サンフレッチェ広島とは、広島県広島市を本拠地とするJリーグ所属のプロサッカーチームである。
概要
日本プロサッカーリーグ | |
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サンフレッチェ広島 | |
基本情報 | |
創設 | 1938年 |
呼称 | サンフレッチェ広島 |
クラブカラー | 紫 |
所属 | 日本プロサッカーリーグ |
本拠地 | エディオンスタジアム広島【広島市安佐南区】 |
ホームタウン | 広島県広島市 |
前身クラブ | マツダSC[旧](※エピソード参照) |
プロサッカークラブテンプレート |
Jリーグ創設時から存在したいわゆる「オリジナル10」のうちの1チーム。
前身は1938年に設立した東洋工業蹴球部。後に「東洋工業サッカー部」(※1971年)~「マツダスポーツクラブ(マツダSC)東洋工業サッカー部」(※1981年)~「マツダスポーツクラブサッカー部」(※1984年)~「マツダサッカークラブ(マツダSC)」(※1986年)と4度も名称を変更している。1982年に今西和男が総監督となり、後に日本代表監督となるハンス・オフトをコーチとして招聘し強化を図る。1991年のJリーグ加盟に伴いプロ化し、現在の名称になった。
愛称の『サンフレッチェ』の由来は、地元の戦国大名である毛利元就の「三本の矢」の故事にちなんで、「サン」は日本語の「三」、「フレッチェ」はイタリア語で「矢」を意味している。
ユニフォームは、2023年はホームが紫(厳密には青紫)、ビジターが白。
ホームスタジアムは広島ビッグアーチ。過去には広島スタジアムを使っていた時もあった。
マスコットは、ツキノワグマのサンチェ君とフレッチェちゃん。サンチェ君はJリーグ創設時から存在し、Jリーグをあまり知らない人でも姿だけは見たことがある、という人が多いのではなかろうか。ただしサンチェは2013年に整形しており、さらにマスコット大賞を受賞するなど昔の不細工&不人気っぷりからは考えられないことになっており、昔を知る人からすると隔世の感になっている。
天皇杯では準優勝を4度(東洋工業サッカー部時代を除く)経験するなど健闘しているが、優勝経験は無い。一方でリーグ戦では1994年以降は成績は芳しくなく、J2降格を2度経験している。だが、J2では鬼神の様な強さを見せており、数々の記録を残している。
近年は2011年まで監督として指揮を執っていたミハイロ・ペトロヴィッチのサッカースタイルが浸透し、二度目のJ1昇格以降は毎年ランキング上位に位置するまでになった。また、そのサッカースタイルは監督が森保一に交代しても受け継がれ、3度のJリーグ制覇という栄光を経験する。
Jリーグ創設当初のネタチーム
1994年に前期(サントリーシリーズ)優勝を果たすが、その際にテンションが上がったチームトレーナーがクリスタル製のチェアマン杯を粉々に粉砕してしまう事件が発生し、それ以降のチェアマン杯が金属製になったきっかけを作った。
また懲りずに翌年には、今度はユニフォームを忘れてサポーターからレプリカユニフォームを借りて試合をするというとんでもない伝説を打ち立てた(これは横浜フリューゲルスがホームとなる試合で、サンフレッチェはアウェイということで当時の2ndユニフォームである白を持ってきてしまったが、当時のフリューゲルスのチームカラーは白なので、本来であれば1stユニフォームである紫を持ってこなければならなかった。後日、Jリーグから制裁金が課せられたのは言うまでもない)。
クラブの歴史
Jリーグ創設時
今西和男を中心にプロ化へ向けて着々と準備を進め、1991年1月にプロリーグ参加を表明。オリジナル10の中ではもっとも西に位置するチームとなった。
1992年にスチュアート・バクスターが監督に就任。高木琢也、森保一、前川和也といった日本代表選手が在籍し、欧州の最先端の戦術を取り入れ、欧州から外国人を獲得する独自の強化方針を採用するが、当初は引退しコーチをしていたヤン・ヨンソン、松田浩、望月一頼を現役復帰させるほど選手層が薄かった。
1994年はJリーグで初めて風間八宏と森保一のダブルボランチを採用したことで中盤がコンパクトになり、バクスターが目指すゾーナルな守備が機能するようになる。さらに、元チェコ・スロバキア代表のイワン・ハシェックの活躍もあり、ファーストステージ優勝を果たす。しかし、チャンピオンシップでヴェルディ川崎に敗れ、Jリーグ年間王者には届かなかった。
