ジョージ・パットン単語

ジョージパットン
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ジョージ・パットン (ジョージスミスパットJr George Smith Patton Jr.:1885年11月11日1945年12月21日)とは、アメリカ合衆国陸軍将軍(最終階級中将)である。

二度の大戦において勇名をはせるなど功績の反面、舌禍事件など数々の不祥事も多く、毀誉褒貶のおおい人物でもあった。

概要

実は合衆陸軍設立当初からの伝統ある軍人一家息子として1885年に生まれる。
パット独立戦争時代の有名な将軍でもあるヒュー・マーサーの血筋であり、祖南北戦争で南軍側で戦っていたということもあったせいか子供のころから英雄願望は強かったらしい。ただし失症?のためかあまり学業のほうはパッとしなかったようだ。
輪廻転生も信じていたようで、カルタゴハンニバル将軍の生まれ変わりといい、ローマ軍団の兵であったこともあるといい、ナポレオンとともに戦ったとっていたこともあるとか。

ウェストポイント陸軍士官学校を経て射撃・フェンシング水泳術・ランニングで争う近代五種の選手としてストックホルム・オリンピックに参加(5位)。その後、陸軍騎兵隊に所属し功績を挙げる。

第1次世界大戦アメリカが参戦すると、騎兵ではなく戦車部隊指揮官として派遣(このとき大尉)。戦時昇進で一時的に大佐にまで昇進したものの、戦後少佐に戻る。だが、このときに戦車の運用について見識を深めたことが彼の今後の人生を定めたといってもいい。

戦間期にアイゼンハワーと知己を得るなどの点もあったが、自らがめていた機甲部隊の拡充は予算不足のためもあり却下されるなどの不遇、軍縮傾向であるため昇進スピードも落ちていたのもあったせいか、私生活の面ではかなりやさぐれていたらしい。の親友と不倫していて離婚寸前だったとか、アルコールにおぼれていたとか、まぁ、色々である。
とはいうものの、次第に高まる戦争への緊覚めたのか次第に私生活もするようになり、第二次世界大戦後には順調に准将まで昇進、第2機甲師団長となる。

アメリカ軍の正式参戦後アフリカ派遣される(少将中将)。当時のアメリカ軍は規も緩く、友軍である英陸軍からもイタリア軍扱いされるほどの弱兵ぞろいであり、DAK(ドイツアフリカ軍団)にいいようにやられていた。
パットンはこれらの状況を打破すべく、規底させ猛な訓練を施すことになった。使えない、規を守らない士官・将官には情け容赦なく厳しい罰則を与え、功績を挙げた将兵は過剰なほどの賞賛でたたえた。指揮官先頭の原則を常に最優先とし、自らも常に最前線に立つ一方、後方に部を作ったまま動かない将官を罷免するほどだった。
部下の将兵には決して人気の出るタイプではないが、組織には必要人材とも言えるだろう。

北アフリカ戦線、シチリの戦いなどでも功績を挙げたものの、野戦病院戦闘神経症(シェルショック)になっていた兵士を殴打する事件を起こしてしまう。傷のままで病院にする兵士の姿に慢ならなかったせいだとも言われているが、この一件は軍上層部で問題視され、彼は部隊を取り上げられしばらくの間謹慎にも近い扱いを受け、その後もノルマンディー上陸作戦直前まで偽装工作で設置された偽部隊の指揮官という閑職に追いやられてしまう。
(実のところをいうと、ドイツ軍パットンの動向を最重要視しており、彼が配属された部隊がと誤判断。展開している部隊から連合軍はカレーへ上陸すると信じるようになっていたので、本人はともかく連合軍としては狙い通りであった)

ノルマンディー上陸作戦時、僚友でもあるアイゼンハワーの引きもあってか前線指揮官としてアメリカ3軍揮をとることになる。彼がここで揮下の部隊に対して行った演説、すなわち『パットンの演説(Patton's Speech)』は、戦時下における名演説とも言われている。
いささか粗野な兵舎、すなわち軍の下士官、兵卒らが使うような汚い言葉に満ちているが、そこには軍人の責務をめ、勝利め、いかなる部署(武器科も需品科トラックの運転手も)全て重要な部署であり、チームであると論じている。ついでに書くと、この演説パットン自ら演説にあたり原稿を用意することなく即で複数の部隊に演説をしているため内容が若干異なっていることもあり複数のパターンがあるようだ。代表的なものはwikipediaにあるので興味がある方は確認してほしい→exit。この演説の抜映画でも使われている。

ルマンディーに第3軍として上陸した後は連合軍最西側で勇躍、電撃戦のような突破・運動を行い多数のドイツ軍将兵を捕虜、装備を失わせることに成功する。その後もフランス東部へドイツ軍のおを奪うような電撃戦を行い進出するものの、作戦的を達せられなかったことや、その後の連合軍上層部の混乱・誤信などもあり補給が滞ったために進軍を停止してしまう。

(詳しくは、ノルマンディー上陸作戦の記事を確認のこと)

連合軍内部の混乱もあり進軍が停止したことによりパットンは激怒したもののどうなるものでもなかった。パットン自身は円滑に補給が行われれば12月までに戦争が終わったのに。と言ってはいたが、同様なことはモントゴメリーも言っていたのであるから(結果的にモントゴメリー側に物資の補給が手厚く行われるものの、マーケット・ガーデン作戦で大失敗するのだが)。

