成績を収める。

2006年より最大排気量クラスに参戦。デビュー2戦20173日の若さで予選最速ポール獲得。

2007年ドゥカティワークスに移籍し、10勝して年間チャンピオンいた。

2009年シーズン中盤に病気にかかり3戦欠場、ドゥカティ上層部に厳しい言葉を掛けられる。

2011年レプソルホンダへ移籍し、10勝して年間チャンピオンいた。

2012年5月引退表明。このときまだ26歳の若さであった。

2013年から2015年までホンダテストライダーを務めた。

2016年からはドゥカティテストライダーを務める。

ゼッケン、ヘルメット、愛称

ゼッケン27番は2001年スペイン選手権時代にアルベルト・プーチから与えられたものである。
ちなみにアルベルト・プーチは26番をダニ・ペドロサに、24番をトニ・エリアスに与えていた。

ヘルメットイタリアのNOLANと契約している。
オーストラリア国旗をあしらった配色になっている。星やユニオンジャックがちりばめられている。exit

2001年16歳の時、NOLAN社長アルベルト・ヴェルガーニexitに見出され契約し、ずっと続いている。
当時貧乏だったケーシーヘルメット契約レースに充てており、恩義を感じたようだ。
ケーシーにとってMotoGPは居心地の悪い場所だったが、ヴェルガーニとは家族のように接していた。
こちらexitヴェルガーニとの2ショット写真
ちなみにヴェルガーニはマルコメランドリの個人マネージャーでもあり、記事が多くヒットする。


オーストラリア人なのでカンガルーの入ったステッカーもお好み。exit

KCと書かれる英字記事が散見される。

ストーナーはもちろんstone(石)から来ている。日本に言うと「石井」「石田」あたりになる。

ケーシーは転倒が多く、グラベルに転がり込むことが多かった。
これを「Rolling Stoner」と呼ぶ記事も見られた(ロックバンドローリング・ストーンズにちなむ)
ラベルは砂だけでなく小石も入れてあるので、なおさら上手さを感じる表現である。

ライディングスタイル

ケーシーのライディングはまさに卓越しており、彼を讃えるが絶えることがない。

マックス・ビアッジは「20年に1度の天才」と評している。

アクセルをガンガン開けて、リアタイヤをスライドさせる

アクセルガンガン開けてスピードをどんどん乗せるタイプである。

とにかくスロットワークが上手く、電子制御を最小限にして己の手の感覚だけでマシンを操作するのが
得意であった。子どもの頃のダートトラックレーススロットル操作の腕を磨いたのが生きたのだろう。

リアタイヤのスライド量も尋常でなく、スライドさせてコーナーを曲がる技術は天下一品だった。

ケーシーアクセルの開けっぷりとリアタイヤのスライド量を記録した走行データを見た他のライダー
するのはMotoGPの恒例である。
マルコシモンチェリは「フィリップアイランドサーキットでのケーシーの走行データを見たが、
コーナー出口アクセルを開けるタイミングよりもい。びっくりした」とっている。

ブレーキングを頑タイプではく、バトルに滅法強いわけではかった。
ケーシー自身は、自分はダートトラックレース育ちだからブレーキングが上手くないのだろうと
発言している。ダートトラックレースマシンにはフロントブレーキいからである。

単独走行を苦にせず、集中力がやたらと高い

アクセル一杯開け、レース序盤から差をどんどん広げ、後続をぶっちぎって勝つことが多かった。


単独走行というのはライダーの間でも非常に高く評価される。

ブレーキングポイントを決めるようなお手本がないので、ブレーキングをミスしやすい。
また、前にもいないので刺に乏しく、集中を保つのが難しい。

単独走行は集中が高くないとできない走りで、これができるライダーの方が少ないのである。

セッティングが出ていなくても最速タイムを叩き出す

20092010年にケーシーが乗っていたドゥカティマシンはモノコックのマシンで、
とにかくセッティングが出にくい車両であり、レースごとに乗り心地が変わっていた。
ところがケーシーマシンに合わせて乗る技術に卓越しており、そういうバイクも乗りこなしていた。

