サッカーカメルーン代表とは、カメルーンサッカー連盟(FECAFOOT)により構成されるサッカーのカメルーン代表チームである。愛称は不屈のライオン。ユニフォームは国旗の色に基づき、深緑、赤、黄の配色で、ホームではシャツが緑、パンツが赤。アウェイはシャツが黄色、パンツが緑。
概要
| サッカーのナショナルチーム | |||
| カメルーン代表 | |||
|---|---|---|---|
| 基本情報 | |||
| 国旗 | |||
| 協会 | FECAFOOT | ||
| 大陸 | CAF(アフリカ) | ||
| FIFAコード | CMR | ||
| FIFA加盟 | 1962年 | ||
| 監督 | リゴベール・ソング | ||
| FIFAワールドカップ | |||
| 出場 | 8回 | ||
| 最高成績 | ベスト8(1回) | ||
| アフリカネイションズカップ | |||
| 出場 | 21回 | ||
| 最高成績 | 優勝(5回) | ||
FIFAワールドカップに8回出場、アフリカネイションズカップで5回の優勝を誇るアフリカの強豪。1990 FIFAワールドカップでアフリカ勢初となるベスト8進出という快挙を成し遂げたことで注目されるようになり、2000年のシドニーオリンピックではU-23代表が金メダルを獲得している。
サミュエル・エトーを筆頭にヨーロッパのトップリーグで活躍する選手を輩出するアフリカ屈指のタレント軍団でもあり、近年はヨーロッパの下部組織出身の選手やアンダー代表でプレーした経歴を持つ選手もいる。
一方でお騒がせチームとしても知られ、選手と協会の対立や監督と選手の確執などが毎回起こり、チームが空中分解することが多い。日本では2002 FIFAワールドカップの際、代表チームの到着が遅れたことでキャンプ地であった大分県中津江村と共に一躍話題となった。ちなみに中津江村との交流はその後も続いている。
高い身体能力とタレント性によって何をしでかすか分からない爆発力を持ったチームである反面、戦術的な組織作りを苦手としていることから安定性に欠け、大きな大会で惨敗を喫することも多い。
歴史
初試合は1956年。植民地からの独立後、1970年のアフリカネイションズカップに初出場。開催国として出場したアフリカネイションズカップ1972では3位になっている。
FIFAワールドカップには、1970 FIFAワールドカップから参加。1982 FIFAワールドカップ・スペイン大会では最終予選でモロッコを破り、初出場を果たす。1次リーグではイタリア、ポーランドという強豪と同組になりながらGKトーマス・ヌコノの攻守によって3引き分けという結果を残す。最終的に総得点の差でイタリアに及ばず1次リーグ敗退となったが、この大会の優勝国を追いつめた。
その後、さらに力をつけるようになり、1986年のワールドカップこそ予選で敗退したものの、ジョセフ=アントワーヌ・ベルやロジェ・ミラの活躍もあってアフリカネイションズカップで3大会連続で決勝進出。1984年大会で初優勝を飾ると、1988年大会でも優勝しており、アフリカの強豪としての地位を確立させていく。
2度目の出場となった1990 FIFAワールドカップ・イタリア大会でカメルーンはサッカーの歴史に名を残すことになる。大会前、38歳のロジェ・ミラの招集を巡って監督のヴァレリー・ニポムニシと選手・協会が対立。結局ポール・ビヤ大統領の介入もあってミラは招集されることになったが、不穏な空気のままで本大会を迎えることになった。開幕戦では前回優勝チームのアルゼンチンと対戦。二人の退場者を出しながらもフランソワ・オマン=ビイクの信じられない打点のヘディングシュートで大会の歴史に残るジャイアントキリングを成し遂げる。続くルーマニア戦ではミラの2ゴールの活躍で連勝し、グループBを首位で通過。ラウンド16のコロンビア戦では延長戦までもつれ込むが、またもやミラが2ゴールの大活躍によりアフリカ勢初のベスト8進出という歴史的な快挙を成し遂げる。準々決勝のイングランド戦で快進撃は終了するが、この大会での「カメルーン旋風」は大きな話題となり、ブラジルの英雄ペレは「20世紀中にアフリカのチームが優勝する」と評し、アフリカが第三勢力として注目されるきっかけとなった。
