サートリストラム(Sir Tristram)とは、1971年アイルランド生まれイギリス調教の元競走馬、ニュージーランドの元種牡馬である。
競走馬としては気性難で才能を発揮することは叶わなかったが、種牡馬としてオセアニア競馬史に残る大成功を収めた。
馬名は母イゾルト(イゾルデ)、母父ラウンドテーブルから連想して、「トリスタンとイゾルデ」として知られる悲劇の伝説やマロリー版アーサー王伝説に登場し、円卓の騎士にも名を連ねる悲しみの子・トリスタン(トリストラム)から取ったと思われる。ポロロン…
競走馬時代
父はレスター・ピゴットが生涯最優の馬と評したサーアイヴァー、母はイゾルト、母父ラウンドテーブルという血統。詳しくは後述するが、ハイペリオンの半妹オールムーンシャインのひ孫、つまり大繁殖牝馬シリーンの血を引く馬なので血統は当時としては抜群にいい。
サーアイヴァーの馬主であった駐アイルランド米国大使レイモンド・G・ゲスト氏により生産・所有され、英国のクライヴ・ブリテン師に預託された。
最初に最終成績だけ言ってしまうと4歳まで走って19戦2勝2着6回3着3回。まあぶっちゃけると特筆すべき馬ではなかった。欧州の場合のこの成績でもGIや重賞で大穴ぶち開けてる……ということはあるが彼はそんなこともなかった。
ただ、ゲスト氏肝いりで3歳になってすぐ一時的に米国に転厩させてケンタッキーダービーに出走させている。11着というなんともいえない結果に終わっているが…
冒頭に少し書いたとおりどうも気性がアレで能力を十全に発揮できなかったタイプのようで、身体能力はサーアイヴァーを知るゲスト氏も惚れ惚れするほどのものがあったらしいが、サーアイヴァーをサーアイヴァーたらしめた賢さや気性の良さから来る操縦性は一切引き継がれなかったらしい。
また、クライヴ・ブリテン師も後に*ペブルスで英国調教馬BC初勝利、ジュピターアイランドで英国産馬によるジャパンカップ初勝利を飾り、ユーザーフレンドリーをカルティエ賞年度代表馬に育て上げるなど名伯楽と呼ぶにふさわしい実績を残したのだが、サートリストラムを管理したころは駆け出しのペーペーで経験不足だったのも気性難の彼を管理する上で痛かったかもしれない。
種牡馬時代
ニュージーランド入りまで
さて、この19戦2勝の馬がなぜ種牡馬入りしたか?といえば母系がいいからということになるのだが、そこにはニュージーランドのケンブリッジスタッドのオーナーであるパトリック・ホーガン卿の情熱と慧眼が関わってくる。
優秀な種牡馬を求めて欧州にやって来たホーガン卿のお眼鏡にかなったバランスの良い血統の持ち主こそこのサートリストラムだったのだが、あまりにもマイナーかつ下級競走ばっかり走っていたので、主に走っていたフランスに来たホーガン卿は彼を発見することが出来なかった。私は悲しい…
当時は現代と比べると探しものに厳しい時代だったので致し方ない。そこで英国の仲介業者・ブラッドストックエージェンシー社のフィリップ・ガルウェイ卿に調査を依頼した。しかし本職でも現況調査に手間がかかるような有様であった。私は悲しい…
そうこうしているうちに調査が完了したが、ガルウェイ卿はあまりの凡庸な成績と見栄えしない体つきを見て「いやあ、この馬は買わないほうがいいですよ……」と報告するほどであった。歴戦のエージェントをしてこの評価なので、普通であれば買い手は付かないのだが、ホーガン卿は父から「完璧な馬の見分け方? 笑止ッ! 完璧な馬などいない!」という教えを受けており、多少の難本当に多少か?より自分の勘を信じて購入手続きを続行。
普通の人物であれば他を当たるところであったが、ホーガン卿の父の教えがサートリストラムを救ったと言える。このチャンスを逃せばおそらく5歳以降も走ることになっただろうし、成績が残せなければ……これ以上は言うまい。悲しくなるだけだから。
