サクラチトセオー単語

サクラチトセオー

サクラチトセオーとは、劇団「サクラの太」末期男優を努めた優駿1990年まれの鹿毛。

トニービン産駒の特徴である「確実に伸び続ける末脚」を武器に天皇賞勝利した追い込み
往年の迷騎手にして名騎手、小島太の騎手人生の幕引きに相応しい伊達男であった。

な勝ち
天皇賞(秋)(GI)、中山記念、AJCC(GII)、京成オータムH(GIII)
※年齢表記は現表記に統一

概要

トニービンサクラクレアー、ノーザンテーストという血統。
後に府中巧者を多数輩出したトニービン産駒の初年度産駒である。

サクラ軍団と繋がりが深い牧場に生まれ、幼少の頃より素質として期待された。
当然、サクラ軍団の所有馬となり、サクラ御用達の美太郎厩舎へ所属することとなり、
論、サクラ軍団の専属騎手、小島太が跨ることになった。

苦難と試行錯誤の日々

デビューは2歳10月東京競馬場で、ここを1番人気で快勝し、続くひいらぎ賞で後続を4身ちぎる快勝を収め、これはクラシック補だ! とサクラ軍団をはじめ皆が期待した。

ところがである、チトセオーはの状態が悪化してしまい、満足レースを使える状態には戻らなかった。青葉賞(OP)に登録するも復調せず出走取消。それでもNHK杯に出走し3着を確保してダービーの挑戦権を得るが、BNW闘に加わる事も出来ず、柴田政人が念願のダービーを制するとこを傍から見るだけの11着に敗走する。は全休。クラシック補は失意のうちに3歳を終える。

翌年には休養の効果もありも快癒。東京から復帰し、3着を挟んだ後条件戦を勝利
ここで営は格上挑戦、中山記念(GII)への出走を決定。ここを残り150mで先頭集団に並びかけるとあっさりと差し切り、初重賞制覇を挙げた。オープン2着を挟んで、別のオープン競争を勝利し、中距離戦線の雄として名を挙げて行ったのだが...

肝心のGI競争ではイマイチ1994年宝塚記念天皇賞有馬記念と3つのGIに挑んだのだが、いずれも6着。丁度掲示板際で佇むような格好。素質はあるんだがなあ。

だが、この年は大変実り多き年でもあった。中山開催を告げる京成オータハンデ(GIII)に挑戦し、この時一旦的場均騎手にチェンジ。するとここまで中団あたりにつけていた所を、一旦後方待機にモデルチェンジ。するとこれがハマり、1分321レコードタイムで快勝。他にも府中マイル富士S(OP)も快勝しており、確かに実が有ることはにも明らかである。

秋の盾へ至るまで

5歳シーズンアメリカジョッキークラブカップ(GII)からはじめ、ここでは残り150mで促されるとポンッとエンジンに点火し、大外から群を差し切る快勝を収める。続く中山記念こそフジヤマケンザンにクビ差敗れたものの、営は確かな手応えを感じて安田記念へと挑む。

安田記念を一番人気で迎える。中はずっと最後方に位置し、府中の直線に入るときに群は大きく横に広がる。大外に持ち出し、だだっ広い府中の直線を後は一気呵成に駆け上がるのみだ
チトセオーは大外から勢いよく伸びる標、先頭を走るハートレイクへと勢いは止まらない。

差し切ったかと思わせた最後、ハートレイクがハナ差残った
チトセオーと小島太、極めて近く、しかし1着とは遠の彼方にある存在の2着に敗れる。
続く宝塚記念定席から更に外れた7着に敗北する。

この年、上の小島太は調教師への転向を表明。来年2月末に引退することがほぼ決定となり、サクラ軍団としてはなんとしてもフトシにGIを取らせてやりたい。それをえられる最も近い存在がであろう、チトセオーなのだ(一方の期待サクラローレルは故障し療養中であった)。

毎日王冠からスタートするが、ここを4着に敗れる。しかしの状態は良化し、絶好調にあった。

1995年、第112回天皇賞

天皇賞(秋)、彼は人気の一を占めていたが、一番人気ではなかった。
一番人気は現役最強、しかし故障休養明けからぶっつけでやってきたナリタブライアン
競馬ファンは、復帰明けのナリタブライアンがどこまでやれるかに集まっていた。