かくしてマーケット・ガーデン作戦失敗後、兵站路が確立するまで連合軍側が停滞していたときに「バルジの戦い」(ドイツ作戦名『ラインの守り』、あるいはルントシュテット攻勢)が始まる。
この戦いの直前、動物カンなのか直感なのか、ドイツ軍の攻勢を予期していたパットンは、第三軍北方へ移動させていた。これにより、ドイツ軍に包囲された交通の要所でもあるバストーニュに立てこもる第101挺師団らを救出することが可になった。これはドイツ軍の意図を阻む結果となったといっていいだろう。

この戦いのあと、第3軍ドイツ南方へ進出することとなり最終的にプラハまで進むことを計画するが、それまでにドイツ軍が降伏。欧州での戦いは収束することとなった。

ドイツ降伏後、連合の一員でもあるソ連軍を問題視していたパットンは戦後を予見するかのような意見とともに再び舌禍事件を起こしたために再び部隊を取り上げられ、閑職につかされてしまう。その年12月交通事故がもとによる負傷により死亡

またこの色々と問題のあったパットンを描いた映画が『パットン大戦車軍団』であり、また皮にも劇中、ドイツ軍戦車を模しているのが、彼の名を冠されたM48パット戦車である。
(別名パットン・シリーズとも言われたのが、M46M47M48M60の各戦車で、朝鮮戦争以後湾岸戦争までアメリカ陸軍海兵隊で使用される戦車シリーズとなった)

ちなみにこのパットンの息子ジョージ・S・パットン四世もアメリカ陸軍軍人となり、朝鮮戦争ベトナム戦争を経験している(第11機甲騎兵連隊と第2機甲師団の揮を執り、1980年少将で退役し、2004年パーキンソン病で死去)。パットン四世の三人の息子(つまりパットンの孫)はも軍に入っておらず、軍人一族であるパットの今後はどうなるかわからない。

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26 ななしのよっしん
2017/01/01(日) 09:24:11 ID: +TZwMJ9Bri
>>25
そうかなぁ?と、思ってたらトランプ大統領になっちゃったよ(笑)
27 ななしのよっしん
2017/01/30(月) 10:38:24 ID: AnGk5WI6vX
パットンの親父は間違いなく名将だよ
著名なだけではなく悪名も少し混じった両方の意味での名将だけどね
28 ななしのよっしん
2017/02/21(火) 20:30:56 ID: nJgnGElomo
こんな連中がいる曲者いの欧州戦線を揮したアイゼンハワーは凄いな。
29 ななしのよっしん
2017/06/30(金) 12:16:33 ID: 0vqKrdzKsE
概要の四段落の最後の文、「第二次世界大戦後には順調に准将まで昇進、第2機甲師団長となる」って書いてありますけど、「第二次世界大戦《勃発》後」じゃないですかね?
自分が間違っていたらスミマセン
30 ななしのよっしん
2017/10/16(月) 18:55:46 ID: Ry4jOWGXIC
戦略、戦術面では優秀だったんだろうけど、ティーガーパンターによる被害が半端なかったってのに、「戦車75M4戦車で十分」とか言ってた辺り技術面に関しては疎かったんだろうかね。
 多分M26戦車の配備が遅れたのは十中八九、陸軍地上軍管理本部とパットンのせいだと思う。
31 ななしのよっしん
2017/12/09(土) 22:52:10 ID: Ut+GP1PiTF
>>30
パットンの戦術は敵と正面から撃ち合うんじゃなくて、側面や後方の手薄な部分に噛み付いてそこから分断・各個撃破という機動戦だからノロマなパーシングとは相性が悪かったってのもある
そもそも直属の部下のエイブラムスが乗ってたシャーマンは76mm&増加装甲マシマシ仕様だから別に良に理解だった訳でもないし
32 ななしのよっしん
2018/03/12(月) 23:08:11 ID: OIbcLWcvsf
ザールとマーケットガーデンのトップを入れ替えてれば一で終わってたかもしれんなぁ・・・・
33 ななしのよっしん
2018/04/13(金) 02:33:29 ID: vJ2B0Tsr9/
パットン「ドイツ人はヨーロッパで一番に優れた民族である」

敵国でしかもガチで殺りあった相手を賞賛する人物とかコイツぐらいじゃないか?
漫画キャラみたいだな
34 ななしのよっしん
2019/02/03(日) 19:37:17 ID: 324WdOFA7i
戦術としては優秀なんだろうけど、言動とか、ワンマン明らか戦闘狂なところとか、時代が時代とはいえCSRに理解だったりと、ぶっちゃけ軍人としては問題点の方が多いよね。
そりゃ暗殺説流れても不思議じゃないわ。
35 ななしのよっしん
2020/11/16(月) 13:47:08 ID: Lx9HWqFyeM
パットンの息子(パットン4世)は、ロンメル息子(長男マンフレート)と親友になったんだよな
あの世の本人達もさぞ驚いたであろう

ところでパットンとロンメルは、お互いどんな印を抱いてたんだろうね

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