基礎データ | |
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正式名称 | コソボ共和国(コソボ・メトヒヤ自治州) Republic of Kosovo Republika e Kosovës |
国旗 | ![]() |
国歌 | Hymni i Republikës së(Europe) |
公用語 | アルバニア語・セルビア語 |
首都 | プリシュティナ |
面積 | 10,887 km²(世界第175位) |
人口(’09) | 約180万人(世界第148位) |
通貨 | ユーロ(EUR) |
コソボとは、バルカン半島の中央で旧ユーゴスラビアのセルビアの一部に位置する地域の事。ヨーロッパに属する。ブーツ型の国イタリアの、ヒールの右側ぐらいにあると思ってくれれば良い。
2008年2月18日に独立を宣言している。2015年8月時点で日本を含め、国連加盟国の111ヶ国(約57.5%)が独立を認めているが、安保理常任理事国のロシアや中国をはじめとした国家は承認しておらず、国際社会的には認められていない。
概要
正式名称はコソボ共和国。又はコソボ・メトヒヤ自治州。岐阜県程度の大きさ。歴史などの詳しい概要などはWikipediaにまかせてここでは簡単な経緯について述べる。
国民はアルバニア人が88%・セルビア人が7%を占める(2009)こういう地域がセルビア(ユーゴスラビア)内にあったから大問題[1]。民族紛争の例に漏れず、互いの血を血で争う抗争に発展。
一方セルビア政府もセルビア王国の発生の地であり、世界遺産にも指定されている中世セルビアの建造物群があるコソボを独立させたくは無い。アルバニア人比率が高いなら低くすれば良いじゃないと、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(1992-1995)のセルビア人難民を入植。セルビア人比率は高まったが、逆にアルバニア人の反感を買って1996年本格的なコソボ紛争へ突入。その後、双方泥沼の民族浄化運動が続くコソボを見かねたNATOが俺が統治するとか何とか言って1999年にセルビアを空爆し、平和維持軍を駐屯させた。この時すでにセルビアの実質支配から脱出していたのだが、2007年に政権が急進派に移ったことをきっかけに、2008年に念願の独立にいたった。
しかし長年の紛争のために、旧ユーゴスラビアの中で最も開発が遅れた地域でもあり、長年政府からの支援に依存していたため経済構造が作られていない。住民の多くは海外移民からの送金、外国援助に依存。また、麻薬取引、人身売買、密輸など組織犯罪の蔓延が指摘されている。
また、独立も、中国やロシアをはじめ独立問題を抱えているスペイン・キプロスなどから認証を拒否されているため、EU内部でさえまだ認められていないのが現状。国際社会に認められるのはまだまだ遠そうである。
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関連項目
脚注
- ^もともとセルビア人が多くすむ地域だったが、セルビアがオスマン・トルコ帝国に支配されていた時代にこの地域に住んでいたセルビア人(セルビア正教徒)が移住したため、帝国側がイスラム教徒であるアルバニア人を入植させた。アルバニア人側はセルビア人の移住する前(6世紀ごろ)に祖先が住んでいたと主張している。詳しくはやっぱりWikipedia
参照。
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