ジョルジュ・ビゼー(1838~1875)とは、19世紀に生きたオペラを中心とした作曲家である。
概要
フランスのパリに生まれ、両親ともに音楽関係者であったため音楽に親しんだ幼少期を送った。9歳でパリ音楽院に入学し、フランソワ・マルモンテル、シャルル・グノー、ジャック・アレヴィらに学び優秀な成績を収めた。17歳にして交響曲を作曲した彼は1850年代にイタリア様式のオペラでまずまずの評価を得、1863年「真珠取り」でついに成功をおさめた。この後しばらくオペラから離れ、「子供の遊び」など器楽曲を作っていくが、やがて再びオペラに戻っていった。
そんな彼の代表曲がオペラ「カルメン」である。当時フランスには保守的でグランド・オペラを中心に選曲するオペラ座、開放的でオペラ・コミックを中心的に選曲するオペラ・コミック座の二つがあった(この二つの違いはセリフにも旋律をつけるか否かである)。ビゼーの「カルメン」はこのうちオペラ・コミック座で初演されたが、結果は酷評。しかしその後30回以上も上演され、ビゼーは33回目の上演の際、心臓発作によって37歳で亡くなったのであった。
そしてこの後である。彼の「カルメン」は友人のギローによってグランド・オペラに編曲され、大ヒットをおさめるのであった。こうしてビゼーは没後生前と比べられないほど高く評価されることとなり、「アルルの女」などほかの曲も認知されていくのである。
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