スシトレイン(Sushi Train)とは、2003年頃に話題になった米国産の競走馬。二ノ宮敬宇厩舎所属。父Deputy Minister、母Preparation、母父Easy Goer。
名前の由来は、オーストラリアの回転寿司チェーン店から来てるらしい。他の英語圏でスシトレイン=回転寿司として通じるかどうかは不明。
同世代にはビッグウルフ、ユートピア、ナイキアディライト、ブルーコンコルド、サイレントディール等がいる。
曖昧さ回避
概要
2002年11月30日…大差勝ちでデビュー戦を飾る。
外国産馬で勝ちっぷりもよく、エルコンドルパサーと同厩舎。将来が期待された。
2戦目は年が明けた2003年1月11日黒竹賞(500万下)だった。
このレースでも大差の大楽勝で圧勝をした。
まさにエルコンドルパサーのような怪物の再来だった。
このレースを勝ったことによって、UAEダービーに選出された。
しかし、ドバイ遠征を蹴り、アメリカ遠征のベルモントステークス挑戦プランが発表された。
もう国内は敵が居ない。誰もがそう思った。
陣営が3戦目に選んだのは2月23日のヒヤシンスステークス(OP)だった。
…ここまで負け知らずの無敗馬…しかも今までの2戦は大差勝ち。
どのくらいの着差をつけて圧勝するのか、人々の注目はその一点に注がれていた。
タイムオーバーを恐れてほとんどの馬が回避して7頭立てになった。
まさにマルゼンスキー現象と呼ぶに相応しい。
単勝支持率1.3倍のダントツの1番人気に押された。
そして、世界へ羽ばたくためのゲートが開いた。
3コーナーあたりから手応えが怪しくなる。場内にいる誰もが目を疑った。
鞍上の菊沢隆徳が4コーナーで必死に追うが、その内側からビッグウルフが抜き去っていく。
そのまま馬群に沈み、結果は…勝ち馬から2.2秒離された7着でシンガリ負けだった。
…海外遠征プランは全て白紙に戻された。
そして、迎えた2003年7月3日、大井競馬場でジャパンダートダービーが行なわれた。
3歳ダート馬チャンピオン決定戦である。
ユートピア・ビッグウルフ・ナイキアディライトの三つ巴の戦い。ビッグウルフとユートピアが並んで入線し、ビッグウルフがハナ差で制したこのレース。もちろん出馬表にスシトレインの名前はなかった。ヒヤシンスSの後、昇竜Sで7着、ユニコーンSで10着と大敗しており、長期の放牧生活に入っていたのだ。
翌2004年8月8日、スシトレインは新潟の3歳上500万下で1年ぶりに競馬場に姿を見せる。その頃にはナイキアディライトがかしわ記念を制し、サイレントディールはフェブラリーSで2着入線、ビッグウルフも帝王賞で3着に入り、スシトレイン世代の底力を見せつけていた。
そんな同期たちの活躍が騒がれる中、当のスシトレインはこのレースで1番人気を背負いながら、1着馬から2.6秒離された15頭中13着の惨敗を喫する。
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