ゴールドティアラ(Gold Tiara)とは、1996年生まれの日本の競走馬。栗毛の牝馬。
ダート混合重賞5勝を挙げて2代目「砂の女王」と呼ばれ、世紀末のダート戦線でウイングアロー、ファストフレンドとともに3強というべき活躍をした名牝。ダート戦線の影の薄い時期だったのであんまり語られないし、そもそも特に3強とも言われてなかったけど。
主な勝ち鞍
1999年:ユニコーンステークス(GIII)、シリウスステークス(GIII)
2000年:マイルチャンピオンシップ南部杯(GI)、かきつばた記念(GIII)、プロキオンステークス(GIII)
概要
父Seeking the Gold、母Bright Tiara、母父Chief's Crownという血統のアメリカ産馬。
父シーキングザゴールドは自身の競走成績はそこそこ一流という感じだが、種牡馬としてドバイミレニアムを始め多数の活躍馬を送り出し、日本でもシーキングザパール、マイネルラヴといった活躍馬を輩出した名種牡馬。
母ブライトティアラはアメリカで10戦1勝。
母父チーフズクラウンは大種牡馬ダンジグの初年度産駒。1985年のアメリカ三冠全てで1番人気に支持されながら無冠に終わったが2歳でGI4勝、3歳でもGI4勝を挙げてダンジグの種牡馬評価を確固たるものにした。種牡馬としても*チーフベアハートなどを輩出してダンジグの後継として活躍。日本でも*アグネスデジタルやディープスカイの母父として血統表に名を刻む。
オーナーは社台グループで、名義上の馬主は吉田和子(社台ファーム創業者・吉田善哉の妻)。
※この記事では2000年までの馬齢表記は当時のもの(数え年、現在の表記に+1歳)で記述します。
黄金のティアラ
探し求めて見つけたティアラは砂の中
栗東・松田国英厩舎に入厩し、1998年11月28日、中京ダート1000mの新馬戦でデビュー。単勝1.5倍の支持に応えてなんと逃げ切り9馬身差の圧勝を飾る。
続いて芝1200mの500万下をクビ差届かず2着とし、年末のフェアリーS(GIII)に挑んだが、ハイペースで逃げて沈んで7着。
明けて4歳(現3歳)、初戦の京都ダート1200mの500万下を4馬身差で楽勝。再び芝に戻ってクイーンC(GIII)に挑むと、外枠から逃げて粘って、後にオークスを勝つウメノファイバーの3着と健闘する。
外国産馬なのでクラシックには出られないこともあり、この時代のマル外ローテであるクリスタルカップ(GIII)→ニュージーランドトロフィー4歳S(GII)と進むが、後方からじりじり追い上げるレースで5着、6着と敗戦。NHKマイルカップには出られず、6月の中日スポーツ賞4歳S(GIII)に向かったがここも同じような展開で4着。
自己条件に戻り、不良馬場の900万下、芝1200m戦でメジロダーリングを差し切って3勝目を挙げると、芝1400mの菩提樹S(OP)に出走するもやっぱり後方からの追い上げで届かず4着。
ここまで芝をメインに走ってきたが、挙げた3勝はダート、ダート、芝の不良馬場。というわけで夏場の休養を挟んで10月、当時はダート三冠の第1戦だったユニコーンS(GIII)でダート重賞初挑戦。ここにはダート重賞戦線で既に活躍していた1番人気マイシーズンや3番人気アドマイヤマンボといった牡馬に加え、宇都宮でダート10戦10勝・コースレコード3回・大差圧勝4回・着差の合計およそ87馬身という戦績を引っさげた栃木の快足娘ベラミロードが2番人気で乗りこんできていた。ゴールドティアラは8番人気に留まったが、いざレースが始まると、逃げて後続を突き放しにかかったベラミロードを中山の短い直線でとんでもない末脚を繰り出して楽々と差し切り、牡馬勢を歯牙にもかけず2馬身半差の圧勝。重賞初制覇を飾る。2着にはベラミロードが入り牝馬2頭での決着となった。
これで完全にダート路線に舵を切る……かと思いきや、陣営はこの賞金で秋華賞(GI)への出走を選択。まあクラシックじゃないから外国産馬でも出られるし、出られるなら出ておきたいよね……。結果は終始後方のまま18頭立ての16着。そうそう後のプロヴィナージュみたいにはいかないものである。