2011年レプソルホンダ中本修平HRC社長が「ケーシーセッティングが異なっても
ぴったり同じタイムを出す」と驚嘆しつつコメントしている。

マシンが仕上がっていなくても一杯攻めていくことができるライダーだった。

彼のチーフメカを務めたクリスチャン・ガバッリーニexit「ケーシーは数コーナーでマシンを理解する」exit
コメントしているし、ドゥカティテストライダーミケーレ・ピッロも同様のことを言っている。
とにかくマシン限界を探るのがく、ピットを出てから2周で最速タイムを出していたこともある。

こういうことができるのは後にも先にもケーシーだけだとのが多く聞かれる。

セッティングを出すのに固執しない

セッティングが出ていなくても速く走ることができたので、セッティングを出すのに固執しなかった。

他のライダーセッティングを詰めるため必死練習走行を続けている一方で、
ケーシーはあまり長く練習走行をせず、さっさとピットに戻っていた。

後述するように他のMotoGPライダーべて体が少し劣ることもあり、
ケーシー練習走行のロングランを好まなかった。
ロングランなど何の意味があるんですか。やる必要がい」と言ったこともある。
レース距離を走るロングランは一度もやったことがかった。

このためセッティングを出すダニ・ペドロサヴァレンティーノ・ロッシあたりの達人級とべて
少し劣ると言われている。

ウォーミングアップラップを遅く走り、スタートグリッドに必ず最後に到着する

MotoGP決勝の流れは以下の通りである。
まずはピットで待つライダーが映され、時間が来たらピットを出てサイティングラップを行う。
するとスターティンググリッドにメカニック持ちグリッドガールが集まっているので、そこに行く。
スターティンググリッドでテレビカメラがやってきて、ライダーやグリッドガールを映す。
時間が来たらグリッドガールメカニックが退散し、ライダーだけになる。

そして1周のウォーミングアップラップが行われ、全員スターティンググリッドに付く。

このウォーミングアップラップで、ケーシーは必ず他のライダー全員を先に行かせる。
ゆっくりしたペースで走り、必ず最後にスターティンググリッドへ到着する。
他のライダーエンジンを回しながらスターティンググリッドで待っているので、
エンジンのラジエーターの温が少し上がっており、エンジンにとってやや厳しい状態になる。
ケーシーは少し有利になるのだった。

だからといってもケーシー真似をしなかった。なぜならケーシーのように遅く走ると、
タイヤがあまり温まらず、1周を速く走れないのである。

2010年ムジェロサーキットヴァレンティーノ・ロッシは転倒して折したが、
その原因はスロー走行だった。アラビアータ2を越えたあたりでスロー走行をして、
他のライダーがいなくなるのを待ったのだが、スロー走行のせいでタイヤが冷えてしまった。
冷えたタイヤ理に走ってしまい、ビオンデッティでの大転倒につながってしまったのだ。

ケーシーはウォーミングアップラップゆっくり走り、それでいてタイヤも温めることができた。
これは全く理解に苦しむことであった。
ケーシーはウォーミングアップラップでどういうことをしていたのだろうか。

ケーシーはいつも1周から速く、出遅れることもなかった。
つまりウォーミングアップラップタイヤが十分に温まっていたのである。

転倒が多い

転倒が多いライダーであった。
ブレーキングをミスしてフロントタイヤを滑らせてスリップダウンする転倒が圧倒的に多かった。
アクセル操作を失敗してリアタイヤを滑らせるハイサイド転倒は非常に少なかった。

かなり神経質で、気負いすぎる、り切りすぎる、焦ってしまう、をする、そういう性格だった。
それゆえレース序盤の転倒が非常に多い。
レース序盤を事に乗り切ると気負いが薄れて落ち着くらしく、レース後半の転倒は非常に少なかった。

