ジョホールバルの歓喜とは、1997年11月16日、マレーシア・ジョホールバルにおいて行われた98年フランスW杯アジア第3代表決定戦であり、日本代表がワールドカップ初出場を決めた試合である。
ジョホールへ至る道
あれから、4年の歳月が流れました。
胸に宿るものが、今、この瞬間に燃え上がろうとしています。
国立競技場に吹いているのは西からの湿り気を含んだ風。
遥かにフランスを思いながら、長い戦いの始まりです。
ドーハの悲劇から4年、日本代表は加茂周を監督に迎え、再びW杯最終予選に挑むこととなった。
初戦のウズベキスタン戦は三浦知良の4ゴールを含む6-3で大勝し、幸先の良いスタートを切る。
しかしこの時、まさか本当に「長い戦い」となるなど、まだ誰も予想していなかった。
アウェーのUAE戦を0-0の引き分けに終え、続く韓国との第3戦、山口素弘のループシュートで先制したものの、その後逆転され1-2で敗北。この時点でグループリーグ1位突破が絶望的となった。
そしてアウェーでのカザフスタン戦、1点リードで試合を進めたものの、試合終了間際に同点に追いつかれ1-1の引き分け。
この試合直後、JFAは加茂監督の更迭を発表、当時ヘッドコーチを務めていた岡田武史が監督に就任した。
岡田監督の代表初試合となったアウェーのウズベキスタン戦では、先制点を挙げられるも、同年日本に帰化した呂比須ワグナーの同点ゴールで引き分けに持ち込み、次の試合に望みを繋いだ。
しかし、続くホームでのUAE戦でまさかの引き分け。この時点で韓国が1位でのW杯出場を決め、同時に日本の自力での2位からのプレーオフ出場の可能性が消滅した。
(当時のアジア出場枠は3.5であり、グループA・Bの2位のチーム同士が第3代表決定戦で出場を争う方式だった)
完全に後がなくなってしまった日本代表であったが、ここから奇跡の快進撃が始まる。
アウェーの韓国戦において名波浩と呂比須のゴールにより2-0で勝利、翌日にUAEが引き分けたため、日本が逆転で2位に浮上した。しかしこの試合中、三浦と呂比須が次の試合に出場できなくなってしまう。
そこで岡田監督は2人の選手を追加招集した。中山雅史と高木琢也である。両者は監督の期待に見事に答え、カザフスタン戦で両者共にゴールを決める活躍を見せた。
この試合で5-1で勝利した日本はグループBの2位通過を確定させ、アジア第3代表決定戦への出場権を得た。
相手はグループAの強豪国、イランである。
ジョホールバルの激闘
スコールに洗われたジョホールバルのピッチの上に、
フランスへの扉を開ける一本の鍵が隠されています。
ラルキン・スタジアムのこの芝の上で、日本代表はその鍵を必ず見つけてくれるはずです。
決戦の舞台はマレー半島最南端の都市、ジョホールバル。日本はもとよりマレーシア・シンガポール・インドネシアといった近隣諸国からも数多くのサポーターが詰めかけた。筆者の父もこの試合をメインスタンドで観戦している。
この試合に勝てばW杯出場決定。負ければオセアニアグループ1位のオーストラリアとの大陸間プレーオフに回ることとなる。
日本代表のスターティングメンバーは以下の通り。
前半39分、中田のスルーパスから中山が先制ゴールを決め、前半を終える。
後半に入ると試合はイランのペースとなり、開始25秒でアジジに同点ゴールを決められ、14分にはアリ・ダエイのヘディングシュートで一気に逆転されてしまう。
そして後半18分、岡田監督は思い切った作戦に出る。中山と三浦を同時交代させ、城彰二、呂比須ワグナーを投入。
この時、三浦が「えっ?俺?」と自分を指差したシーンは、その後の代表落選と並ぶ印象的な場面として名高い。
そして後半31分、中田のクロスから城が頭で合わせて同点、そのまま試合は終了し、決着は延長戦(Vゴール方式。どちらかが1点取ったら決着)にもつれ込むこととなった。
そして歓喜へ
「このピッチの上、円陣を組んで、今、散っていった選手たちは、
私たちにとっては『彼ら』ではありません。これは、『私たち』そのものです」
迎えた延長戦、岡田監督はMF北澤に変えてFW岡野雅行を投入。
日本代表に選出されながら、ここまで1度も出場機会のなかった岡野。ここに来てまさかの投入である。
その期待に答えるため岡野は全力で走った。しかしGKと1対1の場面において出した中田へのパスをカットされたり、フリーの状態でシュートを撃つが宇宙開発に終わったりとあと少しの差で決まらない。
一方イラン代表もここまで来たら負けられないと言わんばかりに猛攻を見せる。
後半12分にはクロスボールからダエイが猛烈なシュートを放つも、ボールはバーの上を通過、場内は安堵のため息に包まれた。
このままPK戦かと思われた後半13分、呂比須が奪ったボールを中田が一気にゴール前まで持って行き、シュート。
そして、そこに走りこんでいたのは、岡野だった。
「やったーーーーー!!」
後に岡野は「ここで外していたら日本に帰れないと思った」と語っている。
備考
- VゴールでW杯出場を決めたのは、世界でも岡野ただ一人である。
- この試合に敗れたイランはオーストラリアとの大陸間プレーオフに出場。ホームの第1戦を1-1、アウェーでの第2戦を2-2と引き分けで終えるものの、「ホーム&アウェー方式で2戦とも引き分けだった場合、アウェーゲームで得点数が多い方を勝ちとする」というルール(→アウェーゴール)によりW杯出場が決定した。この出来事は「メルボルンの悲劇」と呼ばれている。
- 一方、プレーオフで敗れたオーストラリアは2002年大会予選においても大陸間プレーオフで敗れて出場を逃している(2006年大会は大陸間プレーオフで勝利し本大会に進出)。その後はアジアサッカー連盟に加入し、2010年大会はアジア代表としてW杯への出場権を獲得した。
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関連項目
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