というわけでダートに戻って12月のシリウスS(GIII)。4歳牝馬ながら単勝2.3倍の1番人気に支持されると、人気に応えて中団後ろから上がり2位の末脚で並み居る古馬をまとめて蹴散らし、1馬身半差の快勝。重賞2勝目を挙げた。
砂上に輝く黄金のティアラ
牡馬を蹴散らしての重賞2勝で一気にトップクラスのダート牝馬となったゴールドティアラ。5歳(現4歳)初戦は平安S(GIII)。最後方から上がり最速で追い込んだものの3着に敗れる。
続いてフェブラリーS(GI)でいよいよダートGI初挑戦。このレース、前年の覇者メイセイオペラは昨年末の東京大賞典11着惨敗が不安視されたこともあり最終的に3番人気、本命不在の混戦ムード。結果、1番人気はダート初挑戦のキングヘイロー(!)になり単勝5.1倍。ゴールドティアラはそれに次ぐ5.4倍の2番人気に支持される。
そしてこのレース、この2000年のダート戦線の3強というべき存在が初めて顔を揃えた一戦でもあった。
さて、レースは前年の羽田盃・東京ダービー・ジャパンダートダービーを勝った大井のオリオンザサンクスが大逃げを仕掛け、キョウエイマーチが離れた2番手、メイセイオペラが3番手で追走。ゴールドティアラは後方に構える。そのさらに後ろでもう2頭、4番人気と7番人気が虎視眈々と仕掛けの機会を伺っていた。
キングヘイローは砂を被ってやる気をなくして撃沈し、直線で先行勢が崩れ出す中、3番手からメイセイオペラが抜け出す。そこへ外から、後方待機していた3頭が襲いかかった。ゴールドティアラ、その内に並んだ7番人気ファストフレンド、そして大外から一気に強襲してきた4番人気ウイングアロー!
最後はメイセイオペラと4頭横並びとなったが、ウイングアローが半馬身差し切って1着でゴール。ゴールドティアラはファストフレンドとメイセイオペラをハナ差・クビ差で競り落とし2着に食い込んだ。
これはフェブラリーSが1997年にGIとなって以来、現在に至るまで唯一の牝馬の連対である。同じく牝馬のファストフレンドも3着に食い込み、牝馬2頭が馬券内に入ったのももちろんこの年だけである。
続いて5月のかきつばた記念(GIII)は、格の違いを見せつけるように5馬身差の圧勝。
6月のプロキオンS(GIII)も中団から4コーナーで外に出すと、逃げ粘る2番人気エイシンサンルイスを並ぶ間もなくゴール前で差し切って1と1/4馬身差をつけダート1400mの日本レコードタイとなるコースレコードタイムで快勝。ダート戦線のトップクラスの実力馬としての地位を確かなものとする。
ところが、夏を休んで秋初戦は9月のエルムS(GIII)から始動するも、不良馬場が合わなかったのか、直線でいつもの伸びがなく6着。ダートで初めて馬券も掲示板も外してしまう。
陣営も何か不安になったのか、中2週でギャラクシーS(OP)に出走。ここは牝馬なのにトップハンデもなんのその、1.8倍の支持に応えて快勝する。
そして10月9日、実質中1週で臨んだマイルチャンピオンシップ南部杯(GI)。ここで再びあの3頭が顔を揃えた。1番人気はあのあと東海S、帝王賞、エンプレス杯と3連勝し一気に現役ダート最強格となったファストフレンド。その帝王賞で5着とファストフレンドに完敗していたウイングアローは4番人気。そしてゴールドティアラは2番人気に支持された[1]。
いつもより前目で中団につけたゴールドティアラは、早め早めに押し上げていき、直線入口でファストフレンドを置き去りにしてスパートをかけると、あとはもう独壇場。ぐんぐん後ろを突き放し、追い込んできたウイングアローを全く相手にせず、そのまま4馬身差の圧勝。
鞍上後藤浩輝はこれがGI初勝利。交流重賞となって以来、牝馬の南部杯制覇はホクトベガに次いで2頭目であり、現在に至るまでゴールドティアラが最後。ホクトベガはGI格付け前の勝利なので、GI格付け後では彼女が唯一の牝馬の勝ち馬である。
