ジャン・ピエールとは、小説「銀河英雄伝説」に登場する人名である。
ヘイ、ジャン・ピエール、地獄がお前に媚を売っている
ヘイ、ジャン・ピエール、お前に似あうのは偽りの微笑
ヘイ、ジャン・ピエール、魔王をとじこめた地獄の氷をくだいて
ヘイ、ジャン・ピエール、お前のグラスにうかべよう……
概要
外伝『ユリアンのイゼルローン日記』内、796年12月6日の記事において、書き手であるユリアン・ミンツがオリビエ・ポプランから教えてもらった「女の子たちが歌っている歌」に登場する名前。
歌われているこのジャン・ピエールという名前の持ち主は、西暦時代に実在した宇宙の放浪者だったという。ポプラン当人もはっきりしたことを知らなかったが、彼曰く「おれみたいに」とにかく女にもてた人物とのことで、10個以上の惑星がジャン・ピエール最期の地であると主張しているようである。その後はポプランの自慢のだしになっただけなので省略。
「長い夜の見張り」における「ジャン・ピエール」
「ジャン・ピエール」の名は、実は『銀河英雄伝説』に先立つ1981年に発表された田中芳樹の短篇作品「長い夜の見張り」にも登場している。しかも『ユリアンのイゼルローン日記』同様に歌の歌詞に含まれる形で、である。
ヘイ、ジャン・ピエール、地獄がお前に媚を売ってる
ヘイ、ジャン・ピエール、白い翼や黄金の輪はお前にゃ似合わない
ヘイ、ジャン・ピエール、魔王を閉じこめた地獄の氷を砕いて
ヘイ、ジャン・ピエール、お前の酒杯に入れよう……
のちの「ユリアンのイゼルローン日記」に比べ、第二行の変化のほかは僅かに表現が異なる程度の違いしかないこの歌詞は、「長い夜の見張り」の主人公サカキ中佐が「部隊で流行している歌」として唱うかたちで登場する。
「長い夜の見張り」は設定からして明確に『銀河英雄伝説』と世界観を異にする作品であるため、両者のジャン・ピエールのあいだに直接の関係はなく、「ユリアンのイゼルローン日記」執筆にあたってこの「ジャン・ピエール」の歌のみが流用されたものとみられる。
「懸賞金稼ぎ」におけるジャン・ピエール
さらに「長い夜の見張り」よりも前の1978年に李家豊名義で発表された短篇「懸賞金稼ぎ」にも、ジャン・ピエールの名が登場している。こちらは歌ではなくれっきとした主要登場人物としてであり、『銀河英雄伝説』のジャン・ピエールとの明示的な関連性は更に薄くなるが、作中設定や描写など、どこか『銀河英雄伝説』で僅かに語られるジャン・ピエールとの関係を感じさせるものとなっている。
「懸賞金稼ぎ」でのジャン・ピエールは、舞台となるパラス星系の第二惑星ガゼリオンで地上車の運転手をしている15歳の少年として登場。フルネームをジャン・ピエール・フレモン(作中では通常ジャン・ピエールとのみ表記される)、レグルス星系第三惑星イオリスに生まれ、明るい茶色の髪と青磁色の瞳、そして「デリケートな造作」と表現される容貌を持つ美少年である。彼はガゼリオンで旅費を稼いでいつか地球に行くことを夢としており、物語の最後で宇宙の旅へと飛び立つことになる。
作中の台詞から、この「懸賞金稼ぎ」は西暦2610年ごろのことであることが読み取れるが、『銀河英雄伝説』で西暦2610年といえば地球統一政府の時代、恒星間移住を進めた人類の生存権拡大が半径90光年強で完全に停滞状態に陥り、地球の経済的搾取を受ける各植民惑星の中で反地球機運が高まっていく時期のこととなる。また、「懸賞金稼ぎ」作中には「プロキシマ星系第五惑星プロセルピナ」という地名が登場するが、『銀河英雄伝説』においても地球支配を打倒した”ラグラン・グループ”が初めて会同したとされる中立地帯の名が「プロキシマ系第五惑星プロセルピナ」であるなど、のちの『銀河英雄伝説』で背景として語られる西暦時代と合致するような内容が多い[1]。
補遺:初期の田中芳樹作品と『銀河英雄伝説』
この際述べておくと、この時期の田中芳樹(李家豊)の短篇には、他にも『銀河英雄伝説』で語られる西暦時代末期を思わせる描写が少なからず存在する。処女作「緑の草原に……」(1978年)の時点ですでに名のみ登場する「プロキシマ第五惑星プロセルピナ」は、つづく「黄昏都市」(同前)では独立を主張するシリウスと宗主国地球とのあいだで日和見的な位置にあることが語られる。「戦場の夜想曲」(1984年[2])は、生産力を失いながらも植民惑星を政治的・経済的に支配する地球により脅威に仕立てられたシリウスと地球の戦争中を描いた作品である。
これらは、「黄昏都市」が西暦2701年を舞台としている(『銀河英雄伝説』では2689年の時点で地球がシリウスを討っている)、「戦場の夜想曲」での戦争のきっかけは2388年のプロキシマ星系民族主義新政権の「脱地球化」宣言であるなど、『銀河英雄伝説』との細かい相違点はあるものの、おおまかには『銀河英雄伝説』の前史と同様である。このことは『炎の記憶 田中芳樹初期短篇集成2』の解説(末國善己による)にも、「描かれた未来の歴史は、『銀河英雄伝説』における銀河帝国と自由惑星同盟の成立にいたるプロセスに近い」と触れられている。
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「懸賞金稼ぎ」「緑の草原に……」「黄昏都市」は『緑の草原に……』、「長い夜の見張り」「戦場の夜想曲」は『炎の記憶』に所収。
関連項目
脚注
- *余談ながら、星系名の「パラス」もウォリス・ウォーリックの出身惑星として同じ名が出ている(由来はギリシャ神話か)が、こちらは同盟領内の惑星であり、たとえ『懸賞金稼ぎ』が『銀河英雄伝説』と世界観を共有する作品であるとしても、同一の土地である可能性は低い。
- *西暦時代末期が語られた『銀河英雄伝説』6巻飛翔篇は1985年。
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