1990年代後半
1995年よりバクスターに見切りを付け、オランダ人のビム・ヤンセンを監督に招聘。システマチックなサッカーからオランダ式のトータル・フットボールを目指そうとするが、これが選手に浸透せず、チームは低迷。さらにこれまでの主力が次々とチームを去り、結局ヤンセンは1996年に退任。チーム改革は失敗に終わる。
追い打ちをかけるかのように、Jリーグバブルが崩壊しチームは観客動員の低下に苦しめられることになる。親会社のマツダも不況によって経営の建て直しを図っていたこともあり、1997年末にはクラブの経営難が深刻なもとなっていく。クラブは主力選手に大幅な減俸を提示せざるを得なくなり、結果として高木、森保、柳本啓成、路木龍次といった中心選手を流出することになってしまう。
このような厳しい逆境の中、1997年から監督を務めるエディ・トムソンは堅守速攻のスタイルをチームに確立させ、一時はJ2降格が現実を帯びるほど低迷していたチームを1999年には何とか安定した順位へと引き上げてみせる。高木に代わる新たなエースとして久保竜彦が覚醒するようになり、上村健一、ポポヴィッチ、フォックスによる3バックは当時Jリーグでも屈指の堅牢さを誇っていた。この年、天皇杯では決勝で名古屋グランパスに敗れたものの準優勝と健闘する。
2000年代の2度のJ2降格とミシャ式の確立
2001年に4年もの間チームを率いたトムソンからヴァレリー・ニポムニシに監督が交代。攻撃的なサッカーを標榜するヴァレリのもと久保、藤本主悦、コリカ、大木勉を擁する攻撃陣はリーグでも屈指の破壊力を見せるようになる。さらには下部組織出身の駒野友一、森崎兄弟がブレイクし、戦術が浸透するようになった2ndステージは3位と躍進を遂げる。これからと期待された矢先にヴァレリーが突然辞任してしまう。
2002年にヴァレリーの推薦もあって同じロシア人のガジ・ガジエフが監督に就任するが、戦術が定まらないバラバラな戦い方でチームは迷走。加えて開幕直後にDFリーダーの上村が大怪我を負ったことにより守備が不安定になり、連戦連敗を重ねてしまう。シーズン途中に監督交代に踏み切ったが、後任を任された木村孝洋は監督の経験が無く、歯車の狂ったチームを立て直すには荷が重すぎた。結果、この年にJ2降格が決まるという最悪のシーズンとなってしまう。しかも代表クラスの久保と藤本はJ1チームに新天地を求め、上村らベテラン勢はリストラとなる。
初めてJ2を戦うこととなった2003年に小野剛が監督に就任。若手主体に大きくシフトしたとはいえ、J1クラスの戦力を揃える陣容で挑み、シーズン前半戦は圧倒的な強さで首位を独走する。後半戦に入ると、勝ち切れない試合が続き失速するも、終盤に巻き返しに成功。1年でJ1に復帰する。
J1に復帰してからは新たに佐藤寿人がエースとして定着するようになり、堅守をベースにしたスタイルで中位に定着するようになる。だが、2006年の前半に低迷し、小野監督は辞任。低迷するチームの再建を託され、ミシャことミハイロ・ペトロヴィッチが6月に監督に就任。ミシャは可変式の3-4-2-1を採用し、DFラインからのビルドアップを重視する当時の日本では異例なスタイルでJ1残留に成功する。しかし、翌年は補強がうまくいかなったこともあって守備が崩壊、リーグワーストの71失点を記録してしまう。ナビスコカップ、天皇杯では準優勝と健闘したものの、京都サンガF.C.との入れ替え戦に敗れ、二度目となるJ2降格という地獄に突き落とされる。しかし、クラブ側はミシャの手腕を高く評価し、J2降格チームとしては異例となる監督留任を決断。この決定が後のチームのV字回復に繋がるのだった。
5年ぶりにJ2で戦うこととなった2008年だったが、佐藤寿人ら主力の大半が残留したことで戦力を維持。3月のゼロックス・スーパーカップではJ2クラブによる優勝を成し遂げる。この年のJ2リーグでは、他チームがトラウマになるレベルの強さを発揮し、史上初の「全節首位での優勝」・「9月中での優勝」、J2史上2チーム目の「勝ち点100」を達成。またも1年でJ1に返り咲く。