1994 FIFAワールドカップ・アメリカ大会では台風の目として期待されたが、1分1敗で迎えた第3戦のロシア戦でオレグ・サレンコに大会新記録となる1試合5ゴールを許し、大敗。グループリーグ最下位に終わる。もっともこのロシア戦では42歳となるミラがゴールを記録し、ワールドカップ最年長ゴール記録を樹立する。
3大会連続での出場となった1998 FIFAワールドカップ・フランス大会では二度目のアフリカネイションズカップ優勝をもたらしたクロード・ル・ロワが再任するが、結果は1分2敗と前回と同じグループリーグ最下位に終わる。
2000年代になると、サミュエル・エトー、ローレン・エタメ・マイヤー、ジェレミ・ヌジタップ、ロベルト・カメニといった有望な若手が台頭。アフリカネイションズカップ2000では、決勝でアトランタ五輪優勝メンバーを多く擁したナイジェリアをPK戦の末に破り、3度目の優勝を果たす。さらに、同年のシドニーオリンピックでは、前述したメンバーを中心としたU-23代表が躍動。エトーとオーバーエイジ枠として出場したパトリック・エムボマの2トップの活躍によって金メダルを獲得。前回のナイジェリアに続いてのアフリカ勢の金メダルとなった。さらには、アフリカネイションズカップ2002でもエムボマの活躍によって大会連覇を成し遂げる。
2002 FIFAワールドカップ・日韓大会では協会と選手が報奨金を巡って対立したことでキャンプ地の中津江村への到着が予定よりも遅れてしまう。このときのチームの動向やその後の中津江村との交流が日本では大きな話題となった。大会では初戦のアイルランドに引き分け、第2戦のサウジアラビア戦で1990年大会以来の白星を挙げるが、第3戦のドイツ戦に敗れ、グループリーグ敗退となる。
アフリカ王者として出場したFIFAコンフェデレーションズカップ2003では、初戦でブラジルを破るという大金星を挙げ、ワールドカップ王者をグループリーグ敗退に追い込む。だが、準決勝のコロンビア戦でそんな歓喜を吹き飛ばす悲しい時間が起きる。後半27分にマルク=ヴィヴィアン・フォエが突然ピッチ上で意識を失ってしまい、そのまま帰らぬ人となってしまう。カメルーンはこの大会で準優勝となったが、フォエの悲劇はサッカー界に大きな衝撃を与えた。
2006 FIFAワールドカップでは、アフリカ最終予選で最終戦を前に首位に立つが、最終戦でエジプトに終盤に追いつかれ、ロスタイムにピエール・ウォメがPKを失敗して引き分けに終わる。結果、コートジボワールに勝ち点1及ばず、1986年大会以来の予選敗退となる(ヤウンデの悲劇)。
2010 FIFAワールドカップ・南アフリカ大会は2大会ぶりに本大会出場。初戦で日本に敗れると、続くデンマーク戦、オランダ戦も落とし、3戦全敗でグループリーグ敗退となる。その後、アフリカネイションズカップで2大会連続で予選敗退となる低迷期に差し掛かる。2014 FIFAワールドカップ・ブラジル大会は出場権を獲得するが、またもボーナスを巡って協会と選手が対立し、予定よりも到着が遅れてしまう。本大会ではメキシコ、クロアチア、ブラジル相手に3連敗喫する惨敗に終わる。大会後、エースとしてチームを牽引してきたエトーが代表引退を表明。
アフリカネイションズカップ2017では、前評判こそ高くなかったが決勝まで勝ち進む。モハメド・サラー擁するエジプトとの決勝では、試合終了間際のヴァンサン・アブバカルの劇的な決勝ゴールによって通算5度目のアフリカ王者に輝く。しかし、2018 FIFAワールドカップ・アフリカ最終予選では1勝4分1敗と低迷し、予選敗退に終わる。