そして購入手続きが完了し引退、ブラッドストックエージェンシー所有の牧場で検疫待ちとなっていたのだが……この牧場で火災が発生。サートリストラムは全身に火傷を負いながらも辛くも生き延びたが、この火災で生き残ったのは僅か2頭という大惨事となった。
ニュージーランド入り後
ホーガン卿の熱意と鑑定眼に叶ってほぼなかったはずの種牡馬への道を掴み、危うく死ぬところだった火災も生き延びニュージーランドになんとか入国したサートリストラムであったが、元から悪かった気性が火災の影響で悪化してしまっていた。
ケンブリッジスタッドに到着しお披露目となったのだが……いきなり大暴れして制御不能となると柵を破壊しタニノギムレットかな?、放牧地に乱入すると他の馬を見つけ次第蹴っ飛ばしに行くという有様。
それを見たニュージーランドの生産者は「これマジ? 気性がクソすぎんだろ…」「凶暴な馬キツイわぁん」「牝馬に危害が及ぶ恐れはないのかなあ?」となってしまい予約キャンセルが相次ぎ、初手から質量ともに大したことないラインナップになってしまった。残当。
しかしそのしょっぱいラインナップから生まれた初年度産駒からコーフィールドギニー他オーストラリアのGI5勝を挙げたソヴリンレッドが現れると2年目以降の世代もGI馬を量産。一気にニュージーランドの、ひいてはオセアニア最強種牡馬へと成り上がった。
産駒の活躍は中距離を中心にしつつ、オーストラリアの本流たる短距離でも実績を残す万能性を見せてオーストラリアで6回・ニュージーランドで1回リーディングサイアーに輝いた。ステークスウィナーは140頭を越え、2000年のメルボルンカップを勝利したブリューで打ち止めとなったGI馬はなんと総勢45頭。ノーザンダンサーらすら越え当時の世界記録となった。2002年にサドラーズウェルズが塗り替えていったが。
大種牡馬なので当然の権利のようにブルードメアサイアーとしても超優秀で、こちらは200頭以上のステークスウィナーを記録。後にシャトル種牡馬として猛威を振るった*デインヒル・*ラストタイクーンの子らノーザンダンサー系諸種牡馬とも和合したことが伺える。
後継者としては父に並ぶほどの大種牡馬となったザビールが筆頭となろうか。”The Big O”ことオクタゴナルらを輩出しさらに大きくサートリストラムの血を広げ、オクタゴナルと初親子オーストラリア年度代表馬受賞を飾った”The Black Flash”ことロンローやその息子ピエロ、2021年のメルボルンカップを勝利した女傑ベリーエレガントなどなど……サートリストラムの血を引く名馬は今も数多く、*デインヒル王国となったオーストラリアでもサーゲイロード系最後の牙城を守り抜いている。トルコにもちょろっといるがそっちはハビタット起源、ニホンピロウイナーと同じ系統なので、サーアイヴァーの系統はもうオーストラリア・ニュージーランド以外ではほぼ絶滅している。まあとにかくサーゲイロード系にとってはオセアニアが最後の楽園となっていると言っていい。
……とはいうものの、最優の後継者であるザビールがスピード面で前述の欧州からの*デインヒル、*ラストタイクーン、フェアリーキング、北米からのモアザンレディ、ストリートクライらシャトル種牡馬としてやって来た北半球勢に押される面が多かったこともあって近年は90年代以降にシャトルでやって来た北半球勢が主役となって久しい。
現在では日本からも社台スタリオンがロードカナロアやモーリスを送り込み、オーストラリアの馬主もディープインパクト他サンデーサイレンスの血脈に着目してトーセンスターダムやブレイブスマッシュ、フィアースインパクトのような現役馬のトレード獲得、種牡馬としてもネオリアリズムやステファノスらの種牡馬導入を進めている。
他にもオセアニアにもサドラーズウェルズの波は押し寄せており、ソーユーシンクらを輩出したハイシャパラルの血統が優れた適応を示し、里帰りしたソーユーシンクは250頭以上を集めるトップ種牡馬となっている他、シャトルでもトロナードなどが招聘され、オーストラリアで大活躍したダンディールも人気である。また、先んじてシャトルでやって来ていた*デインヒル、*ラストタイクーン、*フェアリーキング、モアザンレディ、ストリートクライもすっかり馴染んで土着化し