2009年にJ1に復帰して以降は、青山敏弘、柏木陽介、髙萩洋次郎、森脇良太、槙野智章といった若手が台頭し、いわゆる「ミシャ式」が確立されていく。エル・ミキッチら安価で獲得できる東ヨーロッパ出身の選手を補強し、システマチックなサッカーはJ1でも異彩を放つようになる。ただし、選手にかなりの運動量を求めることもあって夏場に失速する傾向があり、攻撃力はともかく失点の多さがネックとなってタイトルにまでは届かなかった。それでもJ2でチームを熟成させJ1に復帰し以降の躍進は、チーム作りの好例として評価された。一方、チームの財政難はなかなか好転せず、2011年を最後に高年俸となったミシャとの契約更新が難しくなり、浦和レッズへ引き抜かれる形になってしまう。なお、槇野や森脇を中心としたゴールパフォーマンスが話題になったのもこの頃からである。
黄金期の到来
2012年にクラブOBの森保一が監督に就任。森保は「ミシャ式」を踏襲しながらも、守備の改善に着手し、チームに安定感をもたらす。結果、ベガルタ仙台との首位争いを制し、悲願のJ1リーグ戦初優勝を果たした。9月15日の首位対決で勝利を収め首位に立つと、終盤勝ち切れない試合が続いたものの、11月24日にホームでC大阪を4-1で下し、オリジナル10としては最も遅い3大タイトルの1つを獲得とした。1ステージ制となった2005年以降で、最終節を待たずに優勝を決めたのは10年の名古屋以来2クラブ目。また、西日本のクラブが年間王者となったのは05年のG大阪に次いで2クラブ目となった。なお、この試合での観客数は32,724人であり、3万人以上を動員したのは実に18年ぶりの事である。12月にはCWCに開催国枠として初出場し、初戦のオークランド・シティに1-0で勝利。準々決勝でアルアハリに1-2で敗れたものの、5位決定戦でアジア王者の蔚山(韓国)に3-2で勝利し、世界5位となった。
2013年、浦和レッズへ移籍した森脇良太以外はほぼ昨年度のメンバーで臨むシーズン。2月23日に行われたゼロックス杯で柏レイソルを1-0で下し、5年ぶり2度目の優勝。2013年初タイトルを獲得した。さらに12月7日の最終節、鹿島アントラーズを2-0で下し、1位であった横浜Fマリノスが川崎フロンターレに敗北した為、二年連続優勝を果たした。
2015年はシャドーのポジションで連覇を支えた高萩洋次郎と石原直樹の二人が揃って退団し、前評判は非常に低かった。しかしレンタルで獲得したドウグラスとボランチからシャドーにコンバートされた柴崎晃誠が前任者の穴を埋めて余りある大活躍。さらに後半15分前後に佐藤寿人から浅野拓磨にバトンタッチして相手に止めを刺すという必殺パターンを確立し、1stステージで3位という好成績を残す。
2ndステージでもその勢いは止まらず、第3節でそれまで無敗だった浦和レッズを敵地で撃破、第16節ではガンバ大阪に完勝、最終節は湘南ベルマーレを5-0の圧勝で下して、見事年間1位・2ndステージ優勝の座を獲得。さらにはチャンピオンシップ決勝でも後半アディショナルタイムに劇的な逆転劇を演じるなど、圧巻の勝負強さで3度目の年間王者となり、この年のFIFAクラブワールドカップ(CWC)への挑戦権を得ることになった。
CWCでは、初戦のオークランド戦で野津田と柴崎が負傷交代するという事態に陥り、この二人を欠いたまま、かつ2二日の試合の連続という過酷な状況に置かれながらも、アフリカ王者マゼンベを撃破、南米王者リーベル・プレートに惜敗、アジア王者広州恒大に逆転勝ち。リーグ戦で出番の少なかった若手を何人も起用しつつ、世界3位という見事な成績を残した。
黄金期終焉後
2016年はチームトップスコアラーでリーグ優勝とCWC3位の立役者のドウグラスを失う事になった中で天皇杯優勝のG大阪とゼロックススーパーカップでシーズン初戦を迎えてタイトルを獲得。
しかし、リーグ戦より一足先に開幕したACLは初戦ホーム山東魯能から開幕(川崎)戦を含めて公式三連敗と1stステージ第2節(名古屋戦)で佐藤がJ1通算最多得点単独トップ(当時)となる158ゴール目を記録するものの1-1のドロー、第3節(湘南戦)も引き分けとなり5試合勝ちなし。これにより開幕前「2チーム分の戦力」とリーグ戦、ACLの平行戦略が序盤から頓挫する形となった。