チトセオーは5.3倍の2番人気、しかし直前に出走取消のマイシンザンが2番人気だったため、実質的には3番人気である。他のメンツは皐月賞一の3歳ジェニュイン、他にも重賞実績多数のメンバーと言っても、おそらく差し支えないだろう。

レースでは最内の11番に入る。東京2000mは「先行」なら明らかな内有利だが、「追込」だと内が不利になるというコースである。

ゲートが開くと、後方から2番手に位置取る。トーヨーリファールジェニュインが先行しほぼペースレースは進む。4コーナー手前から中団の達が仕掛ける中、チトセオーは全員が直線に入る頃に最後方に位置を取り、大外に持ち出す。群はさほど縦長ではない。大外から差し切るにはもってこいの展開。

シャドーロールの怪物は群でもがく、そんな中チトセオーは大外からじりじりと迫ってくる。
逃げるトーヨーリファールシャドーロールの3歳ジェニュインが襲いかかってくる。
残り150mになると一気にエンジン点火! 先頭に出たジェニュインが押し切ろうとる!
先頭集団を見つけたチトセオーはジェニュイン掛けて伸び続ける!

ハナ差の惜敗はハナ差で返す。ゴール直前にジェニュインを差し切り、GI制覇、、奪取。

文字通り、大外末脚直線一気。上がり3ハロン343は最速。
レース後、小島太は「こんなに必死になって追ったのは何年ぶりかなあ」とふとく。
その小島太の叱励に応えるかのように、チトセオーは誉れ高い天皇賞となった。

その後のチトセオー、そして小島太

チトセオーは有馬記念に出走。ここではマヤノトップガンパフォーマンスが良くられるが、チトセオーだって捨てたもんじゃない。上がり最速の脚で追い込み、3着に入り込んでいる。

チトセオーは1995年引退サクラが誇る良血だし、種としても活躍を期待された。
初年度から重賞を出し、障含め3頭の中央重賞を送り出したが、GIに届く産駒は出なかった。
2002年以降不振に陥り、人気くなった2010年には種付け数ゼロになり種引退

2011年以降、牧場系列の新和牧場で功労として々自適の余生を過ごしていたが、
2014年に老衰のため死亡享年24歳だった。

小島太は、本天皇賞制覇の2週間後、エリザベス女王杯を制し自身最後のGI勝利を飾る。
チトセオーで物語が出来たと思っていたらまた勝ちやがった。フトシらしい。
そのエリザベス女王杯優勝サクラキャンドル。何を隠そうチトセオーの半である。

小島太は予定通りに1996年2月いっぱいで騎手を引退
調教師としてスタートを切り、師から引き継いだサクラローレルをはじめ、イーグルカフェマンハッタンカフェ、ディサイファなどを管理。美調教師として一定の成果を見せ、2018年2月末をもって調教師を定年退職。最終戦はチトセオーが初重賞制覇を果たした中山記念(ディサイファ:6着)だった。

安田記念フトシじゃなかったら勝てた? 自分もそう思う。
でも天皇賞フトシじゃなかったら勝ってなかった。 自分はそう思う。

鹿毛の体に、編み込みが施されたたてがみ、太筆で「1」を書いたような大きな流星
中団からでも競馬は出来るが、最後方からの大外直線一気の快な競馬が一番得意。
ピンクのバンデージにピンクの勝負

大好きです。

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サクラチトセオー

1 ななしのよっしん
2018/06/30(土) 23:52:52 ID: 60PhfXdJnF
チトセオーが勝った時と同じ10/29の開催だった去年の大、甥っ子のアンプルール伯父と同じ11番で走ったのは感動した
結果はダメだったけど……
2 ななしのよっしん
2018/07/23(月) 16:20:11 ID: L+0ilosr+V
何ていうか記事が日記やな
だとは思うけど流石にこれはくさい
3 ななしのよっしん
2018/09/07(金) 04:10:10 ID: kUXxCPJLXW
はくさい兄貴は文句ばっか言ってないで自分で善して、どうぞ