得意なサーキット、不得意なサーキット

フィリップアイランドサーキットで恐るべき速さを発揮し、6連覇を達成している。
このサーキットが強く、路面温度も下がりやすい。レース中にが降ってきたこともある。
アクシデントが起こりやすく難しいサーキットなのが、まるで苦にせず圧勝し続けた。

ロサイル・インターナショナルサーキットでも強く、5勝を挙げている。
ここはコース幅も広くてアクセルをどーんと開けることができる。ケーシーにはピッタリである。

高難易度コースラグナセカでも3勝。


本人が苦手だと言っていたのはヘレスサーキットである。
コース幅が狭くてコーナーが多くて、アクセルをどーんと開けられないのが嫌だ」と言っている。
2007年から2010年ヘレスサーキットを苦にするドゥカティマシンだったのも拍をかけた。

体力が少し劣る、2009年の乳糖不耐症

MotoGPライダーは筋々のフィジカルお化けばっかりなのだが、ケーシーはさほどでもない。

2006年チーフメカを務めたラモン・フォルカダは「ケーシー体はギリシャ彫刻というほどでは
なかった。それほどガチガチに鍛えていなかった」とコメントしている。
実際、ライバルトレーニングに励むシーズン中の休みに、ケーシースイス釣りをしていた。

食も細かったようで、モリモリ食べまくるタイプではかった。

他のライダーべると体が少しだけ劣るので、ロングランも嫌っていた。

2009年シーズンっ最中に原因不明病気にかかり、吐き気や衰弱に襲われた。
あまりの病状の酷さにレースを3つ休場する羽になった。

多くの医者に診てもらったがもさっぱり分からない。ケーシー絶望のあまり引退を考えたという。
そんな中、ある1人の医者が血液検の数値を詳しく見て、グルコース糖、塩分の不耐性、
全てを検し、塩分糖の混合が原因だ、つまり糖不耐症だと診断した。
この診断は正解で、ケーシーは食事を変え、製品を避けたらすぐに治った。
「あの名医に出会えて良かったよ」とケーシーは振り返っている。

この休場中のメディアのバッシングは酷く、さらにはドゥカティの上層部からの糾弾もしかった。
このドゥカティの上層部の対応に不信感を抱き、ケーシー2010年ホンダへの移籍を決意した。

もともとドゥカティの上層部にはケーシーを高く評価するが少なく、それは給料の額に表れていた。
2007年イタリア人のロリスカピロッシよりもずっと少なかった。
2008年イタリアマルコメランドリの半分だった。
2009年にはやっと給料が上がったが、2009年糖不耐症欠場の最中に、
ドゥカティの上層部はホルヘ・ロレンソをケーシーの倍の給料で引き抜こうとした。
このことをリヴィオ・スッポから聞かされたケーシーは不信感を募らせたのだった。

ちなみに糖不耐症を避けるための食事生活にはなかなか慣れず、2010年には父親コーリン
「ケーシーを盗んで好物の製品をこっそり食べてるんだよ、困っただ」と発言している。

レースキャリアの前半はLCRに所属

2002年MotoGPデビュー2003年2005年2006年、これらの年はチームLCRexitに所属していた。

チームLCRはイタリアルーチョ・チェッキネロexitオーナー監督を務めるプライベートチームである。
ルーチョの性格もあって非常に庭的な雰囲気のあるチームであり、単身でヨーロッパに乗り込む
ケーシーにとって(両親は2002年オーストラリアに帰していた)LCRは良いチームだった。

ところがケーシーは転倒が多く、たびたびルーチョの財布を攻撃していた。
マシンが転倒すると部品が損壊するのでそのたびに買い直さねばならない。
ルーチョはイケメンで爽やかでありexitからも好かれる性格でスポンサーをかき集めるのが上手い。
だが限にお金を貰えるわけではない。ケーシーが転ぶたびルーチョは預通帳を確認するのだった。

