スズキワークス単語

スズキワークス

スズキワークスとは、スズキレース活動を行うためにメーカー直営で運営するチームである。

本稿では、MotoGPの最大排気量クラスに参戦するスズキワークスについて記述する。

ライダー

アンドレア・イアンノーネ (個別記事あり)

アレックス・リンス (個別記事あり)

MotoGPの国際中継カメラに良く映り込む現在のスタッフ

「ダヴィデ・ブリビオ」で検索した方が多くの記事に辿り着ける。

1964年生まれ。2010年までヤマハワークス監督だった。ロッシとの蜜関係で有名。

2012年末にスズキに就職。2014年スズキチーム監督に就任。

2016年シーズン中盤に、ワークスライダーを2人とも交代させるべきだと
浜松本社のスズキアレイシ・エスパルガロを残留させるべきだと考えていたが、
ブリビオのが通った。このようにブリビオは人事権を半分ほど持っている存在なのである。

1990年代前半からヤマハと関わりがあった。もう20年以上も遠州の企業と付き合いがあることになる。
うなぎパイ」や「こっこ」をお土産に買ってイタリアへ帰ったことも多いであろう。

ヤマハスズキという日本企業2つを渡り歩いたブリビオはこんなことを言っている。

日本企業会議がとんでもなく長いんです。一日に8時間から9時間もかけ、
やたら細かいことまで議論します。年に3、4回日本に出向き、おそらく5日ほど会議漬けになって、
それから全ての事が進むんです。日本人と協調するには大きなが必要です」

ヤマハワークスの「かつて在籍していたスタッフ」にも記述がある。

鋭い眼には定評があり、ヤマハワークス時代はホルヘ・ロレンソスズキワークス時代は
マーヴェリック・ヴィニャーレス、それぞれ抜して成功を収めた。

これによるとexit、子どもの頃からバイク業界一筋ではなかったことが分かる。

2004年からスズキMotoGPマシンGSV-Rの開発を務めた。
2007年から2011年までスズキワークスの事業監督
2011年スズキMotoGP撤退に従って部門へ転属、GSX-R1000の開発責任者を務める。
2017年シーズン中盤にMotoGPに帰ってきた。肩書きはチームディレクター

漢字検索すると記事が多くヒットするスズキの中心人物。

これによるとexit1964年生まれ、おじさんバイクレーサー。12本のギターを所有している。

技術監督であり、車両開発の長である。漢字検索すると雑誌のインタビュー記事が多くヒットする。
2016年イギリスGPのマーヴェリック・ヴィニャーレス優勝時に表台に登壇していた。

これによるとexit1968年生まれ、高校の時バイク雑誌でバイクの魅にはまり今に至ったらしい。

アイルランド人。1980年代からMotoGPで働き始め、チームロバーツ(ヤマハワークス)を経て
スズキワークスに移ってきた。

2006~2009年はクリス・バーミューレンのチーフメカ。exit

2010~2011年はアルヴァロ・バウティスタのチーフメカ。exit

2015年と2016年はアレイシ・エスパルガロのチーフメカ。exit

後述の理由でチーフメカの職を離れ、現在スズキの中で最前線から離れている。
ブリビオ監督の口ぶりからすると日本浜松テストチームにいるらしい。

ケヴィン・シュワンツが「KTMあたりにトム・オケインを引き抜かれるぞ」とスズキに警告している。

2013年から今に至るまでアンドレア・イアンノーネチーフメカを務め続けている。イタリア人。
ドゥカティワークスの「かつて在籍したスタッフ」に記述がある。

イアンノーネがスズキ入りするときの条件は「リガモンティチーフメカにすること」だった。
スズキにはトム・オケインという優秀なチーフメカがおり、イアンノーネの要むには
ケインを外さなければならない。
スズキも悩んだだろうが結局イアンノーネの要どおりにした。

2017年前半ののイアンノーネ絶不調のころは「リガモンティを外してオケインを再起用せよ」
というも上がっていた。
2017年の終盤になってやっとイアンノーネの成績が上向き、リガモンティは面を保った。

イアンノーネとリガモンティの2ショット写真exit。 リガモンティのインタビュー動画。exit

ここではexit、「持ちの女と結婚して楽をしてえなあ」と言っている。

アレックス・リンスチーフメカ

アルゼンチン人でイタリア在住、ドゥカティワークスの元職員。
アルゼンチンイタリアから大量の移民を受け入れたからイタリアとの関係が非常に深く、
アルゼンチン人を好意的に受け入れるイタリア人が多い。
1990年代イタリアサッカーアルゼンチン人選手を優先的に雇っていた。
ホセもそんな感じでイタリアにやってきてイタリア企業ドゥカティに就職したのだろう。

