サッカーセルビア・モンテネグロ代表およびサッカーユーゴスラビア連邦共和国代表とは、1992年から2006年まで存在したサッカーのセルビア・モンテネグロ代表チームである。愛称はプラーヴィ。
ここでは1992年から2003年までに存在した新ユーゴスラビア連邦共和国代表時代についても同時に記載する。1992年以前のものについては記載しない。
概要
1992年にユーゴスラビア社会主義連邦共和国が崩壊し、その内の2カ国であったセルビアとモンテネグロによって結成されたユーゴスラビア連邦共和国の誕生を機に代表が誕生した。
初試合は1994年。1998 FIFAワールドカップでFIFAワールドカップ初出場を果たし、グループリーグを2勝1分の勝ち点7の2位で通過する活躍を見せる。ラウンド16のオランダ戦で敗れたが初出場でベスト16に進出した。
EUROではEURO2000で初出場。グループリーグでは混戦のリーグを1勝1分1敗の2位で通過したが、準々決勝でまたもやオランダに敗北を喫し、ベスト8止まりとなった。
2003年に国名セルビア・モンテネグロへ変更し、セルビア・モンテネグロの代表として挑むはずであった2006 FIFAワールドカップの開幕直前にモンテネグロが独立を宣言。そのままモンテネグロの独立が決定したが、大会には既に「サッカーセルビア・モンテネグロ代表」としての出場が決定していたため、既に存在していない国「セルビア・モンテネグロ」の代表として出場するというなんとも言えない事態が起こってしまった。
肝心の本大会ではグループリーグ初戦で2大会連続で顔を合わせ2大会ともに敗れているオランダを相手にしたがここでも敗北を喫する。2戦目のアルゼンチン戦では大量6得点を奪われ敗北すると、最終戦でもコートジボワールとの打ち合いに敗れ、3戦全敗で大会を後にし、セルビア・モンテネグロ代表としての活動に幕を閉じた。
その後セルビアはサッカーセルビア代表として、モンテネグロはサッカーモンテネグロ代表として活動しており、2006年以降の活動についてはそちらの記事を参照のこと。
主な戦績
招集されていた主な選手
- サボ・ミシェロビッチ(1994-2008)
- デヤン・スタンコビッチ(1998-2013)
- ムラデン・クルスタイッッチ(1999-2008)
- イビチャ・ドラグティノビッチ(2000-2010)
- ネマニャ・ヴィディッチ(2002-2011)
- ニコラ・ジギッチ(2004-2011)
関連動画
関連項目
- 2
- 0pt