以後、2023年現在も、古馬混合ダートGI級を勝った牝馬はホクトベガを含めても7頭しかいない。JBCレディスクラシックなんて影も無かったこの時代、ファストフレンドの帝王賞に続いて牡馬を蹴散らし、GIの座に戴冠したゴールドティアラは、間違いなくダート史に名を残す名牝であった。
迷い霞みゆくティアラの輝き
だが、後から振り返ると彼女はこのレースで燃え尽きてしまったのかもしれない。続いて向かった武蔵野S(GIII)は伸びあぐねて5着。そして12月の第1回ジャパンカップダートではなんと放馬してしまい競走除外。ウイングアローのダート春秋制覇を見ていることしかできなかった。
明けて年齢表記が満年齢と変わった現5歳の2001年以降は、はっきり言ってしまうとほとんど書くことがない。根岸S(GIII)を4着、フェブラリーSを5着と敗れると、陣営は何を思ったのか芝に戻して高松宮記念(GI)12着、京王杯スプリングC(GII)7着。ただ、どちらも上がりのタイムは悪くないもので、それがまた陣営に芝への未練を残させてしまったのだろうか。
ダートに戻ってかしわ記念(GIII)こそ3着に粘ったが、休養明けで連覇を期した南部杯は+27kg(!)という調整難もあってか、アグネスデジタルのGI4連勝の最初となる勝利の後ろでアグネスデジタル、トーホウエンペラー、ノボトゥルーに続く4着[2]。また芝に戻されてスワンS(GII)8着、マイルCS(GI)は最下位18着に沈む。
2002年はガーネットS(GIII)4着、根岸S6着と敗れ、アグネスデジタルが変態ローテでのGI4連勝を決めたフェブラリーSで12着と大敗して現役を引退した。
通算32戦9勝。戦歴を見て気付いた人もいるかもしれないが、牝馬限定戦を走ったのは秋華賞が最後で、ダートの牝馬限定重賞は一度も走っていない。すなわち重賞5勝は全て混合重賞であり、牝馬で中央・地方交流ダート混合重賞5勝はホクトベガ(8勝)、メイショウバトラー(6勝)に次ぎ、ブロードアピールと並んで歴代3位タイの記録である。
しかし全盛期と言える期間は現3歳10月から現4歳10月の1年間と決して長くなく、しかもそれがメイセイオペラが衰えてクロフネやアグネスデジタルらが出てくる前というダート戦線自体の影が薄かった時期。2度のJRA賞最優秀ダートホース・第1回JCダート覇者という勲章のあるウイングアローや、「ファストフレンドはとどかにゃい!」の迷実況で名前が残ったファストフレンドと比べてもやや地味な印象は否めない。
3強としてバチバチやり合うにはこの3頭は微妙に適性が異なり、最初のフェブラリーS以外は誰が勝っても負けた方は完敗というレースばかりで、あんまりライバルという感じにもなれなかった。
ちなみに対戦成績ではウイングアローに3勝2敗、ファストフレンドには3勝0敗とどちらにも勝ち越している。ただ適性の近かったウイングアローはともかく、2000m以上の距離が本領の中距離馬だったファストフレンドとは1600mでしか戦ってないので、単純に「ゴールドティアラの全勝だからゴールドティアラの方が強かった」とは言いにくい。最近の例でいえばそれこそコントレイルとグランアレグリアを直接対決の成績で比べるようなものであろう。
しかし1400m~1600mのダート戦に君臨した全盛期の段違いのスピードは、紛れもなく世紀末ダート戦線の最強の座を争った黄金の輝きであった。
なお同期のダート活躍馬には全盛期に戦ったベラミロード、オリオンザサンクス、エイシンサンルイスらの他に、短距離路線に君臨したサウスヴィグラス、12歳まで走ったフェブラリーS優勝馬ノボトゥルー、東京大賞典とマイルチャンピオンシップ南部杯を制覇したトーホウエンペラー、川崎記念優勝などGI上位の常連リージェントブラフ、ドバイワールドカップの牝馬最高着順馬トゥザヴィクトリーなど錚々たるメンツが揃っていたのだが、多くは2001年以降に台頭してきた馬たちで彼女の全盛期からは外れてしまっており、そのため彼らとの対戦成績はあまり芳しいものとはなっていない[3]。
