コージー・パウエル(Cozy Powell)とは、イギリス出身のドラマーである。
概要
1947年12月29日、イングランドのグロスタシャー州で生まれる。
12歳の時に学校のオーケストラでドラムを担当したことからそのキャリアを始め、1960年代はセッションドラマーなどの活動を行う。
1970年以降は、JEFF BECK GROUPで一躍その名を轟かせると
リッチー・ブラックモア率いるRAINBOWに加入。リッチー、ロニー、コージーの所謂「三頭政治」時代と呼ばれる黄金時代を築き、初来日公演でのそのパワフルなツーバスから繰り出すプレイで忽ち日本のファンを虜にさせた。
しかし、三頭政治の一角であるロニーがRAINBOWのポップ化に反発して脱退した辺りからリッチーとの雲行きも怪しくなる。(元々コージーの方が先に脱退するはずだったが、マネージメントに慰留されて留まったという経緯がある)
しかし、当のロニーとは後年険悪な関係になったのに対して後任のグラハム・ボネットとはビーチ・ボーイズ好きが共通する等親友と呼べる程仲が良かったりする。
しかし、増々ポップ化を強めるリッチーとの溝は埋まらず、1980年に行われた’モンスターズ・オブ・ロック’を最後にRAINBOWを脱退する。
その後MICHAEL SCHENKER GROUPに加入して3度目の来日を果たすなどM.S.G.で活動を続けると思いきやマイケル・シェンカーと大ゲンカして脱退。
その頃、M.S.G.のVo探しで声を掛けていたデイヴィッド・カヴァディールに逆に引き抜かれてWHITESNAKEに電撃加入する。
WHITESNAKEでは「Slide It In」に参加しジョン・サイクスと共にHM路線へ白蛇が大きく舵を切る上で重要な役割を果たした。
しかし、それもつかの間、全米ツアーのスケジュールのキツさから生じた疲労と不和からデヴィカヴァと殴り合いの大ゲンカになり、1985年1月に脱退する。
この頃から一つのバンドに居つくことなく所属を変え続ける事から「スティックを持った渡り鳥」と呼ばれる事になった。
その後EMERSON LAKE POWELLを経由してBLACK SABBATHに加入する。そして、VOW WOWにいた盟友ニール・マーレイを呼び寄せて当時アイオミのソロプロジェクト状態だったサバスをバンドとして蘇らせ、自身5年振り、サバスにとっては9年振りの来日公演を果たさせるほどサバス復活へ大きく貢献する。
サバスは余程居心地が良かったのか、RAINBOW以来となる 2作以上のアルバム参加や唯一出戻りをしている。
しかし、当時DIOが息詰まっていたロニーがギーザーを引き連れてサバスに復帰した事により事態は急変。
何故かロニーが物凄くコージーを嫌悪して追い出すよう圧力をかけコージーは脱退する。
その後一緒にクビになったトニー・マーティン、ニール・マーレイと共にソロツアーを行ったり、ニールと共にThe Brian May Band で活躍。
そして、ロニーが去った後再びサバスに再加入するもすぐに脱退し、ソロ活動の傍ら豚貴族Yngwie Malmsteen bandのアルバムに参加。
折しも持ち上がっていた三頭政治時代のRAINBOW復活で皆の期待が集まっていたその矢先に…
1998年4月5日、高速を200kmで走行しながら彼女に携帯をかけた為に前方不注意で中央分離帯に衝突して炎上、壮絶な事故死で世を去った
今でも根強いファンがいる。
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