ジェヴォーダンの獣(La bête du Gévaudan)とは、
本項では1.について記述する。
概要と獣の特徴
1764年から1767年にかけ、ジェヴォーダン地方に出現。
この為現代では「ジェヴォーダンの獣」と呼ばれているが、当時は単に「ラ・ベート(獣)」と呼ばれていた。
古い記録という事もあり正確には不明だが、この獣による犠牲者の数は100人前後、襲撃回数は198回とも306回とも言われている。
全身は赤い毛で覆われ、牛程の大きさで、オオカミに似ており、背中に黒く長い縞があったという。
事件の流れ
襲撃の始まり
1764年6月1日、ランゴーニュ地方からやって来た女性がオオカミに似た生物を目撃。この時獣は真っ直ぐ走って来たが、農場の雄牛によって追い払われた。
同月30日、近隣の村在住の14歳の少女が行方不明となり、後に死体となって発見。これが最初の犠牲者とされ、その後も被害が増えていった。
正体不明の獣は家畜ではなく、何故か女・子供ばかりを狙った。
また通常、肉食動物の捕食行動ならば最初に足や喉を狙う所を、頭部を噛み砕き食いちぎるというのは異常と言えた。併せて「同類を連れていた」という目撃情報も上がっている。
討伐へ
この奇怪な事件はフランスのみならず、ヨーロッパ中に広がった。
村の少年達による狼狩りの噂を聞きつけた時のフランス王ルイ15世はこの「獣」に興味を抱き、討伐隊を送り込んで数ヶ月にわたる狩りを行うも、成果は上がらなかった。そこでルイ15世は討伐隊隊長を解任、猟師にして軍人であるフランソワ・アントワーヌを新たに派遣する。
1765年9月20日、アントワーヌは体長1.7m、体重60kg程の巨大なオオカミを仕留めた。このオオカミは剥製にされてヴェルサイユに送られ、アントワーヌは称号・賞金を受け取った。
しかし1765年12月2日、獣は再び出現。2人の子供に大怪我を負わせ、その後も犠牲者は続いた。
事件の終焉
それから2年後の1767年6月19日、地元の猟師のジャン・シャステルが巨大なオオカミを仕留めた。するとそれ以降襲撃がなくなり、彼は報酬と名誉を得た。
一説には、狩りの最中にシャステルが祈りを捧げていると、獣が姿を見せたという。何故か獣は彼が祈りが終えるまでじっと動かず待っており、そのまま撃たれて倒された。これによって「シャステルはオオカミを飼い慣らして不正に褒美と名誉を得た」と噂されたとあるが、そもそもこの説自体に明確な証拠はなく、単なる捏造とされている。
第二の獣の死体はルイ15世の命により埋められ、現在も見つかっていない。
獣の正体は?
オオカミ説
ジェヴォーダンと同時代にも「ソワソンのオオカミ」を始めとした人食いオオカミの存在が記録されている事もあって、ジェヴォーダンの獣はオオカミという説が主流だった。
しかし、オオカミは1匹で大きな獲物を襲う事はほぼなく、また臆病な動物であるとして否定する向きが強い。
これに対する反論として、古い時代の記録におけるオオカミの強い凶暴性が挙げられる。一つ例を挙げると、15世紀に人食いオオカミの群れがパリを包囲した事件の記録がある。
尾が半ば千切れていた事から「短い尾」を意味する「クルトー(Courtaud)」と名づけられたリーダーに率いられた一群はパリ近郊を荒らし、凍りついた水路からノートルダム広場にまで入り込み、不運にも通りかかった40人以上の聖職者を食い殺したという。
ハイエナ説
「人間を襲う時に顔を噛みつく」という証言と一致するが、獣がしたような高い跳躍力を持っていない。1997年、パリの自然史博物館にてシャステルが射殺したシマハイエナの剥製が見つかり、それがジェヴォーダンの獣だとする説が出た。しかし当該の死骸は埋められて所在不明となっており、何より展示期間が1766年(獣が仕留められたのは1767年)以降となっているため話が合わない。
しかし当時の宗教事情を踏まえ、猟師が「神の祝福を受けた銀の弾丸」で魔獣を倒して英雄に祀り上げられる事でカトリックの影響力を強めようとしたという説もあり、そこではハイエナ説が支持されている。
ハイブリッドウルフ説
大きな体や高い跳躍力を持つ個体がいたという記録があり、また人による調教や随伴も可能である。
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関連項目
- UMA(未確認動物)
- 陰謀論
- シートン動物記:『ジェヴォーダンの獣』を上梓、1937年の『歴史に残る動物たち / 狼を中心として』所収。ちなみにクルトーについても『フランスの狼王』のタイトルで発表されている。
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