2021年よりエトーがカメルーンサッカー連盟の会長に就任。かつての代表主将であるリゴベール・ソングが監督として臨んだ2022 FIFAワールドカップ・カタール大会では初戦のスイス戦に敗れ、試合後ソングと対立した正GKのアンドレ・オナナが追放処分となるいつもの内紛が勃発するが、第2戦のセルビア戦で3-3の引き分けに持ち込み、本大会での連敗を8でストップ。そして第3戦のブラジル戦では試合終了間際のアブバカルのゴールで勝利する大金星を挙げる。結局グループリーグ敗退に終わったが、久々に存在感を見せた大会となった。ちなみに、アブバカルがブラジル戦の決勝ゴール直後にユニフォームを脱いで退場になるというオチまで付けている。
主な戦績
- FIFAワールドカップ
- ベスト8(1990)、グループリーグ敗退(1982, 1994, 1998, 2002, 2010, 2014, 2022)
- アフリカネイションズカップ
- 優勝(1984, 1988, 2000, 2002, 2017)
- 準優勝(1986, 2008)
- 3位(1972, 2021)
- ベスト4(1992, 1998)
- ベスト8(2004, 2006, 2010)
- ベスト16(2019, 2023)
- グループリーグ敗退(1970, 1982, 1990, 1996, 2015)
- FIFAコンフェデレーションズカップ
- 準優勝(2003)、グループリーグ敗退(2001, 2017)
世代別の主な戦績
主な選手
- トーマス・ヌコノ(1976-1994)
- ジョセフ=アントワーヌ・ベル(1977-1994)
- ロジェ・ミラ(1978-1994)- 歴代出場8位(77試合)、歴代得点2位(43得点)、W杯最年長得点(42歳39日)
- エマニュエル・クンデ(1979-1992)- 歴代出場4位(102試合)、歴代得点9位(17得点)
- ジャック・ソンゴォ(1984-2002)- 歴代出場6位(80試合)
- ステファン・タタウ(1986-1994)
- アンドレ・カナ=ビイク(1986-1994)- 歴代得点10位(15得点)
- フランソワ・オマン=ビイク(1986-1998)- 歴代出場9位(73試合)、歴代得点5位(26得点)
- アルフォンス・チャミ(1988-1998)- 歴代得点6位(21得点)
- マルク=ヴィヴィアン・フォエ(1993-2003)
- リベゴール・ソング(1993-2010)- 歴代最多出場(137試合)
- パトリック・エムボマ(1995-2004)- 歴代得点4位(33得点)
- ジェレミ・ヌジタップ(1996-2010)- 歴代出場2位(118試合)
- サロモン・オレンベ(1997-2007)
- サミュエル・エトー(1997-2014)- 歴代出場2位(118試合)、歴代最多得点(56得点)
- ローレン・エタメ・マイヤー(1998-2004)
- ピエール・ウォメ(1998-2012)
- カルロス・カメニ(2001-2019)- 歴代出場9位(73試合)
- アチーレ・エマナ(2003-2013)
- ジャン・マクーン(2003-2014)
- ピエール・ウェボ(2003-2014)- 歴代得点8位(19得点)
- アレクサンドル・ソング(2005-2014)
- ステファン・エムビア(2005-2016)
- ランドリー・エングエモ(2006-2015)
- ニコラ・ヌクル(2008-)- 歴代出場6位(80試合)
- ブノワ・アス=エコット(2009-2014)
- セバスティアン・バソング(2009-2015)
- オーレリアン・シェジュ(2009-2016)
- エミング・エノー(2009-2016)
- ジョエル・マティプ(2010-2015)
- マキシム・シュポ=モティング(2010-)- 歴代得点7位(20得点)
- ヴァンサン・アブバカル(2010-)- 歴代出場5位(94試合)、歴代得点3位(35得点)
2022 FIFAワールドカップ・カタール大会メンバー
