基本データ | |
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正式名称 | サンマリノ共和国 La Repubblica di San Marino |
国旗 | |
国歌 | 共和国国歌 |
公用語 | イタリア語 |
首都 | サンマリノ市 |
面積 | 61km²(世界第191位) |
人口 | 約3万人(世界第190位) |
通貨 | ユーロ(EUR, €) |
加盟組織 | 国連(1992年に加盟) |
政治体制 | 共和制 |
サンマリノ(San Marino)とは、ヨーロッパのミニ国家である。
正式名称サンマリノ共和国。世界最古の共和国として知られる。
2008年に首都サンマリノ市が『サンマリノの歴史地区とティターノ山』として世界遺産に登録された。
人口・面積・経済
世界で5番目に小さいミニ国家である。(面積はマンハッタン島や日本の世田谷区とほぼ同じ)。周りをイタリアに囲まれた、世界でも珍しい「方領」である。
人口は3万人。GDPの50%以上は観光客によるもので、基幹産業は観光業である。あとは農業や軽工業、石の切り出し。ティターノ山からの石の切り出しを行って、建築資材としてイタリアの建設業界に流通させている。
EUには加盟していないが、イタリアとの取り決めに基づきユーロが通貨として流通している。
経済の中心は丘の麓にあるボルゴ・マッジョーレ市で、こちらに金融機関や小売店が集中している。
消費税が一切無いため、近くのイタリアの街からボルゴ・マッジョーレ市へ買い物に訪れる人が多い。
サンマリノ人の1人当たり支出額や生活水準はイタリアと同程度。
一応、都市国家ではない
サンマリノ共和国はミニ国家であるが都市国家ではないとされる。
北東の丘の上のこのあたりを占めるセラヴァッレ市が最大人口を誇り、
丘の麓のこのあたりを占めるボルゴ・マッジョーレ市が経済の中心、
南西の丘の上のこのあたりを占めるサンマリノ市が政治の中心で首都、あとは6つの市がある。
合計9つの市が連合して出来ているので「正確には都市国家ではない」とされる。
ただ、「サンマリノ=都市国家」と扱う人の方が多い(あまりにも小さいのでそう思うのも無理はない)
地形
国の南西にティターノ山がそびえていて、その中に首都のサンマリノ市がある。
ティターノ山は標高739mで外観はこんな感じ。白っぽい岩山に緑色の植物がくっついている。
ティターノ山の中の首都サンマリノ市と麓のボルゴ・マッジョーレ市は、ロープウェイで結ばれている。
このロープウェイはFunivia di San Marinoといい、50人乗りで秒速6mで移動。
乗り物は白と水色のサンマリノ国旗カラーに塗られている。
ティターノ山の上からの景色はこんな感じで、平野が広がり、遠くに青いアドリア海が小さく見える。
国旗と国章
サンマリノ国旗の白は純粋さ、青はアドリア海と青い空を示している。
2011年に青色部分の色の濃さが変更された。
1862年から2011年までの国旗は濃いめの青色、2011年からの国旗は水色である。
サンマリノ国旗の中には国章が描かれている。
国章には3つの塔があるが、サンマリノの象徴であるティターノ山に立つグアイタ塔、
チェスタ塔、モンターレ塔をそれぞれ示している。
この画像を見るとティターノ山の上に3つの塔があることが分かる。
国章には緑色の葉を生やした枝が左右に1本ずつあるが、よく見ると葉の形が違う。
左の丸い葉の枝は月桂樹(laurel)で「自由」を示している。(月桂樹の葉は丸い)
右のギザギザしている葉の枝はオーク(oak)で、「安定」を示している。(オークの葉はギザギザ)
国章の真ん中には王冠があり、「主権」を示している。
「世界で最古の共和国」と言っているのに王冠を描いているのが面白い。
国章にLIBERTASと書かれていて、これはラテン語で「自由」という意味。
国名の由来
4世紀にマリーノという名の石工(大工)がローマ皇帝によるキリスト教迫害を逃れ、この地に潜伏して
