ジル・ビゴー(Gilles Bigot) とは、MotoGPの車両整備員である。
1994年から2001年までレプソルホンダに在籍してアレックス・クリヴィーレのクルーチーフを務めた。
2019年は、MarcVDSでシャヴィ・ヴィエルヘのクルーチーフを務めている。
略歴
フランス生まれ。レプソルホンダで栄光を掴む
1957年2月26日、フランスのキュイジー=アン=ブレイで生まれる。子供の頃からバイクに興味があり、バイクレースの経験も積んでいる。友人を助けるためメカニックの仕事を始め、最初はヨーロッパ選手権でメカニックの仕事をして、1985年からMotoGPの世界に入った。
1989年から1992年まで、ホンダのマシンを使用する250ccクラスチームに在籍し、カルロス・カルダスのクルーチーフを務めた。カルロスの成績は非常に良く、特に1990年はチャンピオン獲得まであと一歩だった。
1993年はポンスレーシングに所属して、アルベルト・プーチのクルーチーフを務めた。この年のアルベルトは3位2回、4位を2回獲得している。
ホンダ系チームでの堅調な仕事っぷりが評価され、1994年にはホンダワークスの最大排気量クラス部門に所属して、アレックス・クリヴィーレのクルーチーフに就任した。このホンダワークスは1995年からレプソルホンダと呼ばれるようになった。この当時は1994年から1998年まで同じチームのミック・ドゥーハンが最大排気量クラス5連覇を達成していたのだが、アレックスとジル・ビゴーはめげずに頑張り、表彰台を何度も獲得している。1996年オーストリアGPではミックを負かして優勝したのだが、この動画においてそのことを振り返っている。
1999年にアレックス・クリヴィーレは最大排気量クラスのチャンピオンを獲得した。
2001年をもってアレックス・クリヴィーレはレプソルホンダを退団し、ヤマハサテライトのダンティーンというチームに移籍した。ちょうどそのとき、レプソルホンダは3人ライダー体制を2人ライダー体制に縮小しようとしていた。
ジル・ビゴーはレプソルホンダを退団し、Tech3に入団した。2002年はTech3のテストチームでシルヴァン・ギュントーリと組み、2003年はアレックス・バロスのクルーチーフになり、2004年は阿部典史のクルーチーフになった。
2004年末にTech3は財政的な苦境に陥り、ライダー1人体制に縮小しようとしていた。このためジル・ビゴーは他のチームを探すことにした。
中量級(250ccクラス~Moto2クラス)に移る 富沢祥也と出会う
250ccクラスのホンダ系チームから声がかかり、そこに移籍した。そのチームはアルベルト・プーチが率いる名門チームであった。アルベルトは1993年に組んだ仲だったので、ジル・ビゴーに声をかけやすかったのだろう。
ジル・ビゴーは2005年から2007年まで在籍した。2005年は青山博一、2006年はセバスチャン・ポルトとマルティン・カルデナスとダヴィド・デヘア、2007年はフリアン・シモンと青山周平。2005年は青山博一を継続して担当したが、2006年と2007年はコロコロと担当ライダーが代わってしまい、やる気を失ってしまったと正直に語っている。
2008年は125ccクラスに移り、アラン・ブロネックが運営するCIPというフランスのチームに在籍した。この年のCIPは、FFMというフランスの二輪レース連盟の支援を受けていた。ライダーはルイ・ロッシ。
2009年のCIPは250ccクラスに戻った。そのときチームに加入してきたのは、富沢祥也という18歳の日本人ライダーだった。2009年の富沢は開発が止まった型落ちのマシンでかなりの速さを見せており、ジル・ビゴーを驚かせていた。「2010年の開幕戦カタールGPで富沢がいきなり優勝してみんな驚いていたが、自分は驚いていなかった」と語っている。
2011年からはドミニク・エガータとコンビを組んだ。ドミニクとは2015年まで一緒だった。2011~2012はCIP(フランスのチーム)、2013~2015年はCGBM(スイスのチーム)だった。
トーマス・ルティの相棒となる
トーマス・ルティとは2016年からコンビを組み、息ぴったりであった。ルティは2016年と2017年の2年連続でMoto2クラスのランキング2位を獲得している。どちらの年もCGBM(スイスのチーム)だった。
2018年からはルティと共にMarcVDSへ移籍し、久々に最大排気量クラスへ参戦した。そのときは、2016~2017年のジャック・ミラーのチームを引き継いだ。
ところがジル・ビゴーはマシン作りで大苦戦してしまう。13年ぶりに最大排気量クラスのマシンを扱うので経験が不足していた。また、この年のMarcVDSにはホンダからの技術的支援が手薄く、経験不足のジル・ビゴーをあまり助けてくれなかった。そのため、2018年のトーマス・ルティはMotoGPに入って初めて年間で一度も15位以内に入れず、ポイント獲得できなかった。ルティは「ジル・ビゴーを最大排気量クラスに連れてきたのは間違いだったのかもしれない」とこの記事で語っている。
トーマス・ルティと別れてMarcVDSに残留する
トーマス・ルティは2019年にMoto2クラスのインタクトGPに移籍することが決まっていた。ジル・ビゴーは最大排気量クラスでは上手くいかなかったがMoto2クラスでの腕前は確かであるので、ルティもジル・ビゴーを連れていこうとしたが、ジル・ビゴーは既にMarcVDSと契約を結んでいた。この記事で、そう書かれている。
トーマス・ルティは「ジル・ビゴーは『MarcVDSに残留してもっとお金を稼ぎたい』と言っていたんだ」とこの記事で語っている。MarcVDSのお給料の良さが窺える。
2019年のジル・ビゴーは、Moto2クラス専業チームになったMarcVDSに残留し、シャヴィ・ヴィエルヘのクルーチーフとして働いている。
資料
フランス語版MotoGP公式サイトのインタビュー記事
本人の履歴書SNS
関連項目
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レプソルホンダ
- ジェレミー・バージェス (元・ミック・ドゥーハンのクルーチーフ)
- マイク・ライトナー (元・ダニ・ペドロサのクルーチーフ)
- クリスチャン・ガバッリーニ (元・ケーシー・ストーナーのクルーチーフ)
- ジャコモ・グイドッティ (元・ダニ・ペドロサのクルーチーフ)
- サンティ・エルナンデス (マルク・マルケスのクルーチーフ)
- ラモン・アウリン (ホルヘ・ロレンソのクルーチーフ)
- アンドレア・ズーニャ (電子制御スタッフ)
- アルベルト・プーチ (チーム監督)
- リヴィオ・スッポ (元・チーム監督)
- 中本修平 (元・HRC副社長)
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