その後ACL第3戦目で初勝利すると1stステージ第4節(大宮戦)では5-1と攻撃陣が爆発してリーグ戦初勝利を挙げた。しかし、試合終了間際に佐々木が右膝前十字靭帯断裂でシーズン中の復帰が難しい重傷を負ったのを皮切りに浅野が3月31日に右腸腰筋損傷で全治3週間、更に6月には佐々木のポジションに入っていた水本が右第3中足骨骨折で全治2か月と主力に故障者が続出。加えて、野津田を新潟に4月1日期限付きで移籍させておりシーズン序盤で選手層に問題を抱える事態となった。新加入のウタカが早々にチームにフィットし得点王争いもする大きな連敗こそなかったものの最大2連勝止まりといまいち波に乗れず結局4位で1ステージを終えた。一方ACLも森保就任後ACLアウェイ初勝利をブリーラムから挙げたもののアウェイでの山東魯能戦は、好調だった外国人選手を一切使わずに落としてしまい1戦を残してグループステージ敗退。
2ndステージは、開幕戦で磐田を3-0と一蹴したが、1stステージに引き続き波に乗れない状態であった。そんな中予てより海外移籍の噂があった浅野がアーセナルへ完全移籍との発表。7月17日の2ndステージ第4節横浜戦を最後に旅立った。その後も多くの選手が期限・完全問わず移籍やリオデジャネイロ五輪のオーバーエイジ枠での選出最後は連勝したものの結局2ndステージは10位で終えた。
個人ではウタカが19得点で得点王(レアンドロと同点)、塩谷が3年連続でベストイレブン、チームとして5年連続でフェアプレー賞高円宮杯を受賞した甲斐もなく年間勝点順位は6位となった。カップ戦は、ルヴァンカップ、天皇杯ともにベスト8で敗退しシーズンを終えた。
2017年は前シーズンをもって森崎浩司が引退、佐藤・ウタカらが退団した一方、フェリペ・シウバ、工藤壮人らが完全移籍で加入した。また、ロペスの期限付き移籍期間を延長した。
攻撃陣の不調で開幕から出遅れ降格圏に沈んだチームは7月に森保の退任を発表、クラブOBのヤン・ヨンソンに交代した。パトリックや丹羽大輝を補強し、ペトロビッチ・森保体制下で継続してきたフォーメーションと決別したチームは持ち直し、ホーム最終戦となった第33節で残留を確定させた。最終順位は15位。
2018年に城福浩が監督に就任。シーズン前半戦は驚きの大躍進を遂げ、9試合で8勝1分というロケットスタートを切り、一時は首位を独走する。しかし、ワールドカップによる中断期間明けに大きく失速。パトリックの不調によって得点力不足に悩まされ、6連敗、最後の6試合勝利なしという内容で何とか2位は維持したが後味の悪いシーズンとなる。
その後も大きく低迷はしないものの、上位に食い込むには物足りないというシーズンを続きリーグでは中位が定位置となっていた。一方、大迫敬介、森島司、川辺駿、荒木隼人といった若手が台頭し、若返りに成功していた。2021年の天皇杯ではアマチュアのおこしやす京都ACに1-5と大敗するという大失態を犯し、その後も調子が上がらなかったことで4年間続いた城福政権はシーズン途中で終了となる。
2022年はボルシア・ドルトムントやバイヤー・レヴァークーゼンで監督を務めた経歴のあるミヒャエル・スキッベが監督に就任。コロナの関係で来日が遅れたスキッベだったが、モダンなスタイルのチーム作りをすぐに浸透させると、リーグ戦ではACL圏の3位でフィニッシュする躍進を遂げる。さらに、2つのカップ戦でいずれも決勝進出を果たしていた。
天皇杯では、J2リーグのヴァンフォーレ甲府との対戦となるが、前半に先制されながら後半40分に同点に追いついたものの、PK戦で敗れ、準優勝に終わる。
変則日程によって天皇杯準優勝のわずか1週間後となったルヴァンカップ決勝ではセレッソ大阪と対戦。またも前半に先制されるが、途中出場のピエロス・ソティリウの2ゴールの活躍によって逆転勝利。天皇杯での悔しさを晴らし、7年ぶりのタイトルとなる初優勝を果たす。
主なタイトル
国内タイトル
個人タイトル
2023年の所属選手
背番号 | Pos. | 国籍 | 選手名 | 生年月日 | 加入年 | 前所属 |
---|---|---|---|---|---|---|
- | 監督 | ![]() |
ミヒャエル・スキッベ | 1965.8.4 | 2022 | アル・アインFC監督 |
1 | GK | ![]() |
林卓人 | 1982.8.9 | 2014 | ベガルタ仙台 |
