シェリフズスター(Sheriff's Star)とは、1985年生まれの競走馬・種牡馬である。
概要
父*ポッセ、母Castle Moon、母父Kalamounという血統。
父は未勝利のまま英2000ギニーでクビ差2着(1位入線したヌレイエフの失格により3位入線後に繰り上がり)、愛2000ギニーで4着に入り、その後当時GIIだったセントジェームズパレスSで初勝利を挙げるとそのままサセックスS(GI)を連勝で勝ったという経歴の持ち主だが、故障のためサセックスSがラストランとなった。本馬を含めてそこそこ活躍馬を出したのが評価されて1991年に日本に輸入されたが、不幸にも最初の交配を迎える前に事故で生殖機能を喪失。日本では1頭の産駒も残せなかった。
母キャッスルムーンはアスコットゴールドカップを勝ったラグストーンの半妹で、本馬の他にセントレジャー馬*ムーンマッドネスを産んでいる。
母父カラムーンはGI3勝を挙げたが種牡馬としては人気が出る前に早世し、産駒は100頭もいない。しかし*カンパラ(*トニービンの父)やケンマールなどの活躍でサイアーラインは堅実に生き残っている。
本馬は英国貴族であるノーフォーク公爵夫人によって生産所有され、娘のヘリス師の管理を受けた。
2~3歳時
2歳8月に7ハロンの未勝利戦でデビューした。27頭立てで単勝34倍と目立っていなかったがここを2馬身半差で勝利し、次戦も勝ってデビュー2連勝とした。続くフューチュリティS(GI・1マイル)では道中でトニー・アイヴス騎手とケンカしながらもクビ差の2着に入り、2歳戦を3戦2勝で終えた。
3歳時は2000ギニーをスキップし、ダービーに向けて10ハロンのリステッド競走から始動したが2着に惜敗した。本番の英ダービーでも後方から追い込んだもののカヤージの6着までと振るわなかった。この2週間後にキングエドワード7世S(GII)を勝利し、重賞初勝利を挙げた。
秋はグレートヴォルティジュールS(GII)から始動してこれを勝ち、セントレジャーに駒を進めた。英愛オークス・ヨークシャーオークスを含む4連勝中の牝馬ディミヌエンドが単勝1.57倍の1番人気で、本馬は単勝4.5倍の2番人気だったが、抜け出したミンスターサンを捉えきれず3着。3着と言うと聞こえは良いが、6頭立ての上に1馬身差2着のディミヌエンドから8馬身差を付けられての3着であり、内容としては完敗気味だった。3歳時はこれが最後の出走となった。
4歳時
4歳時は5月のジョッキークラブS(GII)から始動。ここでは前年の凱旋門賞で4着だった同世代のアンフワインの4着に敗退したが、続くコロネーションカップでは1番人気に応えて半馬身差で勝利し、GI初制覇を挙げた。
続けてフランスに遠征してサンクルー大賞(GI・2400m)に出走し、*ゴールデンフェザントをアタマ差競り落として勝利を収めたが、イギリスに戻って出走したキングジョージVI世&クイーンエリザベスダイヤモンドS(GI・12ハロン)では春のクラシック二冠や古馬混合GIのエクリプスSを含め5戦無敗の超大物3歳馬ナシュワンらの後塵を拝し4着に終わった。
秋はドイツに遠征し、オイロパ賞(GI・2400m)に出走したが、逃げた*イブンベイにはそのまま逃げ切られ、当年の独ダービーを含むGI4連勝中だったモンドリアンにも差されて3着に敗戦した。その後西山牧場の西山正行代表に購入され、当時マレーシア・シンガポールで活躍していた道川満彦騎手を背にジャパンカップに参戦するプランもあったが故障で回避。そのまま出走することなく引退し、日本に輸入された。
種牡馬として
西山牧場で種牡馬入りした本馬は40~60頭ほどの繁殖牝馬を集めたものの、1994年にデビューした初年度産駒が全く走らず、交配数は一気に1桁まで落ち込んだ。そしてこの頃西山牧場が経営不振から種牡馬や繁殖牝馬の整理を行っていたこともあって1997年に2頭と交配されたのを最後に用途変更となり、消息を絶った。
まともに牝馬を集めていた最後の世代である1995年生まれの世代は交配45頭・生産31頭と少なかったが、その中に父と同じ芦毛を持った超大物がいた。3歳年明け早々に新馬戦を6馬身差で圧勝、続くOP特別ジュニアカップも5馬身差で勝利し「3強」の一角としてクラシックに乗り込み、皐月賞と菊花賞を制して二冠馬となったセイウンスカイである。