2012年はニッキー・ヘイデンの平メカニックexit2013年もニッキー・ヘイデンの平メカニックexit
2014年はカル・クラッチローの平メカニック。exit
2014年シーズン末にブリビオ監督によって引き抜かれ、チーフメカに抜された。

2015年2016年マーヴェリック・ヴィニャーレスチーフメカ

マーヴェリック・ヴィニャーレスヤマハワークスから誘われたとき、
チーフメカホセヤマハワークスに連れて行きたい」とヤマハに言ったら、
「それはダメだ。ラモン・フォルカダと組んでもらう」とヤマハ側に言われた。
マーヴェリックはずいぶん悩んだようで、ヤマハワークスへの回答がずいぶん遅れている。

ヤマハワークスからが掛かったら二つ返事で「はい」と言いそうなのにずいぶん悩んだのは
チーフメカホセを手放したくないと思ったからである。
マーヴェリックからの信頼がこれだけ厚いのだから、ホセは優秀なチーフメカなのだろう。

これによるとexitラグビーを何年もやっていた。サッカー選手が憧れだった。

2015~2016年マーヴェリック・ヴィニャーレスの電子制御エンジニア
2017年アレックス・リンスの電子制御エンジニア

名字でわかるように沖縄出身(島袋姓は沖縄に多い)。沖縄の新聞でも扱われた。exit

その記事によると1980年生まれで元2輪レーサーだが勝てず断念、メカニックを志す。
電子制御メカニック仕事をしながらひたすら独学で知識を蓄え腕を伸ばした。
2006年スズキに雇われ、2013年からはMotoGPチームに移った。

これによるとexit様のテニスの腕がすごいらしい。

たまにスズキワークスピットに現れる人たち

日本語Wikipediaあり。ヨシムラスズキから全日本や鈴鹿8耐に出場しつつテストライダーを務める。

ヨシムラは名門プライベートチームexitで、1970年代からスズキとの関係が非常に深く、
実質的に全日本や鈴鹿8耐におけるスズキワークスチームと言われるほどである。

テストライダーとして洋(スズキテストコース)やツインリンクもてぎでの走行データ収集に励む。
開発の中心として重責を担っている。スズキ公式サイトでのインタビュー記事あり。exit

2017年ヘレスGPでは負傷したアレックス・リンスの代役参戦を務めた。exit

和歌山県出身なので本人のTwitterexitでは関西弁がときおり出る。

MotoGPライダー日本語Wikipediaexitあり。1997年は最大排気量クラスランキング3位に入った。exit

現在もなおテストライダーを務めており、そのためにガッチリ体を鍛えている。

スズキ公式サイト2015年exit2016年exit2017年exit)や雑誌やネットMotoGPに関する各種知識を
惜しげもなく提供してくれるとても有難い人。

1993年に最大排気量クラスチャンピオンを獲得したスズキレジェンド日本語Wikipediaありexit

イギリス人を筆頭に英語圏住民はキッツい皮を言うのが大好きである。
このことはMotoGPでも見事に当てはまり、強な皮を言う英語圏出身者がちらほら見られる。
ケーシー・ストーナー、ジェレミー・バージェスジャックミラーカル・クラッチロー
スコットレディング、こういう皮屋が全員英語圏出身なのだ。

ケヴィン・シュワンツもまさしくそういう人で、皮も言うしズバリ直言もする。
遠慮しないで言いたいことを喋ってくれるのでメディアにとって大切な人である。MotoGP界ご意見番。

