基礎データ | |
---|---|
正式名称 | ジブチ共和国 جمهورية جيبوتي République de Djibouti |
国旗 | |
国歌 | ジブチ Djibouti |
公用語 | アラビア語、フランス語 |
首都 | ジブチ市 |
面積 | 23,000 km2(世界第146位) |
人口(’18) | 約95.9万人 |
通貨 | ジブチ・フラン(DJF) |
ジブチ共和国、通称ジブチ(Djibouti)とは、アフリカ大陸の東部、紅海とアデン湾の境目であるバブ・エル・マンデブ海峡に面した国。
エリトリア、エチオピア、ソマリア(ソマリランド)と国境を接し、マンデブ海峡を挟んだ対岸はイエメンという、名だたる脆弱国家に包囲された小国。アラビア半島から目と鼻の先にあり、アラブ連盟に加盟しているため、中東扱いされることもある。
歴史
19世紀半ばにスエズ運河開発のためにフランスが進出。その後「フランス領ソマリ」となり、1960年のアフリカ独立ラッシュの際にも、独立派である多数派のイッサ族と、現状維持派である少数派のアファル族の対立のため独立に至らなかった。政治的にアファル族に有利な法制度だったため、その後もしばらくフランス領のままだったが、1975年の法律改正でイッサ族の発言力が増し、1977年の国民投票で独立が決定した。
独立後は大統領がイッサ族、首相がアファル族という体制を採ったものの、人口的に多数派であるイッサ族の政党による事実上の一党独裁体制であったため、イッサ族とアファル族の民族対立は深まっていき、1991年にアファル族が北部で蜂起してジブチ内戦が勃発した。内戦は1994年にアファル族の穏健派とは和平を結んだものの、急進派の抵抗は2001年まで続いた。
1999年にゲレ大統領が就任、2001年に内戦が終わると、以降はゲレ大統領の長期政権が続いている。制度上では複数政党制ではあるものの2013年まで与党が全議席を独占する事実上の一党独裁体制が続いており、ゲレ大統領は人権団体などからは独裁者と非難されている。2013年に初めて野党が議席を獲得し、以降は一応複数政党制が成立している。
概要
国土の大半が砂漠に覆われており、地球上で最も暑い地域のひとつ。国の人口の半分以上が首都のジブチ市に集中している。ジブチ市は国の南東部、タジュラ湾の南部沿岸にあるため、主に北部で戦っていたジブチ内戦の影響は首都にはほとんどなかったらしい。
民族構成はイッサ族が50%、アファル族が37%を占める。公用語はアラビア語とフランス語だが、住民の多くは地元の言語(イッサ族はソマリ語、アファル族はアファル語)を使用している。住民の94%はイスラム教徒で、残り6%がキリスト教徒。
経済的には最貧国で、自然環境が厳しいため農業生産力は極めて脆弱。国土が小さいため資源もなく、ジブチ港を介して隣国エチオピアの貿易の中継地点となることで経済が回っている中継貿易国家である。エリトリアが独立してエチオピアと対立しているため、内陸国になったエチオピアにとってはジブチが海上貿易の要となっている。それもあってか、エリトリアとの国境線は緊張状態が続いている。
民族対立や一党独裁などの問題を抱えているものの、大きな政情不安などはなく、周辺の世界最低レベルの脆弱国家たちに比べるとマシな状態の国。近年は自由貿易の拠点として湾岸諸国や中国からの投資が進んでいる。
主な観光地は世界で3番目に大きな塩湖・アッサル湖、紅海沿岸のビーチやダイビングスポットなど。
日本との関係はもともとあまり深くなかったが、2011年からソマリア沖の海賊問題のため自衛隊が基地を作って駐屯している。自衛隊にとっては事実上初の海外基地。大使館はエチオピア大使館が長くジブチ大使館を兼任していたが、2012年にジブチにようやく日本大使館ができた。
関連動画
関連商品
関連項目
- 0
- 0pt