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ジェレミーパウエル
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ジェレミー・パウエルJeremy Robert Powell)とは、アメリカ合衆国出身の元プロ野球選手である。

概要

1976年6月18日生まれ。アメリカ合衆国カリフォルニア州ミラダ出身。

1994年MLBドラフトにて、ドラフト4巡(全体112位)でモントリオール・エクスポズから名され契約

1998年エクスポズからメジャーデビューを果たし、同年は7試合登板している。翌1999年には17試合先発登板し、4勝8敗、防御率4.73という成績を残した。

2001年6月末、近鉄バファローズに入団。首位争いに加わるも投手が崩壊というチーム状態であり、緊急補強のような形で加入した。シーズン途中の加入であったが、先発ローテーションに入ると、14試合先発し、4勝5敗、防御率4.95という成績を残し、パ・リーグ制覇に貢献。日本シリーズでも2試合先発登板している。

2002年日本野球に適応し覚醒チームエースとして若手の岩隈久志とともに投手を引っり、オールスターゲームにも初出場を果たす。17勝10敗、防御率3.78、勝率.630182奪三振という成績を残した他、パ・リーグ最多の4完封記録最多勝利最多奪三振最高勝率・最優秀投手を受賞し、ベストナインにも選ばれるなど、タイトルを多数獲得した。

2003年、前年の活躍からマークが厳しくなったか、やや成績を落とたものの14勝を挙げ、岩隈とともにローテーションを支えた。

2004年シーズンと押してローテーションを守ったが、15勝挙げた岩隈とは対照的に8勝に終わるなど、過去2シーズンほど成績は振るわなかった。シーズン終了後、近鉄球団消滅に伴い、分配ドラフトオリックス・バファローズへ移籍。仰木彬監督からの勧めで登録名を『JP』に変更した。

オリックスでは、14勝12敗、防御率3.51と活躍し、エースとしての役割を果たした。ただ、シーズンオフ契約交渉が上手くまとまらず、退団。その後、読売ジャイアンツへ移籍が決まった。

巨人では登録名を本名に戻してプレー2006年には先発ローテーションをシーズン通して守り、10勝10敗、防御率3.31を記録し、セ・リーグでも結果を残してみせた。しかし、2006年キャンプ中に故障し出遅れ、7試合登板に終わると、シーズン終了後に自由契約となってしまう。

その後、古巣のオリックスが獲得をし、獲得の合意を発表したが、その直後に福岡ソフトバンクホークス契約。二重契約の形となり、話はこじれにこじれた(詳細は関連動画解説動画を参照)。二重契約問題は2008年3月上旬までもつれ、最終的にはソフトバンク入団が決まった。

ソフトバンクでは12試合先発し、オリックス相手にも勝利を挙げているが、最終的には2勝を挙げるにとどまり、二重契約問題の汚名返上とはいかなかった。シーズン終了後に戦力外通告を受けた。

ソフトバンク退団後は、ピッツバーグ・パイレーツマイナー契約を果たし、メジャー復帰を志したが、2010年シーズン終了後にFAとなり、現役を引退

引退後はマイナーリーグコーチとして活動している。

プレースタイル・人物

落差の大きいカーブツーシーム武器に活躍した右腕。奪三振力の高さも魅力であった。

気性は荒い方であり、乱闘で退場処分を下されたこともある。また、乱闘寸前まで行ったことも数回ある。

成績

通算投手成績

通算:7年 登板 完投 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 投球回 与四球 奪三振 失点 自責点 防御率
MLB:3年 35 0 0 5 16 0 0 .238 148.0 64 77 112 96 5.84
NPB:8年 173 23 9 69 65 37 0 .515 1157.1 324 858 558 511 3.97

獲得タイトル・表彰

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ジェレミー・パウエル

1 ななしのよっしん
2025/02/08(土) 23:37:59 ID: 6usuaC9rHx
やはりヨミジャイより近鉄時代のユニがよく似合う助っ人
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