テキサス州出身で、サーキットオブジアメリカズの設立に深く関わった。
ゆえに同サーキットでは必ずスズキワークスピットにやってくる。

2000年に最大排気量クラスチャンピオンを獲得したスズキレジェンド日本語Wikipediaあり。exit

日本ネット住民がたまに面がって日本人ライダーを「○○サン」と呼ぶのはこの人の影である。

サーキットオブジアメリカズにやってくることが多い。こちらは2017年の画像。exit

父親ケニー・ロバーツ・シニアで、ヤマハワークスに記述がある。

スズキ株式会社社長

鈴木修会長exit長男である。もともとは理系技術者だったが昇進してからは営業の仕事をしていた。

専務時代にアルヴァロ・バウティスタとロリス・カピロッシの表敬訪問を受けている。exit

2017年の日本GPにやってきている。exitアレックスやアンドレアと記念撮影している。exit

かつて在籍していたスタッフ

2005年から2011年までスズキワークスチーム監督を務めた。


2005年スズキ名門プライベートチームであるクレセント(Crescent)exit運営体を移した。

2015年アプリリアワークス名門プライベートチームであるグレッシーニexit運営体を移して
参戦したが、これと同じ例と言えるだろう。

そのクレセント監督だったのがポール・デニングである。


クレセントの本拠地はイギリスで、監督イギリス人。スタッフイギリス人。
英語圏出身者にとっては英語が通じてリラックスできる環境だった。

ちなみにスズキアメリカ市場を重視しており、そのため米国ライダーを優先的に雇う傾向があった。
2003年から2005年まではケニーロバーツ・ジュニアジョン・ホプキンスの米国人ペアだった。
イギリスチームなら米国ライダーリラックスできるに違いない、そう考えたはずである。
2006年に加入したのがクリスバーミューレンで、豪州人であり、これも英語圏出身者。

英語圏出身ライダーだけでは勝てない」と気づき始めたのが2008年で、
イタリア人のロリスカピロッシが加入した。

英語圏のライダーの層が薄くなっている。特に米国ライダーの層が薄い」と考えたのか、
2010年にはスペイン人のアルヴァロ・バウティスタが加入して、英語ライダーが消えた。


2011年シーズン末をもってスズキワークスMotoGPから撤退して、開発に専念した。
その代わりとしてスーパーバイクに参戦することにした。このときもクレセント運営体となった。
2012年レオン・カミールとジョン・ホプキンスが走った。
2013年レオン・カミールとジュール・クルーセルが走った。
2014年アレックスロウズとユージンラヴティが走った。
2015年アレックスロウズとランディ・ドプニエが走った。

2015年9月には長年協してきたスズキとの関係を終わらせ、ヤマハとの提携を開始した。
2016年シーズンからはヤマハワークススーパーバイク部門の運営体となっている。
ただし、クレセントスズキというイメージが強いからかクレセントという名前は使わなくなった。
2016年アレックスロウズとシルヴァン・ギュントーリが走った。
2017年アレックスロウズとマイケルファンデルマークが走った。


クレセントは2輪総合商社で、バイク本体や部品を輸入するのが本業である。exit公式Twitterあり。exit
お金が余ったのでレース活動を始めた。ちなみにcrescent英語三日月という意味。

ポール・デニングの公式Twitterがあるexit。 まぁ落ち着け。exit

2004年以前のチーム監督。この人もイギリス人。
1949年生まれ。1970年代中頃からスズキワークスで働き始め、1983年頃にチーム監督になった。
それから2004年までチーム監督を務め続けた。
ケヴィン・シュワンツ、ケニーロバーツ・ジュニアチャンピオン獲得に貢献。

2004年に家族と健康を理由として勇退していった。exit

2012年から2017年シーズン中頃までスズキワークスの事業監督でありボスであった。
それゆえ検索すると記事が多くヒットする。

1988年スズキ入社、すぐにレース部門に配属され、それからずっとレース部門で仕事をしてきた。

現在スズキを代表するスポーツ市販車であるGSX-Rexitの開発責任者になっている。
佐原監督と交代したという形である。

スズキの社風

スズキワークスのことをるにはスズキの社についてらなければならない。

まず、スズキ本社の建物を見てみよう。JR浜松駅からバスターミナルへ行き、遠鉄バスで南へ行く。
バスを降りたら目に入るのがこの建物である。exit・・・・中学校校舎のような質素な建物だ。

アメリカ伝説的投資であるピーター・リンチは、「本社ビルが質素なほどその会社の業績が良い」
と著書でっている。この法則に見事当てはまるのがスズキである。

あるとき鈴木会長が取引先の部品企業を訪ねたら噴が流れていた。会長
「あの噴を止めて、その分だけ部品代を安くしてくれ」と言った。

鈴木会長スズキの幹部全員を引き連れてスズキの工場を巡るのが大好きである。
そこで会長は、ペンキで色を塗られた配管を見て、こう言うのだった。
「ところどころパイプに色つきテープを貼れば良かったじゃないか。ペンキ代の駄だ」

