スズカマンボとは、2001年生まれの日本の元競走馬・元種牡馬である。牡・鹿毛。
馬名の由来は冠名+マンボ。
主な勝ち鞍
2004年:朝日チャレンジカップ(GIII)
2005年:天皇賞(春)(GI)
概要
血統
父:*サンデーサイレンス
母:*スプリングマンボ (母父:Kingmambo)
父は言わずと知れた大種牡馬*サンデーサイレンス。
母はイギリスから輸入されたものの、未出走のまま引退、繁殖牝馬になった。本馬以外にも、2012年の阪急杯・CBC賞で2着のスプリングサンダー(父:クロフネ)も産んでいる。
ちなみに、実は*スプリングマンボは日本とゆかりのある良血でもある。
どういうことかというと、*スプリングマンボの母*キーフライヤーは*ダンシングキイの妹である。
そして、*ダンシングキイの子供たちにはダンスパートナー・ダンスインザダーク・ダンスインザムードのGI馬もおり、スズカマンボは彼らの近親でもある。
そこにキングマンボ、*サンデーサイレンスとかけているので、実はスズカマンボもかなりの良血馬であるのだが……どうしても穴馬感が否めないのは筆者だけではないはずである。
競走馬時代
つかみどころがない馬?
スズカマンボがデビューしたのは2003年……だったのだが、どうも成績が安定しない。
新馬戦は4着に敗れたが、2戦目で未勝利を脱出……とここまでは、まあGIを勝つ馬でもよくあることであろう。
しかし、札幌2歳ステークスで9着に敗れたかと思えば、荻ステークスで1着に入りオープン入り。
これを受けて、いざ朝日杯フューチュリティステークス(GI)に挑んだが13着……と、どうにもこうにもつかみどころのない馬であった。
年が明けて2004年になってからも、京成杯(GIII)で4着、若葉ステークス(OP)ではハーツクライの2着に入ったが、皐月賞(GI)では17着とあいも変わらず成績が安定しなかった。
しかし、競走馬として最大の目標はやはり日本ダービーである。
そのため陣営は、京都新聞杯(GII)への出走を決断。後方から追い込んだもののそれを上回るハーツクライの末脚に屈して2着だったが、それでも賞金加算には成功し、日本ダービー(GI)に出走した。
この日本ダービーでは武幸四郎が騎乗したのだが、キングカメハメハの前に5着に敗れてしまった。
ちなみに、2004年のダービーは死のダービーといわれており、レース中にマイネルブルックが予後不良になり、コスモサンビームに重大な骨折が発覚し、このほかにも故障馬が多発したうえ、勝ったキングカメハメハまでもが後に故障をしたりと、出走した馬のアクシデントが大量に発生したレースであった。
そう考えるとあのレースを走ったにもかかわらず、引退前に骨折をするまで怪我をしなかったコスモバルクの頑丈さは異常かもしれない。
もっとも、スズカマンボは何事もなかったようで、夏を休養にあてると休み明けの朝日チャレンジカップ(GIII)を勝利し見事に重賞初制覇を遂げた。
その後、菊花賞(GI)は追い込んだものの惜しくも6着に敗れてしまい、年末に鳴尾記念(GIII)に出走したがサクラセンチュリーの2着に敗れ、結局3歳時は朝日チャレンジカップの1勝に終わった。
ついに届いたGIタイトルとその後
さて、年が明けて2005年は大阪-ハンブルクカップ(OP)から始動したスズカマンボだったが、この年になって突然激走を始めていたビッグゴールドの逃げ切り前に3着に敗れてしまう。ビッグゴールドはこの前のレースである大阪城ステークスでも10番人気を覆して逃げ切っており、大万馬券を提供していた。
そして、挑むこととなった天皇賞(春)(GI)。
このレースでは、悲願のGIタイトルを狙うリンカーンが1番人気、海外馬として初めて出走したオーストラリアのマカイビーディーヴァが2番人気、復活を期すヒシミラクルが3番人気であった。
その他にも大阪-ハンブルクカップで復帰した菊花賞馬ザッツザプレンティや、長距離路線で結果を残し続けていたアイポッパー、さらにはアドマイヤグルーヴやハーツクライ、前年3着のシルクフェイマス……と多士済々のメンバーがそろっていた。
そのようなメンバーの中でスズカマンボは13番人気とかなりの低評価であった。
レースではビッグゴールドが逃げようとしていたところに、引っかかったシルクフェイマスが暴走して前に行くなど波乱の様相を呈していた。
その中でスズカマンボは中段をじっくりと進んでいた。
すると、2周目の4コーナー手前でシルクフェイマスは失速し、待ってました! といわんばかりにビッグゴールドが先頭に立つ。
ビッグゴールドがこのまま押し切るかと思われたが、スズカマンボがビッグゴールドをとらえて先頭に立ち、ビッグゴールドに1馬身1/4差をつけて勝利を収めた。