- GK 1 シモン・エンガパンドゥエトンブ(オリンピック・マルセイユ / フランス)
- GK 16 デヴィス・エパシー(アブハ・クラブ / サウジアラビア)
- GK 23 アンドレ・オナナ(インテル・ミラノ / イタリア)
- DF 2 ジェローム・エンゴム・ムベケリ(コロンブ・スポルティーブ)
- DF 3 ニコラス・ヌクル(テッサロニキ / ギリシャ)
- DF 4 クリストフェル・ウォー(スタッド・レンヌ / フランス)
- DF 17 オリヴィエ・ムバイゾ(フィラデルフィア・ユニオン / アメリカ)
- DF 19 コリンズ・ファイ(アル・タイ / サウジアラビア)
- DF 21 ジャン=シャルル・カステレット(FCナント / フランス)
- DF 24 エンゾ・エボス(ウディネーゼ / イタリア)
- DF 25 トロ・ヌーフー(シアトル・サウンダーズ / アメリカ)
- MF 5 ガエル・オンドゥア(ハノーファー06 / ドイツ)
- MF 7 ジョルジュ・ケヴァン(ベシクタシュ / トルコ)
- MF 8 アンドレ・ザンボ・アンギサ(SSCナポリ / イタリア)
- MF 14 サミュエル・ウーム・グエ(KVメヘレン / ベルギー)
- MF 15 ピエール・クンデ (オリンピアコス / ギリシャ)
- MF 18 マルティン・ホングラ (エラス・ヴェローナ / イタリア)
- MF 22 オリヴィエ・エンチャム (スウォンジー / イングランド)
- MF 26 スアイブ・マルー (コトンスポール)
- FW 6 ニコラス・ムーミ・エンガマレウ (ディナモ・モスクワ / ロシア)
- FW 9 ジャン・ピエール・エンサメ(ヤングボーイズ / スイス)
- FW 10 ヴァンサン・アブバカル(C)(アル・ナスル / サウジアラビア)
- FW 11 クリスティアン・バソゴグ(上海申花 / 中国)
- FW 12 カルル・トコ=エカンビ(オリンピック・リヨン / フランス)
- FW 13 エリック・マキシム・シュポ=モティン(バイエルン・ミュンヘン / ドイツ)
- FW 20 ブライアン・ムベウモ (ブレントフォード / イングランド)
歴代監督
ワールドカップを戦った監督は太字。代行は除く。国旗が付いているのは外国人監督。
ドミニク・コロナ(1965-1970)- レイモン・フォベテ(1970)
ジャン・ヴァンサン(1982)
ラディボエ・オグニャノビッチ(1982-1984)- アフリカネイションズカップ1984優勝
クロード・ル・ロワ(1985–1988)- アフリカネイションズカップ1988優勝
ヴァレリー・ニポムニシ(1988–1990)
フィリップ・ルドン(1990-1993)
アンリ・ミシェル(1994)- ジェール・ヌドンガ(1994-1996)
クロード・ル・ロワ(1998)
ピエール・ルシャントル(1998-2001)- アフリカネイションズカップ2000優勝
ビンフリート・シェーファー(2001–2004)- アフリカネイションズカップ2002優勝
アルトゥール・ジョルジェ(2005–2006)
アリー・ハーン(2006–2007)
オットー・プフィスター(2007-2009)- トーマス・ヌコノ(2009)
ポール・ル・グエン(2009-2010)
ハビエル・クレメンテ(2010-2011)
ドニ・ラヴァニュ(2011-2012)- ジャン=ポール・アコノ(2012.-2013)
フォルカー・フィンケ(2013-2015)- アレクサンドル・ベリンガ(2015-2016)
ウーゴ・ブロース(2016-2017)- アフリカネイションズカップ2017優勝
クラレンス・セードルフ(2018-2019)
トニ・コンセイソン(2019-2022)- リゴベール・ソング(2022-)
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