鞍上は乗り替わりが多く、主戦騎手と呼べるような相棒は特にいなかった。最多騎乗は武豊の10回で、99年シリウスSから00年プロキオンSまで5戦続けて騎乗し重賞を3勝している。武は2000年後半はアメリカを拠点にしていたため南部杯は乗れなかったわけだが、プロキオンSはどうしてもゴールドティアラに乗りたくてかなりの強行スケジュールで帰国したそうで、ダートの牝馬では最も思い出深い馬に挙げている。
引退後
引退後はノーザンファームで繁殖入り。後年は白老ファームに移った。直仔からは長距離のオープン特別を2勝しビートブラックの春天大逃げ大波乱の付き添いをしたゴールデンハインド(父クロフネ)を出すなど、仔出し良く14頭の産駒(うち牝馬8頭)を送り出し、孫世代から富士Sを勝ちGI2着3回のステファノスが出るなど、牝系の血は順調に広がっている。
2020年をもって繁殖牝馬を引退。引退名馬繋養展示事業の対象としてYogiboヴェルサイユリゾートファームに移り、牧柵破壊神タニノギムレットやローズキングダム、Yogibo宣伝部長アドマイヤジャパンらと、のんびりと余生を過ごしていた。
2023年になってからときおり馬房内で一時起立ができない状態になりながらも、その都度立ち上がり回復して元気に過ごしていたが、2024年3月9日、小結腸破裂のため死亡。28歳没。2019年に死亡したウイングアローに続き、2歳上のファストフレンドより先に天国のダートへと旅立っていった。
血統表
Seeking the Gold 1985 鹿毛 |
Mr. Prospector 1970 鹿毛 |
Raise a Native | Native Dancer |
Raise You | |||
Gold Digger | Nashua | ||
Sequence | |||
Con Game 1974 黒鹿毛 |
Buckpasser | Tom Fool | |
Busanda | |||
Broadway | Hasty Road | ||
Flitabout | |||
Bright Tiara 1989 栗毛 FNo.10-a |
Chief's Crown 1982 鹿毛 |
Danzig | Northern Dancer |
Pas de Nom | |||
Six Crowns | Secretariat | ||
Chris Evert | |||
Expressive Dance 1978 芦毛 |
Riva Ridge | First Landing | |
Iberia | |||
Exclusive Dancer | Native Dancer | ||
Exclusive |
クロス:Native Dancer 4×4(12.50%)
関連動画
ニコニコには南部杯の動画がないので2000年フェブラリーSと解説動画を。
関連リンク
関連項目
脚注
- *3番人気はこの年の川崎記念を勝った川崎のインテリパワー。
- *ただし走破タイムは前年よりも早く、一つ後ろの5着ウイングアローには前年同様に5馬身差をつけており、そこまで極端に悲観される内容でもなかった。
- *サウスヴィグラスには0勝3敗、ノボトゥルーには1勝6敗、トーホウエンペラーには0勝2敗、リージェントブラフには0勝1敗、トゥザヴィクトリーには0勝2敗。ノボトゥルーに先着した1回もノボトゥルーが条件馬だった1999年のこと。ウイングアロー、ファストフレンドら年上の有力馬に勝ち越しているのとは対照的な結果である。つまり年上キラー。
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- トーホウエンペラー
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- ノボトゥルー
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