2 | DF | ![]() |
住吉ジェラニレーション | 1997.10.5 | 2021 | 水戸ホーリーホック |
3 | DF | ![]() |
山崎大地 | 2001.1.8 | 2023 | 順天堂大学 |
4 | DF | ![]() |
荒木隼人 | 1996.9.6 | 2019 | 関西大学 |
5 | MF | ![]() |
松本大弥 | 2000.8.10 | 2019 | ツエーゲン金沢 |
6 | MF | ![]() |
青山敏弘 | 1986.2.22 | 2004 | 作陽高校 |
7 | MF | ![]() |
野津田岳人 | 1994.6.6 | 2013 | ヴァンフォーレ甲府 |
8 | MF | ![]() |
川村拓夢 | 1999.8.28 | 2018 | 愛媛FC |
9 | FW | ![]() |
ドウグラス・ヴィエイラ | 1987.11.12 | 2019 | 東京ヴェルディ |
10 | MF | ![]() |
マルコス・ジュニオール | 1993.1.19 | 2023 | 横浜F・マリノス |
11 | FW | ![]() |
満田誠 | 1999.7.20 | 2022 | 流通経済大学 |
13 | FW | ![]() |
ナッシム・ベン・カリファ | 1992.1.13 | 2022 | エスペランス |
14 | MF | ![]() |
エゼキエウ | 1998.3.9 | 2020 | クルゼイロ |
15 | DF | ![]() |
中野蹴斗 | 2000.6.27 | 2023 | 桐蔭横浜大学 |
16 | DF | ![]() |
志知孝明 | 1993.12.27 | 2023 | アビスパ福岡 |
17 | MF | ![]() |
松本泰志 | 1998.8.22 | 2017 | セレッソ大阪 |
18 | MF | ![]() |
柏好文 | 1987.8.29 | 2014 | ヴァンフォーレ甲府 |
19 | DF | ![]() |
佐々木翔(C) | 1989.10.2 | 2015 | ヴァンフォーレ甲府 |
20 | FW | ![]() |
ピエロス・ソティリウ | 1993.1.13 | 2022 | PFCルドゴレツ |
21 | GK | ![]() |
田中雄大 | 1995.11.17 | 2023 | ブラウブリッツ秋田 |
22 | GK | ![]() |
川浪吾郎 | 1991.4.30 | 2021 | ベガルタ仙台 |
24 | MF | ![]() |
東俊希 | 2000.7.28 | 2018 | サンフレッチェ広島ユース |
25 | MF | ![]() |
茶島雄介 | 1991.7.20 | 2014 | ジェフユナイテッド千葉 |
28 | FW | ![]() |
棚田遼 | 2003.6.19 | 2022 | サンフレッチェ広島ユース |
30 | MF | ![]() |
柴崎晃誠 | 1984.8.28 | 2014 | 徳島ヴォルティス |
32 | MF | ![]() |
越道草太 | 2004.4.3 | 2023 | サンフレッチェ広島ユース |
33 | DF | ![]() |
塩谷司 | 1988.12.5 | 2021 | アル・アインFC |
35 | MF | ![]() |
中島洋太朗※ | 2006.4.22 | 2023 | サンフレッチェ広島ユース |
36 | FW | ![]() |
中川育※ | 2005.6.7 | 2023 | 2種登録選手 |
38 | GK | ![]() |
大迫敬介 | 1999.7.28 | 2018 | サンフレッチェ広島ユース |
51 | FW | ![]() |
加藤陸次樹 | 1997.8.6 | 2023 | セレッソ大阪 |
- | MF | ![]() |
木吹翔太※ | 2006.9.16 | 2023 | JFAアカデミー福島 |
※は2種登録選手。
過去に所属したおもな選手
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歴代監督
国籍 | 監督名 | 在任期間 | 備考 |