ケーシーの転倒癖が頂点に達したのは2006年の最大排気量クラスルーキーイヤーだった。
ロッシ、加藤大治郎、ホルヘ・ロレンソマルク・マルケスといった天才も最大排気量クラスの初年度は
転びまくっており、ある程度の転倒はしょうがないのだが、それにしてもケーシーの攻めっぷりは凄く、
転倒に次ぐ転倒だった。
最大排気量クラスマシンや部品は250ccクラスのものよりも高額であり、チームLCRは財政難になった。
メカニックの給料も満足に払えない状況になったという。
ルーチョは泣きながらメカニックに混じって作業したのだった。

ちなみにチーフメカとしてケーシー・ストーナーの躍進を支え続けたクリスチャン・ガバッリーニexit
2003年からLCRで働き始めた人である。2007年にケーシーと共にドゥカティに移籍していった。

怒り

MotoGPライダーにはが多い。時速350kmで戦い危険な状況に身をさらすからしょうがない。

の代表としてケーシーの名前が挙がることが多い。

コース上で走りを邪魔されるとしく怒る。手を振り、怒りを一杯露わにする。
2010年のころのアレイシ・エスパルガロはいっつもコース上でケーシーに怒られていた。
2011年にはランディ・ドプニエに邪魔され怒り爆発コース上で肩を殴っているexitこれが動画exit
さすがにやり過ぎたと思ったかケーシーはすぐに謝罪した。また運営に5,000ユーロの罰を課せられた。

ピット内でライダーと怒鳴り合いになることもあった。
2011年イタリアGPではカレルアブラハムコース上で接触、怒った両者はピット内で
壮絶な口論になった。取っ組み合いにならないようにスタッフが気を揉んでいた。

ピットメカニックに怒鳴ることも多かった。それも特にドゥカティワークス時代は多かった。
リヴィオ・スッポは「ケーシーが感情的になって荒れるのはいつものことでした」と発言している。

荒れるだけ荒れると気分がスッキリするのか、チームメイトに対しては大変なナイスガイで、
情報交換も積極的で親切そのもの、チームの雰囲気を良くする好青年だった。
ドゥカティワークス時代もニッキー・ヘイデンと熱心に情報交換していた。

2010年までのレプソルホンダダニ・ペドロサアンドレア・ドヴィツィオーゾで、この2人は
仲が悪く、話しかけることもせず、それどころか走行データ提供も相互に拒否していた。
そんななか2011年にやってきたケーシーは2人にもよく話しかけ、情報交換もした。
ケーシーに釣られてダニやドヴィも走行データ開するようになっていた。

全くのチーム外であるベン・スピーズにも親切にしており、走行について情報交換し、親切にしている。

2015年鈴鹿8耐の転倒の後もチームメイトに「申し訳ない」と何度も謝っていた。

ヴァレンティーノ・ロッシとの因縁

2006年20173日の若さで最大排気量クラス2戦にして初ポールを獲得。
2007年21342日の若さで最大排気量クラスチャンピオンを獲得。当時史上2番若さだった。

自分より6年8ヶ年下の若者が恐るべき速さを見せたことによりヴァレンティーノ・ロッシは焦り、
メディアを通じて数々の精神攻撃を仕掛けることになる。

ロッシはケーシーを「電子制御時代の申し子だ」「電子制御があったから勝っただけだ」と挑発、
あるいは「走りに迷いがあり、未熟だ。ブリジストンタイヤの恩恵を受けているだけだ」とも言った。
開発が高いロッシの言葉として各メディアに受け、さんざんこのネタくことになる。

実際はロッシの見立ては間違っており、ケーシーは電子制御を嫌うタイプであった。
また、ブリジストンタイヤの総責任者の山田さんが「走行データを見るとケーシー
他のブリジストンユーザーべても飛び抜けていることが分かる」と発言している。

