コモン(Common)とは、1888年生まれのイギリスの競走馬・種牡馬。
史上5頭目の英国クラシック三冠馬にして、古今東西の三冠馬の中でもトップクラスのシンプルな競走成績を持つ馬。馬名は「普通の、一般的な、ありふれた」という意味を持つ英単語。
概要
父Isonomy、母Thistle、母父Scottish Chiefという血統。父アイソノミーは現役時代に長距離戦で活躍した新鋭種牡馬で、母シスルも4勝を挙げている。母父スコティッシュチーフは英ダービー3着の後、3歳でアスコットゴールドカップを勝利した。
身長は160cmを超える大柄な馬で、馬体も筋骨隆々ではあったが、成長が遅かったため、ジョン・ポーター調教師は本馬を2歳中は出走させなかった。
成長した本馬は、同厩のOrionという期待馬を調教でカモっていたためデビュー前から評判になっていた。そして1891年4月、本馬はジョージ・バレット騎手を背に2000ギニーでデビューを迎えた。9頭立てで本馬は単勝8倍と抜けた人気になっていたわけではなかったが、蓋を開けると残り2ハロン地点で全くの馬なりのまま先頭を奪い、3馬身差を付けて完勝。デビュー戦にしてクラシックを制した。
続く英ダービーは雹混じりの暴風雨で馬場は田んぼ同然となり、更には濃霧のため視界が悪いという劣悪な天候の中で開催された。それほど見栄えが良くなかったらしく、文字通り凡庸(common)な見栄えと酷評する向きもあったようだが、結局再び馬なりで抜け出して2馬身差で勝利した。
その後セントジェームズパレスSを勝利し、エクリプスSに出走。初の古馬対戦ながら単勝1.5倍の支持を受けたが、スタートから先頭争いを展開したのが災いして、1歳上の2000ギニー馬Surefootの3着に破れた。
秋のセントレジャーでは、1000ギニー・オークスを制した牝馬Mimiも出走してきて、牡牝の三冠をかけた戦いとなった。しかし実際に本馬を追い詰めたのは逃げたフランスの有力馬Reverendであり、最後の最後でようやくこれを交わして1馬身差で勝利した。
これと前後してオーストリア政府から本馬を1万4000ギニーで購入したいという申し出があったが、その直後に1万5000ギニーで買うという実業家が現れたため、オーナーサイドはこの人物に本馬を売却した。その後はレースに出走することなく競走馬を引退した。通算成績は5戦4勝3着1回、デビューからラストランとなったセントレジャーまでの期間は僅か5ヶ月であった。
種牡馬としては1000ギニーの勝ち馬Nun Nicerを出したもののそれ以外はパッとせず、最初に200ギニーだった種付け料は最終的に19ギニーにまで下落してしまった。牝馬の活躍馬が多く、ヨークシャーオークスを勝ったFairmileも出している。
1912年12月、24歳で死亡。直系は発展せずに途絶えてしまったが、産駒の牝馬の牝系子孫は現在でも残っているものがあり、例えばNun Nicerの牝系は日本ダービー馬タニノハローモアを出しつつ現在まで細々ながら続いている。
血統表
Isonomy 1875 鹿毛 |
Sterling 1868 鹿毛 |
Oxford | Birdcatcher |
Honey Dear | |||
Whisper | Flatcatcher | ||
Silence | |||
Isola Bella 1868 栗毛 |
Stockwell | The Baron | |
Pocahontas | |||
Isoline | Ethelbert | ||
Bassishaw | |||
Thistle 1875 鹿毛 FNo.4-c |
Scottish Chief 1861 鹿毛 |
Lord of the Isles | Touchstone |
Fair Helen | |||
Miss Ann | The Little Known | ||
Bay Missy | |||
The Flower Safety 1860 黒鹿毛 |
Wild Dayrell | Ion | |
Ellen Middleton | |||
Nettle | Sweetmeat | ||
Wasp |
クロス:Birdcatcher 4×5(9.38%)、Touchstone 4×5(9.38%)、Bay Middleton 5×5(6.25%)
- 母シスルは本馬の後にもセントレジャーを勝った牝馬Throstleなどを産んでいる。牝系は現在でも残っており、スマイルトゥモロー(優駿牝馬)、クリールカイザー(アメリカジョッキークラブカップ)、リリーノーブル(GI入着3回)などが子孫に当たる。
主な産駒
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関連項目
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