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スチュアート・バクスター | 1992年~1994年 | Jリーグ1stステージ優勝(1994) |
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ビム・ヤンセン | 1995年~1996年 | |
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エディ・トムソン | 1997年~2000年 | |
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ヴァレリー・ニポムニシ | 2001年 | |
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ガジ・ガジエフ | 2002年~2002年7月 | |
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木村孝洋 | 2002年7月~12月 | J2降格(2002) |
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小野剛 | 2002年12月~2006年4月 | J1昇格(2003) |
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望月一頼 | 2006年4月~6月 | 暫定監督 |
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ミハイロ・ペトロヴィッチ | 2006年6月~2011年 | ・J2降格(2007年) ・J2優勝&J1昇格(2008年) |
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森保一 | 2012年~2017年7月 | J1優勝(2012、2013、2015) |
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ヤン・ヨンソン | 2017年7月~12月 | |
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城福浩 | 2018年~2021年10月 | |
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沢田謙太郎 | 2021年10月~12月 | |
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ミヒャエル・スキッベ | 2022年~ | ルヴァンカップ優勝(2022) |
エピソード
- 近隣クラブや地元のスポーツチームとの交流も盛んで、中四国のクラブと意見交換会を開いたりしている。
- ホーム戦終了後に勝利した場合だけ行う仮装芸などのパフォーマンス「サンフレッチェ劇場」やゴールパフォーマンス(イレブンそろって弓を引くポーズが有名か)等、さまざまなパフォーマンスを行っている。前者は試合後の渋滞緩和の意味もあり今でも続けられているが、後者は少しずつ頻度が下がってきており、最近では誰かに子供が生まれた時のゆりかごパフォーマンスや、クラブ1,000ゴール目などの記念ゴールの時に見せるくらいである。
- 前身のマツダSC時代までは、広島県社会人サッカーリーグ創設から日本サッカーリーグ(JSL)廃止の時期までセカンドチームを保有していた。そのセカンドチームは創設当初「東洋工業クラブ(または東洋工業B)」と名乗り、1984年からトップチームの名称変更に合わせ、「マツダSC東洋クラブ」と名称変更した。その後、トップチームがJリーグ創設によりプロ化した際に、2代目マツダ(東洋工業)サッカー部・新生『マツダSC』として独立し、マツダ本社がある安芸郡府中町をホームタウンとして現在も活動を続けている。
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関連項目
クラブ公式リンク
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