とはいえヨーロッパメディアのケーシー叩きは加熱した。
ロッシのファンが多いのでケーシー悪役にしてけば売れる。そしてケーシーヨーロッパ
大量のロッシファンからブーイングを浴びることになった。
ケーシーは「ブーイングを浴びずに済んだのはオーストラリア日本だけだ」と発言している。

ケーシー少年時代イギリスで過ごしており、そこでは友達も多くできて楽しい時間を過ごした。
しかしそのイギリスでロッシファンにしくブーイングを浴びる。
イギリスブーイングされるのはなんて悲しいことだろう」と発言している。

ヴァレンティーノ・ロッシは自分の支持者が他のライダーブーイングを浴びせても決して制止しない。
「ストーナーやロレンソやマルケスにブーイングするのは止めてくれ」と言うことがない。

ロッシの精神攻撃は続き、2010年には「ケーシー練習走行は短すぎる。来年がそのマシン
乗るんだから、もっと長く走ってしっかり開発しろ」と言ってみたり、
ジェレミー・バージェスと共に「ケーシーの開発は低い」とコメントしたり、散々だった。

こういう精神攻撃に対してケーシーリヴィオ・スッポと共に反撃を開始、
2008年のラグナセカのパッシングexitルール違反だ。全にコースオフしている」
「他の選手がやったならペナルティを受けているはずだが、ロッシが反則してもペナルティがない」
「ロッシはドルナに贔屓されている」とことあるごとに批判したが、なかなか勝ちきれなかった。

形勢が逆転したのは2011年以降だった。
2010年シーズン末にケーシーが6戦3勝2位1回と好成績を収めたドゥカティマシンに乗るも勝てず
絶不調のどん底に陥ったロッシに対して、ケーシーは壮絶な報復をするのである。

「ロッシには幻滅した」
ニッキー・ヘイデンやエクトル・バルベラにも負けて、自慢にもならない。恥ずかしいことだ」
「本人も言うとおりロッシは璧なマシンじゃないと攻めることができない。これを手抜きと言うんだ」「ドゥカティに文句だけ言って何も勝てず、出ていった。ドゥカティのみんなが可哀想だ」
ドゥカティでキャリアを終えたいと言っていたのに見捨てようとする。残留すべきだ」

・・・相当に憤が溜まってたことがうかがえる。

引退してもロッシに関してはときおり厳しい弾をしている。
2015年10月マレーシアGPでロッシとマルク・マルケスの接触事件が発生した後、
すぐさまTwitterに「もし他のライダーがロッシと同じことをしたら、即座に失格になっただろうexit
と書き込んでいる。ロッシはドルナに甘やかされていると批判したのである。


ちなみに、ケーシーホルヘ・ロレンソダニ・ペドロサ相手には一切口撃せず、正々堂々、
スポーツマンシップに則って、フェアにクリーンに戦いを挑んでいる。

ケーシー精神攻撃してくる相手には精神攻撃し、修行僧みたいな相手には修行僧のように接する。
まさしくのような人なのである。

家族

ケーシー。とても美人なのでドルナ際中継カメラに良く映った。

体が許す限り全てのレースに帯同、ピットに詰めかける。
レース前のスターティンググリッドで必ずを持ち、ケーシーの隣に立っていた。
たまに、出走直前のケーシーに対し、ヘルメット越しにキスしていた。動画1exit
レース中はケーシー用の椅子に座って応援するのが定番だった。
3位以上でレースが終わってパルクフェルメに戻るケーシーからヘルメットグローブを受けるのは
ドリアーナの役だった。

1989年生まれ、オーストラリア南部のアデレードexit出身。旧姓はTuchyna。は2輪レーサーだった。

ケーシーと出会ったのは2003年オーストラリアGP、彼女14歳の頃であった。
このとき「おサインして」とケーシーおねだりしている。

2人はに落ち、2007年1月6日にアデレードで結婚式を挙げた。ケーシー21歳、アドリアーナ18歳
結婚してから心が落ち着くようになりました、とケーシーコメントしている。

