ジョージ・アンドリュー・ポープ・ジュニア(George Andrew Pope Jr.)とは、アメリカ合衆国ケンタッキー州の馬産家である。
サンデーサイレンスの母親Wishing Wellを生産したことで知られる。
概要
カリフォルニア州で馬産をする
ジョージ・アンドリュー・ポープ・ジュニア(George Andrew Pope Jr.)は1901年11月12日にアメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコで生まれ、1979年1月27日に77歳で生涯を終えた人物である(写真
)。
父親はジョージ・アンドリュー・ポープ・シニア(George Andrew Pope Sr.)で、1864年生まれ1942年没であり、カリフォルニア州で活動した人物だった(写真
)。馬産に携わっていたのかもしれないが詳細は不明である。
ポープJr.は1950年頃にはすでに馬産をしていた。拠点はカリフォルニア州マデラのこの場所
にあるエル・ペコ・ランチだった。エル・ペコ(El Peco)というのはスペイン風の名前であり[1]。1848年までスペインが植民地としていたカリフォルニア州らしい名前である。ランチ(ranch)は英語で「牧場」という意味。
1962年ケンタッキーダービー馬Decidedlyを生産する
ポープJr.は1962年のケンタッキーダービー馬であるDecidedly[2]を1959年に生産したことで知られている。
Decidedlyの父はDetermine[3]で、1951年にカリフォルニア州で生まれて1954年のケンタッキーダービー馬になった馬であり、引退後はカリフォルニア州の牧場で種牡馬になっていた馬だった。
さらにDecidedlyの父父はAlibhaiで、1938年英国生まれのハイペリオン産駒だが、米国カリフォルニア州の映画業界における超大物として知られるルイス・B・メイヤー
が購入してカリフォルニア州の厩舎に入った馬である。怪我をして競走しなかったが、カリフォルニア州の馬産を引っ張る種牡馬として大活躍し、最後にはケンタッキー州に栄転していった。
ようするにDecidedlyはコテコテのカリフォルニア州の馬だった。米国最大の馬産地はケンタッキー州で、カリフォルニア州は馬産の点で僻地なのだが、そこから飛び出た名馬だった。Decidedlyから52年経ってようやく久々にケンタッキーダービー馬のカリフォルニアクロームが出た事実を考えれば、カリフォルニア州が遅れた馬産地であることがよく分かる。
1950年代にHilaryという牡馬を所有する
ポープJr.はHilary[4]という牡馬を所有していた。ハイペリオンの産駒として1943年に英国に生まれて米国カリフォルニア州にて種牡馬入りして活躍したKhaledという馬がいるのだが、HilaryはそのKhaledの1952年生まれ産駒である(血統表
)。
Hilaryの競走生活はラジョラSなどの中級ステークスに勝った程度であったが[5]、ポープJr.が引き続き種牡馬として所有し、ポープJr.が所有する牝馬のほとんどに交配されていた。
このHilaryという種牡馬がポープJr.の馬産を大きく支えた。
1964年ケンタッキーダービーの2着馬Hill Riseを生産する
ポープJr.が作り出すHilary産駒の中に、1961年生まれのHill Rise[6]という馬がいる。8連勝して1964年のケンタッキーダービーに乗り込み、1番人気になり、当時のレースレコードである2分0秒0で走破したのだが、ほんのわずかのクビ差だけ優勝馬に届かなかった。ちなみにこのとき優勝したのが、20世紀最高の大種牡馬Northern Dancerである。
1973年英国1000ギニー・英国オークス馬Mysteriousを生産する
ポープJr.が作り出すHilary産駒の中に、1965年生まれのHill Shade[7]という牝馬がいる。
この牝馬をアイルランドに連れて行き、同地で競走生活をさせたらナッソーステークスとサンチャリオットステークスを獲得した。そのままアイルランドで繁殖入りさせ、1970年に英国ダービー馬Crepelloと交配させたら、Mysterious[8]という牝馬が生まれた。このMysteriousは1973年の英国1000ギニー(英国版桜花賞)と英国オークスを勝った名牝となった。ただしMysteriousの繁殖生活はイマイチで、さしたる強豪馬を生んでいない。
1978年米国チャンピオンスプリント馬J. O. Tobinを生産する
ポープJr.が作り出すHilary産駒の中に、1965年生まれのHill Shadeという牝馬がいて、1970年にMysteriousという名牝を産んだことは先述の通りである。
Hill ShadeはMysteriousを生んだ後に米国カリフォルニア州に里帰りし、ポープJr.のエル・ペコ・ランチで繁殖入りして、1974年にJ. O. Tobinという快速馬を生んでいる。1400m~2000mで活躍して、1978年には米国チャンピオンスプリント馬
の称号も手に入れた(戦績
)。
このJ. O. Tobinの勝ち鞍のなかには1977年のスワップステークス(2000m)があるが、そのレースは無敗の三冠馬Seattle Slewが生涯で初めて敗北したレースとして知られている。
Wishing Well(ウィッシングウェル)を生産する
ポープJr.は1948年生まれのDowager[9]という牝馬を英国から輸入して、やっぱり種牡馬Hilaryと交配した。
このDowagerという牝馬は、Wishing Well(ウィッシングウェル)の母母母(3代母)となり、あの大種牡馬サンデーサイレンスの母母母母(4代母)となった存在である。
Dowagerや、その娘Edelweissや、その孫娘Mountain Flowerや、そのひ孫娘Wishing WellはいずれもポープJr.が生産して所有した馬である。つまり大種牡馬サンデーサイレンスの牝系はすべてポープJr.がカリフォルニア州ではぐくんできた。
1975年生まれのWishing Wellは4歳(旧表記5歳)の1979年にマイクル・リマ夫妻に買われていった。ちょうどそのころ、1979年1月27日に77歳でポープJr.が生涯を終えたので、ポープJr.はサンデーサイレンスの大活躍を見ることがかなわなかった。
関連リンク
Wikipedia
- Decidedly
1962年ケンタッキーダービー馬 - Khaled
ポープJr.お好みの種牡馬Hilaryの父 - Hill Rise
1964年ケンタッキーダービー2着馬。ノーザンダンサーに敗れた - Mysterious
1973年英国1000ギニー・英国オークス勝ち馬 - J. O. Tobin
1978年米国チャンピオンスプリント馬 シアトルスルーに勝った - Wishing Well
1975年生まれで38戦12勝。サンデーサイレンスの母
その他
関連項目
脚注
- *スペイン語のelを英語に訳すとtheになる。El Pecoを英語に直すとthe Pecoになる。
- *英語で「決定的な」という意味の英語。
- *Determineは「決定する」という意味の英語。
- *Hilaryは英語圏の名である。近年は女性名としての印象が強いが、男性名として使われた例も多い。詳細はヒラリーの記事を参照のこと。
- *山野浩一の伝説の名馬100選 番外編

- *Hillは「丘」でRiseは「そびえ立つ」という動詞。Hill Riseで「丘がそびえ立つ」となる。
- *Hillは「丘」でShadeは「影」。「山でできた影」という意味。
- *Mysteriousは神秘的という意味。
- *Dowagerは「経済的に恵まれた未亡人」という意味。
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