コービー・ブライアント(Kobe Bryant)とは、元バスケットボール選手。ポジションは主にシューティングガードを担当。
5度のNBA制覇、シーズンMVP、ファイナルMVP2回、歴代最多のオールスターMVP4回、五輪で2度の金メダルを獲得した、NBAを代表するスーパースターであった。
名前
本名コービー・ビーン・ブライアント(Kobe Bean Bryant)。コービーという名はアメリカでは珍しいが、きっかけは両親が(父親のジョーも元NBA選手)お気に入りの鉄板焼きレストラン「Kobe Steak House」(神戸ステーキハウス)に行った際、店主にKobeの名前の由来を聞いたことで気に入ったからだとのこと。実際、2001年には神戸大使に任命されている。
最近は「ブラック・マンバ」(Black Mamba。実際に存在する、99%の確率で獲物を仕留めるという蛇の名前が由来)という愛称が付いたが、日本ではあまり流行っていないようである。(むしろ、NBA関係の動画では単に「神戸」というコメントでコービーを指すことが多い)
概要
コービーは女性などの多数の誘惑をどのように避けるかこう答えた。
22歳のときにはこう答えている。
「とにかく最高の男(The Man)になりたいんだ。どうやってそこにたどり着けるかはわからない。自分で見つけ出さなければ」
当初その目標は途方も無いものとされたが、彼はそれを成し遂げることになる。20年間のキャリアで成し遂げてきた数字を見返して偉大な選手と同じテーブルに付く権利を勝ち取ったと言っても間違いないだろう。2015年には憧れのマイケル・ジョーダンのキャリア通算得点を抜き去り、カリーム・アブドゥル・ジャバー、カール・マーロンに次ぐ歴代3位まで上り詰めた。さらにコービーはレイカーズを5度優勝に導き、オールスターに18度選出され、オリンピックの金メダルを2つ獲得した。
プレースタイル
プレースタイルは、NBA入りしてから間もないころは身体能力をフルに生かした力強いドライブやダンクが強調されていたが、近年ではドライブからストップしてのジャンプシュート、ポストアップからのフェイドアウェイ、3Pシュートなど実に多彩になっており、1対1の状況になった時の彼の動きは必見である。
オフェンスが爆発した時のパフォーマンスは他の選手を寄せつけないほど圧倒的で、2006年1月21日のトロント・ラプターズ戦では試合では1試合81得点というNBA歴代2位(1位はウィルト・チェンバレン)の記録を叩き出した。その試合(関連動画参照)はまさに彼の多彩なプレーが見れることであろう。
それらのプレーは、かのマイケル・ジョーダンの動きに非常に似ており、本人も幼いころブルズ黄金期のジョーダン、スコッティ・ピッペンらのプレーを参考にしたと発言したり(ディフェンスもピッペンを見てきたことによりトップクラス)、対するジョーダンも1998年のオールスターゲームで彼を後継者として指名している。
人物
ただし、ジョーダンと違って批判の多い選手でもあり、「ジョーダンになりきれない」「自分勝手」などのレッテルを貼られていることもある。(ニコニコ動画内でもそういった批判的なコメントが多い)
その中にはシャキール・オニールらとともに2000年から2002年まで3連覇を果たしたが、その後シャックとの間に不仲説を起こし、チームがシャックを放出してからしばらく低迷したことも原因として挙げられる。
その後2009年、2010年とシャック抜きで連覇を果たし、改めて自分の価値を証明した。
来歴
(執筆中)
2015年11月29日、今季限りで現役を引退することを表明した。これは『親愛なるバスケットボールへ』という題名の声明で発表。肉体的な衰えが引退の理由としている。なおこの言葉を題材にした短編アニメーション映画が翌年に製作されており、2018年度のアカデミー賞、アニー賞の短編アニメーション賞を受賞している。この作品では脚本、ナレーションをコービー本人が担当した。
2016年4月13日、レギュラーシーズン最終戦に出場し、今季自己最多の60得点をマーク。
1996-1997シーズンに18歳でデビューして以来、ロサンゼルス・レーカーズ一筋で20年間のプロ生活に終止符を打った。
突然の事故死
2020年1月26日にロサンゼルス郊外で起きたヘリコプターの墜落事故で死去。引退から3年、NBAのレジェンドは愛娘のジアナと共に突如として天国へと旅立った。享年41歳。
参考文献
関連動画
関連商品
関連項目
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