キリスト教徒の共同体をつくったという伝説にちなんで、「聖(サン)マリーノ」が国名となっている。
ちなみにゲーム『ドラゴンクエストVI 幻の大地』にサンマリーノという街が出てくる。
ゲームの英語版における綴りもSan Marinoで、サンマリノ共和国と全く同じ。
この街出身の大工のキャラがゲームの中でわりと重要な役割を演じることになる。
実質的にイタリアの一部
サンマリノ共和国は実質的にイタリアの一部と考えておいて差し支えない。
周囲をイタリアで囲まれ、公用語はイタリア語で、ユーロ流通前はイタリア・リラが使われていて、
宗教はイタリアと同じくローマ・カトリックが支配的で、
人口が少なくて顔見知りが多くて公平性を保ちにくいため国外から招かれる裁判官は全員イタリア人。
しかしながら『世界最古の共和国』というブランド力は非常に大きく、それゆえ独立を保っている。
戦乱が続くヨーロッパ大陸で1000年以上独立を保ち続けた事実に敬意を払うヨーロッパの人たちは多い。
クロスボウ
サンマリノを象徴するものの1つとしてクロスボウが挙げられる。
クロスボウは「石弓(いしゆみ)」とか「弩(いしゆみ、ど)」と和訳される。
クロスボウを城壁に装備して弓を放つことで、敵兵をことごとく追い払い、独立を保ち続けてきた。
1295年のサンマリノ法令の中にはサンマリノ軍の中にクロスボウ隊があることを示す文章がある。
1796年頃のナポレオンによるイタリア戦役の際もクロスボウで武装し、フランス軍を撤退させている。
首都サンマリノ市の一角にはクロスボウを撃つことができる広場がここにある。
石造りの階段で下に降りるとクロスボウがある。石弓の前には緑色の芝生が長く広がっていて、的がある。
実際にクロスボウを撃つときの音は「ドン、ドン」となかなか大きい。
クロスボウのパワーは凄く、的に刺さった矢を引っこ抜くのに一苦労する。
Youtubeで検索してもいくつかサンマリノのクロスボウの動画がヒットする。動画1、動画2、動画3
サンマリノといえばクロスボウ、ということらしく、サンマリノ共和国が発行する切手やコインには
クロスボウが描かれているものがある。
建国記念日の石弓大会
一年に一度、建国記念日の9月3日に、400年程度の歴史があるクロスボウ競技の大会が行われる。
クロスボウでナポレオン軍さえ追い払ってきたので、その誇りを引き継ぐため大会が続いている。
17kg程度の重さのクロスボウで、36メートル先にある的の中心により近く当てた選手が優勝する。
的の直径は15センチ、さらに中心の円は直径わずか3センチ。1人が射る矢は1本だけ。
弓を射る順番は抽選で決められ、最初に打った弓は的に残り続ける。
先に弓を打つ人が絶対的に有利で不公平だが誰も文句を言わない。町内会のノリである。
9月は雨が降ることも多いが、そうなると湿気で弓の軌道も変わってしまう。
衛兵
サンマリノ共和国宮殿には衛兵がいて、緑色のジャケットと赤色のズボンの姿をしている。
8時30分から18時30分まで、1時間おきに衛兵の交代式を行う。
Youtubeで検索すると衛兵の交代式の動画がいくつもヒットする。動画1、動画2
この衛兵が立っているのは5月から9月までの5ヶ月間に限られる。それ以外の季節は普通の警備員が
共和国宮殿の警備をしている。
この衛兵の正式名称は「Guardia di Rocca」で、「岩山の警備隊」といった意味。
この衛兵が使う自動車はFIATのものとスバルのものがある。なぜ日本のスバルなのだろうか・・・
観光名所
ティターノ山の上にサンマリノ市があり、その中に観光名所がいくつかある。
この場所にリベルタ広場(自由広場)がある。こんな感じの場所で、サンマリノの中心。
広場に自由の女神像が立っている。女神の王冠にはサンマリノ国章と同じく3つの塔がある。
広場に面したこの建物が、共和国宮殿(プッブリコ宮殿)である。この中で共和国の議会が行われる。
広場に近いこの建物が、サンマリノ・バジリカである。古代ギリシア風の真っ白い建物で、柱が多い。