鈴木会長は長年工場巡りをしてきたので色々なことに良く気付く。
「ここはモーターを使わなくても地球重力で物を移動させることができる。電気代がもったいない」
「ここはを上手く付ければ太陽を取り入れることができる。電気代がもったいない」

2008年リーマンショック時は鈴木会長の号カラーコピーをすべて止めさせた。
インク代がもったいない」「書類作成時にカラー配色を考える時間がもったいない」

・・・・これがスズキの社である。

ただのケチとは言ってはならない。鈴木会長真似をすると、非常に観察が高くなることに気付く。
「何か駄をけないか」と考えることにより、工場内をくまなく見渡す習慣が身に付くのだ。
製造業従事者はぜひ一度鈴木会長真似をしてみると良いだろう。


こうした社のため、スズキレースファンはいつも「会長の大なたが振るわれるのではないか」と
気を揉んでいる。レース部門、とりわけMotoGP部門はなかなか出費が多いからである。

ところが鈴木会長レースの宣伝価値を知っているのか、MotoGP部門は維持されている。
MotoGPに参戦するだけでヨーロッパメディアが勝手に大騒ぎして何度も取り上げてくれるし、
MotoGPの最大排気量クラスチャンピオンを獲得すると何十年もヨーロッパの人たちが
「あのときのスズキマシンは格好よかったねえ」とってくれる。
テレビ広告を打つよりよっぽど効果的で安上がりなので、会長も黙ってハンコを押しているようなのだ。

スズキのマシンの特徴

的な直列エンジンマシンであり、エンジンパワーは今ひとつだがコーナーリングで速い。
ハードブレーキングやパワースライドは向かず、攻めるライディングは合わない。
ブレーキングやアクセルワークを控えめにして綺麗に経質に丁寧に走行ライントレースする、
こういう技巧のライディンスタイルが最も合うマシンになっている。

2015年に復帰した当初は非常に乗りやすいマシンであるとの評判が高かった。

エンジンパワーが今ひとつなので「もっとパワーがほしい」「more power」とライダーが訴えるのが
スズキの伝統になっている。
そのたびに技術者が「エンジンパワーを上げるのは可だが、そうすると体のバランスが崩れるかも」
と言うのもおなじみであり、スズキワークス体のバランスを重視する傾向のチームと言える。


ドゥカティワークス2015年からデバイスを付け始め、ヤマハアプリリアも追従した。
スズキデバイスを付けたが、ドゥカティワークスほどは大きなものを付けなかった。
ところが2017年の日本GPでいきなり口ヒゲのような空力デバイスexitを付けて、驚かせた。

イアンノーネとリンスがMovemberのステッカーを貼っている。exit
口ヒゲを生やしたJACQUES ROCA(イアンノーネのメカ)がマシンと写真を撮っている。exit
Movemberとは11月の1ヶ月間を通して口ヒゲを伸ばし、男性特有の病気への意識を高める運動のことexit
画像検索するとそういうことかとわかる。exitスズキワークスでもこれが流行ったらしい。exitexit

先述のとおりスズキコストに対して鋭い眼差しを向ける社である。
そのためスズキワークスレプソルホンダヤマハワークスべて少数精鋭のチームになっている。


電子制御が今ひとつ遅れているのが最大の弱点になっている。

2016年にマニエッティ・マレリ社の電子制御ソフトに統一されたとき、
自社製電子制御ソフトから移行したレプソルホンダの人たちは「低レベルソフトだ」と言った。
一方、三菱製電子制御ソフトから移行したスズキワークスの人たちは「優れたソフトだ」と言った。

アンドレア・イアンノーネドゥカティワークスから来たときに摘したのは電子制御の遅れだった。
これに対してダヴィデ・ブリビオ監督は「ドゥカティワークスの電子制御が上手いことと
スズキワークスの電子制御が今ひとつなのは周知の事実だ」とコメントしている。

電子制御のレベルが少し遅れているのはスズキの参戦台数がたった2台しかないことも大きい。
2017年シーズンホンダ5台、ヤマハ4台、ドゥカティ8台、でそれに対してスズキ2台。
出走台数が多ければ多いほど走行データが多く集まり、電子制御のレベルが上がっていく。
出走台数が少ないと走行データが少ないままで、電子制御のレベルも上がらない。

