スターレットは、トヨタが製造、販売していたハッチバックの小型乗用車。ターボを積んだスポーティモデルは、その見た目を裏切る走行性能から「かっとび」とも言われ、ホットハッチの一時代を駆け抜けた。
概要
スターレットの誕生は1973年で、もともとは当時の実用車であったパブリカのスポーツモデルの派生として登場した。位置的にはパブリカの上級車、セリカの下級車だった。
特筆すべきはシャシの基本設計が優れていた点で、2代目にモデルチェンジを受けて3センチ程度拡張(2260mm→2300mm)された以降は、全く同じホイールベースを保ったままだった。
KP40・50型
初代は「パブリカ・スターレット」の車名で登場。生産は1973年から1978年で、当時としては比較的長命だった。
車体の設計はジウジアーロ率いるイタルデザインが担当したという噂があるが、真相は不明である。車検証の上では一応ハッチバック(箱型と書かれていた)ではあるが、どちらかと言うとハッチクーペと言ったほうが近い。
エンジンは初代カローラからの伝統で、パブリカとも共通している1000ccの2Kと、1200ccの3Kで、いずれも水冷式OHV。燃料噴射方式はキャブレターだった。出力は2K、3K共に65ps。後に3Kはハイオクガソリン指定のツインキャブも追加された3K-Bとなって74psとなり、さらに吹け上がりを良くしてスポーティ感を向上させた。
駆動方式はFRで、キャブの軽快な吹け上がりと相まって振り回しやすい小型車だったと言われている。ただ、リアサスペンションがリーフリジットだったので、凹凸の多い道で片輪が跳ねると反対側のサスにも伝わってしまい、結果的に変な動きをすることが多かったようだ。
昭和51年の排ガス規制強化によってエンジンの整理が行われ、2Kと3Kのツインキャブが消滅し、3Kのシングルキャブだけになった。このエンジン整理を機に初のマイナーチェンジとして、車輌型式がKP51になった。
スポーツモデルということもあってモータースポーツでも活躍しており、草レースやジムカーナに参戦する車も多かった。公式レースでは、FISCO等で当時のホンダ・シビックや日産・サニーと激しいバトルを展開していた。
一般視点から見ると、既にこのときからオートマチックの量産が行われ、小型大衆車向けのオートマチックの搭載は比較的早い部類になっている。この車の影響で、現在のオートマチック車の普及に繋がったとも言われている。なお、このモデルで搭載されたオートマチックは2速だったため、変速ショックが大きかった。
車輌型式一覧
標準2Kモデル→KP40
標準3Kモデル→KP42
マイナーチェンジ(以下、MC)後→KP47
3K-Bを搭載したスポーティモデル(ST、SR)→KP42、KP47
MC後→KP51
モデル一覧
1200ccシングルキャブのスポーティモデル→ST
1200ccツインキャブのスポーティモデル→SR
標準仕様→スタンダード
KP60型
2代目への移行は1978年で、先代よりも少しだけホイールベースが長くなったほか、完全にハッチバックボディを持つようになった。また同時に、先代パブリカの派生車種としてではなく、「スターレット」として独自のカラーを出すようになった。
この代より商業向けとしてバンタイプも発売され、同時に熟成が行われていった。
75年辺りから前輪駆動(FF)が市民権を得てきたが、そんな時代でも敢えて全車種FRを採用したことによって、生粋のファンや走り屋などから支持を受け続けた。しかし、ボディ剛性で劣ってしまうハッチバックのせいで少なからず不評を買ったのも事実である。
エンジンは先代から受け継いだ3Kを改良し、1300ccに排気量を上げたOHVシングルキャブの4K-Uとなり、出力は72psとなった。
全車種共通で前輪ブレーキにはディスクブレーキを初採用して制動力を高めたほか、リアサスも4リンクコイルスプリングに変更して安定性を向上させた。
ハンドリング性能もラック&ピニヨン式のステアリングを採用したことで操作性が向上し、末切りで3回転と、当時としてはかなりのクイックステアだった。
1回目のMCで中期型となったモデルは主に変速機の改良に焦点を当てられており、マニュアルは4速から5速、オートマチックの変速を2速から3速に上げ、エンジンパワーをより有効に使えるように改良された。ほかにはヘッドランプ形状も丸型から角型へと変更された。また、エンジン出力も吸気系の見直しなどで僅かではあるものの2ps向上した。
2回目のMCを受けて後期型になると、エンジンはそれまでのキャブレターから電子制御のEFIへ変更され、エンジン型式も4K-EUになった。このEFIによって燃費が向上したものの、走りの面ではエンジンレスポンスが劣ってしまったため、後期型が選ばれることは稀であった。
細かい点では、初めてドアミラーの設定ができたほか、車幅灯(スモールライト)が独立してコーナーライトとなった。また、女性向けに内装色を華やかにした「リセ」も登場した。
バンモデルも同時にエンジンの改良が行われて、より低回転でトルクを引き出せるようになった。エンジン型式もそれまでの3K-HJから4K-Jとなった。
このあたりから、少しずつ高度経済成長(バブル経済)の影がちらついて影響を受け始め、内装なども豪華になりつつあった。ただし走りの面で言うと、このような装備はただの重量物に過ぎず、邪険に扱われていた。