バジリカとはローマ・カトリックから認定を受けた格の高い教会のこと。
アニメ・ルパン三世で、ルパン三世がレベッカ・ロッセリーニと結婚式を挙げたのがこの教会だった。
サンマリノ共和国の国章に描かれている塔は、ここにあるグアイタ塔、ここにあるチェスタ塔、
ここにあるモンターレ塔の3つである。
グアイタ塔は11世紀に建てられて最も古く、監獄として使われたこともあり、監獄の跡を見学できる。
チェスタ塔は古い武器の博物館になっていて、槍やライフルが収められている。
モンターレ塔は特に一般公開されていない。
これらの塔を行き来すると鹿やキツネやイノシシに遭遇することがある。
歴史
- 4世紀初頭…ローマ帝国のキリスト教徒迫害から逃れるために石工マリーノがこの地に立てこもったのが発祥と言われている。ただし、伝説。
- 1631年…ローマ法王により独立的地位を認められる。
- 1862年…イタリアとの友好善隣条約を結び、独立を確認される。
- 1992年…国連加盟。
F1サンマリノGP
ニコニコ動画において「サンマリノ」で検索すると、F1サンマリノGPの動画が多くヒットする。しかし、サンマリノGPが行われていたイモラ・サーキット(正式名称:アウトドローモ・インテルナツィオナーレ・エンツォ・エ・ディーノ・フェラーリ)は高台にあるサンマリノの麓の街であるイモラにある。つまり、サンマリノGPはサンマリノ国内ではなく、イタリア国内で行われていた。
F1では一国で2回開催する際は、隣国の名前がつけられることがあり、似たような例としてはルクセンブルクGP(実際はドイツ国内のニュルブルクリンクで行われた)などがある。ちなみに、同じミニ国家であるモナコGPはモナコ公国の威信にかけてちゃんとモナコ国内でやっている。
なお、2007年以降、F1グランプリの一国一開催の原則の遵守に伴い、サンマリノグランプリは廃止された。ちなみに、94年のサンマリノGPはアイルトン・セナ、ローランド・ラッツェンバーガーが事故で死亡した悪夢のグランプリとして知られている。詳しくは「イモラの悲劇」の記事を参照。
2020年には新型コロナウイルス感染症の流行に伴いF1世界選手権も大幅なレースカレンダーの変更を余儀なくされ、14年ぶりにイモラ・サーキットでの開催が復活した。
しかし同年の選手権がヨーロッパを中心に開催することとなり、一国一開催の原則が崩れた影響もあってサンマリノGPではなくイモラ・サーキットがある州の名前を冠してエミリア・ロマーニャGPとして開催されている。
MotoGPのサンマリノGP
MotoGPにもサンマリノGPがある。やはりサンマリノ共和国にサーキットがないという理由で、
東に18km離れたイタリア領内のここにあるミサノサーキットでレースを行う。
ミサノサーキットで行われるサンマリノGPは9月第1週に開催されることが定着している。
サンマリノ共和国の建国記念日は9月3日なので、そのサブイベントとしてサンマリノGPを行うのである。
レース決勝当日のスターティンググリッドにはサンマリノ共和国の政治家が招かれるが、
そのときにサンマリノ共和国の衛兵(緑色のジャケットと赤いズボンの人)がお供に付いてくる。
衛兵の姿はテレビ中継でもチラチラ映る。
サッカーサンマリノ代表
サンマリノはFIFAやUEFAにちゃんと加盟していて、サッカーサンマリノ代表というものがある。
人口3万人の中から代表を組むのだからチームのレベルはお察しの通りであり、
ニコニコ動画にも欧州の強豪と対戦して完敗する動画が多く上がっている。検索結果はこちら。
2004年4月28日、65回目の公式戦にして初の勝利(リヒテンシュタインとの親善試合を1-0で勝利)。
2018年現在に至るまでこれが唯一の勝利となっている。
サッカーサンマリノ代表が点を入れると対戦相手の監督が猛バッシングを浴び、
サッカーサンマリノ代表が引き分けると対戦相手の監督が辞任する。
関連動画
関連項目
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