そして、2着にはビッグゴールドが入り、そこからハナ差で追いこんできたアイポッパーが3着、さらにハナ差でトウショウナイトが4着に入り、3連単が193万9420円も付くという大波乱の天皇賞となった。なお、騎乗していた安藤勝己は地方競馬出身騎手として初めて天皇賞(春)を制する快挙を達成した。
しかし、その後は春秋連覇を目指した天皇賞(秋)(GI)で13着、ジャパンカップ(GI)で9着、有馬記念(GI)で10着と敗れた。さらに翌年復活を期して挑んだ産経大阪杯(GII)では3着に入線したものの、レース後に左後繋靭帯不全断裂を発症し、競走能力喪失と診断され引退となった。
全成績は19戦4勝、2着3回とGI勝ち馬としてはいささか物足りない成績であった。幸いにも低評価からの春天制覇が功を奏したのか引退後は種牡馬となり、アロースタッドで繋養されることとなった。
種牡馬として
引退後、種牡馬になったスズカマンボであったが、初年度から100頭近くに種付けをするなど馬産地では、それなりに人気を集めていた。
2010年に産駒がデビューすると、初年度産駒から2011年のGRANDAME-JAPANの3歳シーズンを制した園田のマンボビーンやカンナステークス(2歳オープン特別)を勝ったマルタカシクレノンを出すなど着実に結果を出し、賞金を積み重ねる。
そして2010年生まれの産駒からメイショウマンボが誕生。武幸四郎を背に2013年のフィリーズレビューを優勝しJRA重賞初制覇。クラシック本戦は桜花賞こそ敗れたが後のオークス・秋華賞を制し二冠達成。エリザベス女王杯も制覇と武幸四郎とのコンビでGIを3勝する大活躍を見せた。
また、同期には、エーデルワイス賞2着後に名古屋競馬に移籍し、2013年のJBCレディスクラシックでJRA勢に着差こそつけられたが地方馬最先着の5着に入ったピッチシフター(地方重賞7勝)もいる。
園田競馬場で行われている重賞・園田クイーンセレクションでは2011年マンボビーン・2012年スズカウインダー・2013年ピッチシフターとスズカマンボ産駒が3連覇している。
こうして産駒たちが中央でも地方でも着実に実績を残していた矢先の2015年2月20日、心不全で死亡。14歳とまだこれからともいえる若さだった。
彼の死後、ミナレットがメイクデビュー新潟、ヴィクトリアマイルで好走し、JRA史上に残る3連単高配当を量産。その後サンビスタが同年のチャンピオンズカップを、メイショウダッサイが2020年の中山大障害を勝ち、JRAの芝・ダート・障害3カテゴリーでGI馬を輩出するという*ティンバーカントリー以来2頭目[1]の偉業を達成した。
血統表
*サンデーサイレンス Sunday Silence 1986 青鹿毛 |
Halo 1969 黒鹿毛 |
Hail to Reason | Turn-to |
Nothirdchance | |||
Cosmah | Cosmic Bomb | ||
Almahmoud | |||
Wishing Well 1975 鹿毛 |
Understanding | Promised Land | |
Pretty Ways | |||
Mountain Flower | Montparnasse | ||
Edelweiss | |||
*スプリングマンボ 1995 鹿毛 FNo.7 |
Kingmambo 1990 鹿毛 |
Mr. Prospector | Raise a Native |
Gold Digger | |||
Miesque | Nureyev | ||
Pasadoble | |||
*キーフライヤー 1986 鹿毛 |
Nijinsky II | Northern Dancer | |
Flaming Page | |||
Key Partner | Key to the Mint | ||
Native Partner | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Northern Dancer 5×4(9.38%)、Raise a Native 4×5(9.38%)
主な産駒
- サンビスタ (2009年産 牝 母ホワイトカーニバル 母父*ミシル)
- ユーロビート (2009年産 騸 母メジロブルネット 母父*エリシオ)
- メイショウマンボ (2010年産 牝 母メイショウモモカ 母父グラスワンダー)
- メイショウダッサイ (2013年産 牡 母スズカブルーム 母父*スキャターザゴールド)
関連動画
関連コミュニティ
関連項目
脚注
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