2011年11月の最終戦バレンシアGPにも来ている。
2012年2月出産2012年シーズンの序盤3戦は欠場し、4戦フランスGPから復帰した。
2012年11月バレンシアGPをもって惜しまれつつもMotoGPパドックを去って行った。


この画像exitやこの画像exitから、抜かりなく体を鍛えていることがわれる。

ドゥカティホンダでケーシーの良き理解者だったリヴィオ・スッポexitはこうっている。
「ケーシー仕事の話になるといつも必ずアドリアーナに向かって『ちょっと席を外してくれないか』と
言っていた。それを聞いてアドリアーナはすぐに他の部屋に移っていた。
女房が仕事の話に割り込むという夫婦も多いが、ストーナー夫妻はそうではなかった」

実際にこの有名なシーンでexit、アドリアーナはヴァレンティーノ・ロッシとケーシーの会話が
始まるや否や、すぐに他のスタッフの後ろに引っ込んでいる。

ケーシーの長女。称はAlly。この画像exitを見るとすごく母親に似ている。

2012年2月16日スイスローザンヌで生まれる。
ストーナー夫妻はシーズン中をスイスローザンヌで過ごしていたので、そこの病院に入ったのだった。
誕生を祝ってBMWがベビーカーを贈っていたexit

2012年5月フランスGPからアドリアーナに連れられてサーキットに来ていた。
こんな感じの画像exit映像に映っていた。

2015年7月鈴鹿8耐のため両親と共に来日、観光を楽しんだ。画像1exit画像2exit

ケーシーは「には釣りバイクを必ず教える」とり切っている。
順調にアレサンドラも染まってきている模様  画像1exit画像2exit画像3exit画像4exit画像5exit

ケーシーの次女。2017年10月6日生まれ。

2017年のケーシーはろくすっぽドゥカティテストに参加せずオーストラリアにいたままだったが、
それはこういう事情があったからである。

ケーシー1999年にケーシーの可性を確信し、農場を売り払い一家そろってイギリスに移住した。
なかなかぶっ飛んだ人と言えよう。

このときのイギリスでの生活はキャンピングカーでの放浪生活で、かなり貧しいものだったという。
イアン・ニュートン(Ian Newton)exitという、元2輪レーサーで当時はアプリリアの育成レース
催していたイギリス人が「ウチの庭にを留めなよ」と言ってくれたらしい。
ケーシーニュートンに居している。

このときの貧乏暮らしのためか、ケーシードゥカティワークス契約して大を手に入れたら、
即座にオーストラリアの農場と1,000頭を購入して、コーリンに恩返ししている。

2002年にケーシーMotoGPに参戦し始めてから、ケーシー両親はオーストラリアに戻っている。

ケーシー現役時代はコーリンマネージャーを務めていた。ケーシーと何か契約したいのなら、
コーリンを通さなければならなかった。

2012年シーズン序盤にレプソルホンダの首である中本修平HRC社長リヴィオ・スッポ
ケーシーに高額の契約を提示したが、ケーシーの答えは「今年で引退します」だった。

このとき提示された契約の額を知ったとき、コーリンは「息子は気が狂っている」とコメント

この契約の額は中本修平HRC社長も「ホンダの重役の会議で『気でも触れたか』と言われたが、
『ケーシーを引き止めないとまずい。この額が必要』と懸命に説得して許可をもらった」と言っており
ケーシーもその額を見て自分の評価が高いことに満足したという。

ケーシー2011年オーストラリアGPでは一家揃って写真に写っているexit

釣り、狩り、ゴルフ、ラジコン

ケーシーは多趣味で忙しい。特に大自然に囲まれるのが大好きで、シーズンオフオーストラリア
を乗り回し、野菜を少しだけ持っていて外出してキャンプってしばらく滞在、
釣り狩りで手にした獲物をその場で焼いて食べる、そういう遊びを好んでいた。
まさしく純田舎青年だった。