さらに、条件戦をコツコツ勝ち上がってきたセイウンエリアも4歳時に日経賞でセイウンスカイの2着、メトロポリタンS(OP・当時2300m)ではレコードで5馬身差圧勝を決める活躍を見せた。セイウンスカイとセイウンエリアが日経賞でワンツーした夜、西山牧場の経営を父から引き継いでいた茂行氏は本馬の写真を前にしてワイングラスを傾けたという。
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https://twitter.com/seiun0005/status/1620554384110415873
種牡馬引退後
シェリフズスター自身は廃用となって西山牧場を去ってからの消息は分かっていなかったが、2005年の「サラブレ」誌に「草競馬への出走を目指して調教していた時に心不全を起こし死亡した」との記事が掲載され、消息が判明したかに見えた。
しかし、それから15年経ち2020年8月に投稿された西山茂行氏のツイートによると「セイウンスカイがジュニアカップを勝った頃には既にこの世にいなかった」と証言しており、矛盾した二つの話がある。
シェリフズスターの用途変更は1997年10月6日で、セイウンスカイのジュニアカップ優勝は1998年1月29日(西山氏は年号を誤って記載)なので、草競馬出走から心不全まで3ヶ月の出来事と考えれば2つの話は一応矛盾無く説明出来るが、サラブレッドにとって虐待紛いの過酷な調教をしていないと説明がつかない。
キョウエイボーガンのように、食肉送り寸前のところでそれまで競馬に興味の無い主婦が引き取った例もあるが、見ず知らずの外国馬を、西山牧場が全く関知しないところで引き取ったと言うのは不自然ではある。ただ、仮に「体裁が悪いから『生きていた』とする虚偽の情報を送った」にしても、ファンにも「処分された」という噂が知れ渡った後に、このような情報を流布するメリットも考えづらく、どちらの説にも釈然としない点が多々ある。
いずれにせよ、今となっては、本馬の後半生に関しては「二冠馬を出して脚光を浴びてもおかしくなかった種牡馬は、その時既に将来を閉ざされていた」という悲しい事実が残っているのみである。
血統表
*ポッセ Posse 1977 栗毛 |
Forli 1963 栗毛 |
Aristophanes | Hyperion |
Commotion | |||
Trevisa | Advocate | ||
Veneta | |||
In Hot Pursuit 1971 鹿毛 |
Bold Ruler | Nasrullah | |
Miss Disco | |||
Lady Be Good | Better Self | ||
Past Eight | |||
Castle Moon 1975 芦毛 FNo.8-c |
Kalamoun 1970 芦毛 |
*ゼダーン | Grey Sovereign |
Vareta | |||
Khairunissa | Prince Bio | ||
Palariva | |||
Fotheringay 1964 鹿毛 |
Right Royal | Owen Tudor | |
Bastia | |||
La Fresnes | Court Martial | ||
Pin Stripe | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Hyperion 4×5×5(12.5%)、Nasrullah 4×5(9.38%)、Fair Trial 5×5(6.25%)
- 伯母ペンクイックジュエルの孫には、2歳時にGIレーシングポストトロフィーを含むデビュー3連勝、付けた着差が合計24馬身という圧倒的パフォーマンスを演じてカルティエ賞最優秀2歳牡馬となったセルティックスウィングがいる。
代表産駒
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関連項目
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