ダヴィデ・ブリビオ監督は「サテライトチームマシン技術者を供給するべきだ、
そうしないと電子制御のレベルが上がらず、勝てない」と何度も訴えている。

1988年ケヴィン・シュワンツのデビューシーズン以来ずっと参戦台数2台の状態が続いている。
電子制御を使わない2ストロークエンジンの時代なら参戦台数2台でもなんとかなったが、
電子制御が非常に重視される現在では参戦台数の少なさがネックになっているのである。

スポンサー

1988年スズキワークス活動を復活させたときに付いたメインスポンサー1989年契約した。
ケヴィン・シュワンツが1988年ルーキーシーズンで2勝し鮮デビューを飾る。

ご存じアメリカを代表するコーラであり、ニコニコ大百科にも記事がある(→ペプシコーラ
コカコーラと熾な争いを継続中。

2012年から2014年までスズキワークスMotoGPから撤退して開発に専念していた。
このときスズキファン達は「ロッシを迎え入れてペプシスズキだ」「ストーナーでペプシスズキがいい」
「いやいや、ペドロサでペプシスズキというのも実によく似合っている」と会話していたが、
ワークス活動を復活させるときに天才ライダーペプシと共にやってくる」というかつての体験を
重ね合わせてそう会話していたわけである。

1990年から1997年までメインスポンサーを務めた。この前半がケヴィン・シュワンツ全盛期である。

イギリスタバコ企業BAT(British American Tobacco)のタバコ銘柄。
BATは1902年にイギリス企業アメリカ企業が提携してできた会社なので、社名もそうなっている。

19世紀の米国西部ゴールドラッシュで脈を掘り当てたことを「ラッキーストライク」と言った。
米国を代表する銘柄で第二次世界大戦兵にも支給された。

ケヴィン・シュワンツが引退してからスズキワークスは低迷し、1998年から1999年まで
メインスポンサーが付かないの時代を過ごすことになった。

ところが1999年ケニーロバーツ・ジュニアが年間4勝ランキング2位と大活躍。
これをみてスペインの通信事業企業テレフォニカ下の携帯電話企業スポンサーに付いた。

2000年ケニーロバーツ・ジュニア世界チャンピオンを獲ったときのカラーリング

2001年スペイン期待のセテ・ジベルナウがスズキワークスに加入したのはスポンサーの意向である。

2002年シーズン末をもってセテ・ジベルナウはスズキワークスを離れグレッシーニ・ホンダへ移った。
それと同時にTelefonica Movistarもグレッシーニ・ホンダへ移っていった。

ヤマハワークスの「スポンサー」の「Movistar」の項にも詳細あり。

2003年から2005年までスポンサーが寄りつかない不遇の時期を過ごしたが
2006年に待望のメインスポンサーを獲得した。

Rizlaはイギリスタバコ企業インリアルタバコの手巻きタバコの銘柄である。
前述のBATで提携したイギリス側の企業は、このインリアルタバコであった。
この時代のスズキワークスイギリスに本拠を置いていたので、英国企業が優しくしてくれたのだ。

初めて作られたのはなんと1532年で、フランスピエール・デ・ラクロアが創業者である。
RIZLAの隣の十字架は、デ・ラクロア家紋である。
400年以上の長い間フランス企業だったが1997年イギリスタバコ企業インリアルが買収した。

警察官の格好をしたリズラガールが傘持ちグリッドガールを務めていた。exit

2015年に復帰したスズキワークスメインスポンサー。ECSTARスズキの純正オイルである。
実質的にメインスポンサーしの「持ち出し参戦」「自己負担参戦」となる。

フランスのオイル・潤滑油メーカーexit。高価格オイルとして日本でのシェアも高い。
ECSTARの商売敵のような気がするが、細かいことを気にしてはいけない。

日本GPの看スポンサーを務めたこともある。

ヨーロッパの拠点

20052011年クレセント運営体だった時代は、イギリスのヴァーウッドが本拠地だった。exit
ロンドンから西へ140km、港町サウサンプトンから西へ31km。

2015年からMotoGPに復帰したときはイタリアの大都市ミラノ郊外のカンビアーゴを拠点にしている。exit
ここを選んだのはダヴィデ・ブリビオだった。
ヤマハワークスの拠点をミラノ郊外のレズモexitに選んだのもダヴィデ・ブリビオであった。

日本の拠点

スズキ浜松市企業であり、MotoGPに関する英字記事に「Hamamatsu」がよく出る。
ママツのマニファクチャラー」「ママツ製のマシンそれが走らせた」という記事が多い。

たまにMotoGPライダー浜松にやってくることがあり、JR浜松駅での情報もある。
浜松市立河輪小学校の子どもたちとサッカーに興ずるアレイシとマーヴェリック。exit

