ジム・トーミとは、アメリカ合衆国イリノイ州ピオリア出身の元MLB選手である。
現在はシカゴ・ホワイトソックスのGM補佐。
史上8人目の600本塁打を放ち、通算本塁打数を史上7位の強打者。
実況パワフルメジャーリーグでは「ジム・トーミー」となっている。
経歴
インディアンス時代
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1989年ドラフト13巡目(全体333位)でクリーブランド・インディアンスに入団。入団時は三塁手。
1994年に20本塁打を放ち、 インディアンスの中心打者として活躍。
1996年には38本塁打・116打点・122得点・123四球をマークし、球団史上2人目となる30本塁打・100打点・100得点・100四球を達成。
1997年には一塁手に転向し、オールスターゲームに初選出される。
2002年に球団記録50本塁打を更新し、52本塁打。また6月25日から7月3日にかけてメジャー記録タイの7試合連続本塁打を達成した。シーズン終了後、インディアンスとの契約延長を拒否し、FAでフィラデルフィア・フィリーズに移籍する。
フィリーズ時代
移籍1年目となる2003年、47本塁打を放ち自身初の本塁打王のタイトルを獲得。
2005年は右ひじの故障のため59試合・打率.207・7本塁打。8月には右ひじの手術を受けた。そのトーミの代わりに、一塁手としてライアン・ハワードが活躍し、新人王も獲得して台頭。11月25日にトレードでシカゴ・ホワイトソックスに移籍した。
ホワイトソックス時代
一塁手のレギュラーにポール・コネルコがいたため、トーミは主に指名打者として出場。2007年にはサヨナラホームランでメジャー史上23人目となる500本塁打を達成した。
ドジャース、ツインズで600本塁打
2010年にはツインズへ移籍。年俸150万ドル(約1億3000万円)と破格の安さだった。このシーズンは年齢を考慮した休養も挟みながらの108試合の出場。しかし、276打数にもかかわらず25本塁打。チームの地区優勝に貢献した。
2011年には8月15日のデトロイト・タイガース戦で2打席連続となるホームランを放ち、史上8人目の通算600本塁打を達成した。その10日後、インディアンスのトレードで移籍し、9年ぶりの復帰。トーミが合流した最初の試合ではチーム全員が、トーミのトレードマークであるオールドスタイルのストッキングでプレーし、試合後にはトーミ帰還記念の花火大会を行った。
2012年にはフィリーズに復帰したが、6月にはオリオールズへ移籍し、オフに現役を引退。
2013年にはシカゴ・ホワイトソックスのGM補佐に就任した。
人物
人柄が良いことでしれ、「『強打者で最高のチームメイト』は誰か」というアンケートではトーミが最も支持された。
トーミに関するエピソードで有名なのはこれだ。試合中にバットを飛ばしてしまい、それを観客の男性がキャッチ。一度は回収に向かったが、トーミは予備のバットで打席に向かい、観客の男性にバットを渡した。人柄の良さがにじみ出る一幕だった。
昔ながらの球の捉え方から『クラシックなパワーヒッター』と称される。バリー・ボンズやジェイソン・ジアンビと違い、テクニックよりも純粋なパワーと極端なアッパースイングから打球を放つというイメージ。インパクトの瞬間の音が他の選手とは異なっているとも言われていた。ホームランの飛距離も驚異的で、511フィート(約156メートル)を記録したことも。
薬物疑惑にも名前が上げられず、クリーンな打者として印象強い。2013年1月5日のCBSスポーツ電子版による「現役選手で殿堂入りが確実な5人」という特集ではデレク・ジーター、イチロー、アルバート・プホルス、マリアノ・リベラとともにジム・トーミの名前が上げられた。
通算成績
通算:22年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
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MLB | 2543 | 10313 | 8422 | 1583 | 2328 | 612 | 1699 | 19 | 1 | 74 | 1747 | 69 | 2548 | 165 | .276 | .402 |
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関連項目
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