ゲイリー・ムーア(GARY MOORE 本名ロバート・ウイリアム・ゲイリー・ムーア 1952年4月4日~2011年2月6日)とは、北アイルランド出身のGUITAR CRAZYである
概要
マシンガン・ピッキングと称される速弾き、哀愁を感じさせる泣きのギターで多くのフォロワーを生むだけでなくギターソロを弾く際、特にチョーキングをする時は感情が昂るのか物凄く顔に出ることが多く、“顔でギターを弾く男”を体現するギタリストとして知られている。
1969年にSKID ROW(アイルランドのバンドの方)でデビュー。70年代にはColosseum II、THIN LIZZYに在籍。
1978年に『BACK ON THE STREET』でソロデビューをする。
1980年にG-FORCEを結成、デビューをするが、アメリカでの配給先が見つからない上に、ライブにおけるメンバーの演奏に失望し解散を決めるがこの事が原因でジェット・レコードの社長であり、ロック界の悪徳マネージャーとして知られるドン・アーデン(シャロン・オズボーンの父)の怒りを買い、契約違反であるとして数年ほど自由に活動が出来なくなる。
1982年にはドン・アーデンとの問題も解消し、アルバム『Corridors Of Power』をリリースし、日本でヒット、初来日公演を果たした。
1985年には元THIN LIZZYのフィル・ライノットとの共作シングル『OUT IN THE FIELDS』をリリースし、イギリスでヒットした。
余談であるが、「OUT IN THE FIELDS」は後にドイツのヘヴィメタルバンド「HELLOWEEN」が「守護神伝 Part2」に収録された「I WANT OUT」でリフやコード進行をパクっているのは有名なエピソードである。(この件に関してマイケル・ヴァイカートがBURRN!誌のインタビューで認めている)
2011年2月6日、スペインで休暇中に眠ったまま急死。
数日後に心臓発作である事が発表された。58歳だった。
急逝する前年あたりからハードロック時代の曲を再びセットリストに入れはじめたため、
特に日本ではハードロック路線への回帰を期待されていた矢先の悲劇であった。
仕様機材
ギター
以下、代表的な物を挙げていく
- ギブソン、レスポール・スタンダード
1959年製。元フリー・ウッドマックのピーター・グリーンからたった200ドルで譲ってもらったと言われる代物。
1973年頃に「ゲイリー・ムーア・バンド」の頃から使用。2006年に様々な事情で手放している。
専門家曰く、かなり使い込まれており、ネックも一度折っている為、ヴィンテージギターとしての価値はかなり低いとのことであるが、ゲイリー・ムーアが使っていたという意味では希少価値が高いとのことである。 - フェンダー ストラトキャスター
1961年製。通称「サーモンピンク」カラーのストラト。80年代初期に使用されたギターであり、「CORRIDORS OF POWER」でストラトとは思えない図太いギターサウンドを奏でている。
元々はグレッグ・レイク(EL&P)に譲るギターだったそうだが、レイクが「いらない」と言ったのでゲイリーが所有する事になった。内心、ゲイリーはこのギターが気に入っていたようで、レイクが「いらない」といった事にホッとしたとの事である。
曰くチューニングが安定しないので「VICTIMS OF THE FUTURE」(1984年)のレコーディングではかなり苦労したとの事。 - シャーベル ストラトタイプ
初めて使用したのはG-FORCE時代(1980年)の豹柄のギターで、ピックアップにはディマジオ社の製品(機種は不明)が使われていた。
その後、アルバム「RUN FOR COVER」(1985年)では1ハムにフロイドローズと言う当時流行だったLAメタル系スタイルのコンテンポラリーギターを所持していた。ピックアップはEMG。
1989年のハードロック路線の頃まで使用。 - ジャクソン ソロイスト
1987年リリースのアルバム「WILD FRONTIER」の頃より使われていたギター。
「夜のヒットスタジオ」出演時にもこのギターと共に出演した。(因みに演奏は当て振り&口パク)
こちらもハードロック路線の頃まで使用していた。
その他、1985年から1989年までにヘイマー、ポール・リード・スミス、ヘリテイジ等のメーカーのギターが実験的に使用されていたが、1990年代のブルース路線以降はギブソン・レスポールに落ち着いている。
アンプ
アンプに関しては基本的にマーシャルを使用しており(一部の写真にはハイワットをバックに演奏している物もある)
1970年代には1959、80年代にはJCM800、2000年代にはJCM2000等を使用しているが
中にはフェンダー・ツイン・リバーブ、ソルダーノ製のアンプも使用していたことがある。
追悼動画
豆知識
- 日本公演は1983年、1984年、1985年、1987年、1989年、2010年に行われている。
特に1989年以降、21年以上来日公演が行われ無かった理由として「日本人が捕鯨を止めないからだ」と言うゲイリー流のジョークが本気とされていた時期があったが、実際には1989年の来日公演中に体調を崩してしまい、体調を崩したままコンサートを続けた事がトラウマになってしまった事、日本でブルース路線が思った以上に評価されていない事にプロモーターやレコード会社等がビジネス面で赤字になるのを恐れていた為だと言われている。 - 1984年に浜田麻里とYOUNG GUITAR誌で対談。この縁がきっかけなのか「LOVE LOVE LOVE」と言う楽曲を提供。浜田のアルバム「RAINBOW DREAM」に収録されている(ギターは松本孝弘が弾いている)。
なお、ゲイリー本人が歌った物としてはアルバム『Corridors Of Power』のデジタルリマスター盤の「Love Can Make A Fool Of You」と言うタイトルで収録されており、浜田版とはアレンジが異なっている。 - 1986年には本田美奈子.に「the Cross -愛の十字架-」を提供。この楽曲もゲイリーによるセルフカヴァーが存在し、1987年にリリースされた『WILD FRONTIER 』に「Crying In The Shadows」と言うタイトルで収録されている。こちらもアレンジが異なっている。
- ゲイリーが基本的に使用している弦のゲージは高音弦から.010-.052と太めであり、しかもレギュラーチューニングで使用している。(因みにスティーヴィー・レイヴォーンは半音下げチューニングで.013-.056)。
高音部はそこそこのテンションだが、低音側はピンと張った感じである。
バッキングの音色のみ(特にパワーコード)を厚くしたいと言う方はゲイリーの弦のセッティングを真似てみるといいかもしれない。
ただ、ゲイリー曰く「エドワード・ヴァン・ヘイレンは細い弦で太い音を出しているから弦のゲージは関係ない」とのこと。
因みにゲイリーが太い弦を使用している理由は、ギターを弾き始めた頃に使っていたギターの弦が最初から太めの物だった為、そのまま継続して使っているとの事。
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関連項目
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