- デインヒルはリーディング首位常連の筆頭種牡馬*スニッツェルを擁するリダウツチョイスの子孫、北半球に再上陸する馬も多数出したエクシードアンドエクセル、ファストネットロックなど枚挙に暇がないほどの活躍馬を出しもはや王国を作ったと言っていい大活躍である。
- *ラストタイクーンはその*スニッツェルからリーディングを奪ったリトゥンタイクーン、オレアリーの子孫が大いに活躍しており、デインヒルの牙城を崩さんとしている。
- フェアリーキングはエンコスタデラゴの血統を発展させているルービックや、夭折してしまったが競走・種牡馬両面で優れた資質を見せたノーザンメテオの子孫らが二番手付近で活躍。兄サドラーズウェルズより先に根を張ったのは伊達ではない。
- モアザンレディはセブリング、ベターザンレディや南アフリカで大活躍する種牡馬となったギミーザグリーンライトを輩出。オセアニアのヘイロー系代表格といえる。
- ストリートクライはウィンクスなど牝馬の活躍が著名だが、後継種牡馬も残しオセアニアによく対応しているミスタープロスペクター系として一定の地位を作っている。
というように、この辺も定番血統としてまだまだ健在である。さらには新顔として北米から三冠馬ジャスティファイがシャトルで、欧州からはキングマンを輩出したインヴィンシブルスピリットの子孫たちが次々導入され、この辺も新たに定着しつつある。
このようにとにかく激しい攻勢に晒され生存競争は激化の一途を辿り、サートリストラムの子孫も一時期よりだいぶ苦戦はしている。「南半球のノーザンダンサー」と讃えられたスターキングダムも直系子孫種牡馬は現代ではほぼ壊滅してしまっているのを見ると今後どうなるかはわからない。
前述のロンローの子であるピエロがゴールデンスリッパーステークスを勝ち、スピードが買われて人気種牡馬になっており後継も短距離系の馬を出しているので向こう二十年くらいはまず繁栄すると思われるが……
大種牡馬となった後も気性難はどうにもならず、馬衣を着せようとしても暴れる有様であったがスタッフはパディと呼んで大切に扱っていたという。それは1996年に種牡馬引退した後も変わらなかったが、1997年5月に放牧中の事故で肩を骨折し安楽死となった。葬儀では司教が呼ばれ、名門ケンブリッジスタッドを支えた偉大なきかん坊に40分に渡り祈りが捧げられた。今でもケンブリッジスタッドに、最良の後継種牡馬となった息子ザビールとともに眠っている。
日本とのつながり
サートリストラムの全盛期であった1980年代はオーストラリアから馬が輸入されることは稀で、○外や持ち込み馬としても北米や欧州から続々やってくるノーザンダンサー系などと比べるとあまり走っていなかった。
その数少ない中に、半兄がニュージーランド2000ギニー勝ち馬という超良血であった*ヤマニンバイタルがいた。半年遅く生まれながら年齢は半年早く生まれた北半球生まれと同じ扱いにされるというハンデを抱えつつ、旧5歳12月に鳴尾記念2着に入り、オープンまで勝ち上がるなど優れた才能を見せたものの怪我をして長期休養、その後は能力も落ち込んでフェードアウトとなってしまった。怪我さえなければ……
引退後はニュージーランドから引き合いがあったので向こうで種牡馬となりGI馬を輩出したが、そのGI馬が軒並みセン馬だったのでもう*ヤマニンバイタル直系の種牡馬はいない。
遠征馬では孫のセントスティーヴンがJGI中山グランドジャンプを制しているのが目立った勝鞍になる。
繁殖牝馬としてはザビール産駒でサートリストラムの孫に当たる*マイネプリテンダーが一番有名か。岡田繁幸氏がザビールの血に着目して連れてきた牝馬で、産駒成績もなかなか優秀であったがなんと言ってもサートリストラムから5代先にいるマイネテレジアが繁殖牝馬として大活躍しているのが白眉だろうか。