シーズン前のセパンテストの前後に浜松へやってくることが定例らしい。
from:AleixEspargaro since:2015-1-10 until:2015-3-31
from:AleixEspargaro since:2016-1-10 until:2016-3-31
こんな感じの文字列をTwitter検索に入れて検索すると浜松の画像が出てくる。

これは浜松に拠点を置くステーキ店さわやかの画像である。exit地元民も満足の美味しさ。
藤原らんか漫画にも「炭焼きレストランさわやか」が出てくる。

浜松の工場には洞施設があり、これをMotoGPライダーが見に来ることが多い。
これは2015年。exitこれは2017年。exit

浜松の隣町の磐田沿いに竜洋テストコースexitがあり、ここでマシン開発を行っている。exit
沿いなのでが強い。または北からも強が吹く(遠州のからっ風exit)。

あまりにに近いから、内陸の都田に新しくテストコースを作ることにしたようだ。
候補地は青谷で、今のところの仮名称は青谷コースとなっている。exit
環境評価を含む調やその後の許認可には数年かかる見通しで、まだ着工していない。



ここで簡単に浜松を紹介しておきたい。

スズキヤマハ楽器)、Roland、といった名だたる大企業を抱える工業都市である。
JR東海の修理工場があり、東海道新幹線の修理を一手に引き受けている。

浜松には三方原台地がある。ここは天竜川の支流も流れこまず、農業に不向きの不毛の地で、
がこないからもなく、っぽいらな地がずっと続いている。土地代も安い。

航空機の発着にぴったりなので、戦前から軍が航空基地を作り、ここで戦闘機の開発をした。
そのときに軍にこき使われて技術を上げたのがヤマハである。
ちなみに軍の基地は航空自衛隊浜松基地として現在も続いている。

日本戦闘機に苦しめられたアメリカ軍が「日本飛行機を作ってはならぬ」とお達しを出し、
浜松航空機関連技術者は失業した。
この技術者たちが他にやることもないので浜松バイクを作り出し、浜松世界バイク工場になった。
ホンダの発祥地は浜松で、スズキは今も浜松企業であり、ヤマハ浜松の隣町の磐田に本社がある。


静岡県は「富士山がある県」として売り出していて、静岡市からは富士山が大きく優美に見える。exit
静岡県を代表するテレビ局はみな富士山を好んで映し、「これが静岡県徴です」と宣伝する。

ところが浜松からは富士山が小さくしか見えない。白い雪の部分がちょっと突き出ているだけである。exit
そういうわけで浜松市民は静岡県への帰属意識が非常に低い。
浜松出身者に「どこ出身ですか」と聞くと、「浜松出身です」という。「静岡県出身です」と言わない。

浜松生まれ浜松育ちの人のコンプレックスというと「テレビ局が寄りつかない」である。

静岡県は民放テレビ局が4つあるが、そのすべてが県庁所在地静岡市にある。
そして彼らテレビ局は、なにか楽しいバラエティの番組を作るとき、高い確率
富士山が大きく見える県中部温泉宿がある県東部に出向いてロケをする。浜松になど寄りつかない。

富士山伊豆温泉宿という、日本最高峰の観光浜松は勝てず、
浜松テレビに映ることが少ない。浜松市民はいつも悔しい思いをしているのである。

その他の雑記

2017年シーズン当初のヘルメット

2016年アルゼンチンGPはマシン強制乗り換えレースになった。
アプリリアワークス所属のアルヴァロ・バウティスタがピットインしたとき、ゴタゴタの混雑もあって、
自分のチームメカニックと接触してしまった。(メカニックに怪はなかった)
このため2017年シーズンからはレース中に作業するメカニックヘルメット着用が義務づけられた。

そこでスズキワークスがシーズン当初に導入したのがこれである。exit

この画像exitとかこの画像exitとか・・・ 子どもが見たら泣き出すだろう

指で作るSマーク

2017年11月東京モーターショーが開催されたが、そのとき話題になったのはスズキSマーク
で作るスズキコンパニオンのことだった。こんな感じに指でSマークを作る。exit

このご時世だからTwitterでも話題になった。exitこちらはスズキコンパニオンの方のツイート。exit

この発火点になったのがMotoGPスズキ公式サイトアンドレア・イアンノーネの画像と言われている。

こちらがそのページ。exitイアンノーネが眠そうなのが笑える。

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