サイパンとは、アメリカ自治領北マリアナ諸島に属する島である。
概要
マリアナ諸島に位置する自然豊かな島。人口は約4万8000人ほどで、紺碧の海と美しき自然が観光客を出迎える。日本でも旅行先として有名だが、目立ったリゾート開発はされておらず、大型ショッピングセンターの類も存在しない。島の面積は115.4平方メートル、島内には標高475mのタッポーチョ山がそびえる。魅力は何と言っても透き通る海である。平均気温が27度と高めな事もあって、海水浴には打ってつけである。環礁の内側なので浅く、波も無いので泳ぎが苦手な人でも安心。ここではスキューバダイビングも体験可能。実はゴルフ場も建設されているので、陸上でのアクティビティもある。
日本から直行便が出ており、飛行機で約3時間ほど。時差も1時間程度しかなく、旅行先としてよくその名が挙げられる。
歴史
紀元前1500年頃、先住民の古代チャモロ人がカヌーを使ってサイパン島に到達。定住し始めた。
1521年、スペイン人の冒険家マゼランがサイパン島を発見。これを機にスペインはマリアナ諸島の領有を宣言し、植民地とする。以降、約3世紀に及ぶ統治を受ける事になる。1668年、キリスト教が伝来して教化が始まる。しかし先住民はそれに反発し、宣教師を殺害。激怒したスペインは軍艦を派遣し、先住民を虐殺する暴挙をしでかす。1698年、スペインは先住民をサイパン島から追い出し、長らく無人島となる。
1815年、スペインが先住民の帰着を認めたため、サイパンに住民が戻った。1898年に生起した米西戦争に敗れたスペインはマリアナ諸島の領有権をドイツに売却。ここからはドイツの統治が始まった。しかしドイツは先住民の教育を放棄し、流刑地に使用。インフラ整備は全く進まなかった。そんな中、1914年に第一次世界大戦が勃発。連合国側として参戦した大日本帝國の攻撃を受け、全島を占領。戦艦香取から分祀して島内に彩帆(サイパン)香取神社を建立した。戦争は連合国の勝利に終わり、サイパンは委任統治領として日本に与えられた。1920年、マリアナ諸島を統治するべく日本はサイパンに南洋庁を設置。マリアナ諸島の玄関口として発展を遂げる。日本人の入植も進み、約3000人だった人口が2万4000人に激増した。
1939年に第二次世界大戦が勃発すると、サイパンの軍備増強が始まった。航空隊や守備隊が進出し、およそ3万の戦力を保有。サイパンは良好な泊地を有していたが、湾口が狭かったため空母といった大型艦は入れない欠点があった。それでも続々と輸送船が入港し、兵力や物資が送られ続けた。1943年後半、連合軍の反攻が始まると、戦略的要地であるサイパンを守るため更なる増援が送られた(松輸送)。同時に島民の内地への疎開が行われたが、派遣した2隻の輸送船が米潜水艦に沈められた事で頓挫した。
1944年6月13日、沖合いに展開したアメリカ艦隊から熾烈な艦砲射撃を受ける。15日に海兵隊がサイパン島に上陸し、守備隊と交戦を開始した。この危急を受け、小沢治三郎中将率いる機動部隊が出撃したが、サイパン西方で米機動部隊と戦って撃退されている(マリアナ沖海戦)。孤立無援となったサイパン守備隊だったが、頑強に抵抗。粘り強く戦っていたが、7月7日に万歳突撃を行って玉砕。アメリカの占領下に置かれる。アメリカ軍はアスリート飛行場を整備し、日本本土を爆撃させるB-29を大量に進出させた。
終戦後の1945年10月、タッポーチョ山でゲリラ活動をしていた大場栄大尉率いる残存兵が連合軍に降伏。サイパンでの戦闘は終結した。1947年、国連の信託統治領となる。1986年に信託統治が終了し、アメリカによって自治政府が樹立され、現在に至る。
関連項目
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