マイネルファンロンも重賞馬となったがなんと言ってもラフィアン初のクラシック勝利をもたらしたユーバーレーベンのオークス勝利が一番燦然と輝く勲章。”詐称者”の末裔が届かなかった夢を届けたのである。運命の牝馬は君だったんですね…
現在日本にいるサートリストラム系の馬にはオーストラリアからの持込馬で鞍馬S(OP)を勝ったミラアイトーンが2022年から種牡馬入りしているが、ほとんど目立つ存在ではないと言っていい。
代表産駒
- ソヴリンレッド(牡、1977年生まれ)
1980年コーフィールドギニー ウエスタンマイルクラシック ヴィクトリアダービー 1981年ロスマンズ100000 MRCアンダーウッドステークス - カープスタッド(牡、1984年生まれ)
1987年VRCサイアーズプロデュースステークス
母エイトカラットが輩出した5頭のGI馬の一頭 オクタゴナルの半兄(3/4同血) - マローディング(牡、1984年生まれ)
1987年ゴールデンスリッパーステークス - ザビール(牡、1986年生まれ)
1990年オーストラリアンギニー
オーストラリアリーディングサイアー2回、ニュージーランドリーディングサイアー4回(4シーズン連続) オクタゴナル他GI馬多数輩出 - ブリュー(セン、1994年生まれ)
2000年メルボルンカップ
母はジャパンカップ勝ち馬ホーリックス サートリストラム産駒最後のGI勝ち馬
他GI馬40頭、重賞馬多数
血統表
Sir Ivor 1965 鹿毛 |
Sir Gaylord 1959 黒鹿毛 |
Turn-to | Royal Charger |
Source Sucree | |||
Somethingroyal | Princequilo | ||
Imperatrice | |||
Attica 1953 栗毛 |
Mr. Trouble | Mahmoud | |
Motto | |||
Athenia | Pharamond | ||
Salaminia | |||
Isolt 1961 鹿毛 FNo.6-e |
Round Table 1954 黒鹿毛 |
Princequilo | Prince Rose |
Cosquilla | |||
Knights Daughter | Sir Cosmo | ||
Feola | |||
All My Eye 1954 黒鹿毛 |
My Babu | Djebel | |
Perfume | |||
All Moonshine | Bobseigh | ||
Selene | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Princequillo 3×4(18.75%)、Selene 4×5(9.38%)、Lavendula 5×5(6.25%)
- 名繁殖牝馬シリーンの他にもう一本、ラヴェンデュラという牝馬のクロスがあるのが特徴的。
- 父サーアイヴァーは英ダービー馬として初めてアメリカのレースに優勝した名馬。種牡馬としても活躍した。
- 母イゾルトはフランスで6戦1勝。
- 母父ラウンドテーブルは66戦43勝(うちレコード16回)と距離・馬場条件を選ばずタフに走り、種牡馬としても同期のボールドルーラーほどではないが活躍した。
- 曾祖母オールムーンシャインはシリーンの子で、シックル、ファラモンド、ハイペリオンの半妹に当たる超良血。ハイペリオンとは3/4同血(父がゲインズバラ産駒なので)。自身もモスボローを輩出した一流の繁殖牝馬である。
- 祖母オールマイアイは上述の通りモスボローの半妹。
- 半姉オペラ(父*ヴィエナ)、全姉ゲネヴァーは日本に輸入されたが、特にいい馬は……
関連項目
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- 0pt