シーズン中はスイスローザンヌ近くのジュネーヴ湖(レマン湖)exitのそばの一軒
シーズンオフオールトラリアメルボルンから40kmほど離れたグレンバーンexitの農場。
どちらもド田舎である。

2009年中盤まではモナコモンテカルロexitに住んでいたが、糖不耐症による欠場とそれへの批判
的に参ってしまい、スイスローザンヌexit近くのジュネーヴが見える一軒に引っ越したのだった。

釣り

ケーシー趣味といえばまず釣りを挙げねばならない。
綺麗なを見つけたらそのほとりキャンプり、1日中釣りをする。気が向いたらに飛び込み泳ぐ。
これをシーズン中も行っていて、「レースのことを忘れられるから最高だ」と言っていた。

ものすっごく嬉しそうな笑顔の画像もある 画像1exit画像2exit画像3exit画像4exit画像5exit動画1exit

狩り

ケーシー狩りが好き。猟銃は使わず、昔ながらの矢を使うのが好み。こういうのexitを使う。

動物の様子を見ながらコッソリ近づくのだが、動物の移動のクセ、太陽の位置、の向き、
こういうのを考慮しなければならない。上手く仕留めたときは楽しくてしょうがない、と言う。

ゴルフ

ケーシーゴルフもやる。 画像1exit画像2exit画像3exit画像4exit画像5exit

ラジコン

ケーシーラジコンも好きで、Twitterにその手の画像が多く上がっている。

特にヨコモexitが好きらしい。 画像1exit画像2exit画像3exit画像4exit画像5exit

ヨコモのクレカ並みの小さなに感するケーシー 画像1exit画像2(「メール便」という字が見える)exit

ヨコモの経営する田部アリーナレースに参加 画像1exit 動画1exit レース結果1exit

フタバexitコントローラーがお好み 画像1exit画像2exit

SOREXタイヤに感するケーシー 画像1exit

特注ボディを手にしてご満悦のケーシー 画像1exit画像2exit

ドローン(クワッドコプター、クワッドローター) 画像1exit


ケーシーゴールドコーストexitに住んでいて、その近くのラジコン屋やラジコンサーキットに出没する。

ゴールドコーストのラジコンRippitを訪れるケーシー 画像1exit

ゴールドコーストのサーキットGCRCを訪れるケーシー 画像1exit画像2exit

秋葉原ラジコン店を訪れるケーシー 画像1exit画像2exit画像3exit

その他の雑記

ワークスライダーとしての宣伝活動やPR活動をあまり好まず、セレブ扱いされるのも大嫌いだった。
レースをやるためだけに来ているんだ」という気で、根っからの職人肌という感じだった。

レース前はひたすら集中するタイプだった。
ピットの中でもカメラに気付いて反応することは非常に少なかった。まれに親を上げるくらい。
スターティンググリッドに付いてからは集中度MAXで、カメラ想を振りまくことを全くしなかった。


スーパーバイクライダーは親切でライダー同士の情報交換も盛んだが、
MotoGPライダーは世知辛い人が多くライダー同士の情報交換を行おうとしない。
2010年MotoGPへ移ってきたベン・スピーズスーパーバイクノリで色んなライダーに話しかけたが
多くのライダーに冷たくあしらわれてしまっていた。
そんな中、ベンに親切に教えたのは、コーリン・エドワーズとケーシー・ストーナーだった。
コーリンスーパーバイク出身だから親切にするのもおかしくないが、
ケーシー・ストーナーが親切にしてくれたのは意外だった。
これ以来、ベンとケーシーは非常に仲が良い。一緒に釣り狩りをするほどである。
ピーズ夫妻に合いにアメリカへ行くストーナー夫妻 画像1exit画像2exit画像3exit

関連項目

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