剥ぎ取れるものを全部剥ぎ取ってしまうと、700キロを切るか切らないかまで減量できて軽快な走りができたので、当時の走り屋は安価で、もともと装備が薄く軽量な廉価版モデルに、キャブレターエンジンだった前~中期型を使用していた。
一般用モデル全車種共通→KP61
商業用バンモデルの3K-HJエンジン搭載車のみ→KP62V
商業用バンモデル、MC前の3K-Uエンジン搭載車のみと、MC後→KP61V
モデル一覧
高級装備仕様→SE
スポーティモデル→S
標準装備仕様→XL
レース向けベース仕様→DX
廉価モデル→スタンダード
P70型
1984年、とうとう時代の流れに押し流されてしまったことや、駆動方式が前輪駆動のターセル、コルサ、カローラⅡと言った、所謂トヨタのFF3姉妹(車輌型式から、EL3姉妹とも)の販売が好調だったことを受け、もっとも小さい車体の部類だったスターレットも、遂に駆動方式をFRからFFとした。
サスペンションも変更され、フロントはこれまでのストラットを踏襲したが、リアは駆動輪が無くなった事でできたスペースを活かし、簡素で整備がしやすく、軽量ながら更に頑丈な作りのトレーリングツイストビームに変更されて更に平坦路での直進安定性が向上した。だが、相変わらず片方で受けた車輪の衝撃が反対にも流れてしまい、積極的な走りの強力な武器としてはなりえなかった。また、後に大人気となるAE86型カローラレビン/スプリンタートレノの4A-GEエンジンを搭載したスポーツモデルがFRを採用し続けたことで、駆動方式がFFになったスターレットに対して「FFなんてクソだ」と、本気の走り嗜好者からはボロクソに叩かれた。
エンジンは新開発の1300ccSOHCの2E-LUで、これらの変更によって車輌型式をKP型からEP型へと変更された。また、この代から初めて1500ccSOHCディーゼルエンジンであるN1を搭載した、ディーゼルモデルも登場した。なお、こちらの車輌型式はNP70。
FFになってからもスポーティモデルを用意したのは、ある種のトヨタの戦略であるとの見方もあった。
事実、後に末代まで語り継がれるスターレットの愛称である「かっとび」はここで生まれたもので、1986年にターボを搭載したモデル「ターボS(レース仕様はターボR)」が誕生した。CMでも「かっとびスターレット!」や「ピリッと辛口ターボ」をキャッチコピーにして、ターボの軽快さを前面に押し出した戦略を採用した。
そのターボを搭載したエンジンはインタークーラーを備えた本格的なもので、エンジン型式は2E-TELUとなる。
ターボの恩恵は、それまでFFに流れたバッシングを帳消しにするほどの高性能で、最高出力は105psを発生させた。後のMCでは更に5ps向上し、最終的に110psを発揮するまでになった。
初めこそ「FFがサーキットで、でしゃばるな!」と、白々しい目で見られていたものの、サーキットやジムカーナでも活躍が目立ってくると徐々に見直されてきて、「FFでもターボなら楽しめそうだ」と、概ね受け入れられた。
ちなみに、オートマチックもターボに設定できたので、走り屋のような乱暴な運転はしたくないが、ちょっと刺激が欲しいといったユーザーにも好評だった。
派生していた商業モデルであるバンも、この代まで製造されてきたが、需要が小さくなってきたことと、自社で新たに専用のバンモデル(スプリンターバン)を製造し始めたので、1988年を以てスターレット・バンの生産終了を正式に発表した。
車輌型式一覧
一般モデル共通→EP71
ディーゼルエンジンモデル→NP70
バンモデル→EP76V
モデル一覧
実用モデル→ソレイユ
実用モデル特別仕様車→ソレイユL
スポーティモデル(NA)→Si
スポーティモデル(ターボ)→ターボS
快適装備などを省いたレース仕様(NA)→Ri
快適装備などを省いたレース仕様(ターボ)→ターボR
P80型
いよいよバブル経済も最高潮に達しようとしていたとき、スターレットも4回目のフルモデルチェンジを敢行した。
基本的なシャシやサスペンションの変更はなく、今回は主にエンジンの強化と内装にお金をかけた多彩なモデル展開で顧客を囲い込む、保守路線に出た。
足回りは、ターボのスポーティモデルに対してのみ強化が行われ、フロントにベンチレーテッドディスクブレーキ、リアにディスクブレーキを武装させた。これにエンジンの出力も相まって、スポーツカーと言えるほどのを走りの良さを演出した。さらにABSをオプションに設定。当時はまだ先鋭技術といえたABSをこのクラスで設定したのは、初であった。ドア数も3枚のみと硬派で、モデル名も「GT」と銘打ち、いかにも本気仕様であることを匂わせる改良だった。
一般モデルでも、エンジンはそれまでのSOHCから、ハイメカツインカムと呼ばれるDOHCに改良して4E-FEとなった。この変更によって出力は大幅に向上し、NAキャブレターで82ps、EFIで遂に実用型エンジンにして100psを達成した。また、オートマチックの変速を4速にして、さらに効率よくエンジンを使えるようになった。
ターボモデルも健在で、ターボを搭載したエンジンは4E-FTEとなり、同時に純正E型エンジン最強の最高出力135psを発生するに至った。
DOHCに進化したこの4E-FTEのパワーは強烈で、ボディが若干大きくなって重量が少し増したものの、パワーウェイトレシオは6.3kgと、同排気量のレシプロエンジン車は、ほぼ敵無し。コースレイアウトやドライバーの運転次第では、2リッターマシンすらちぎってしまうほどの速さを持つに至った。
しかし、小さな車体にFFでありながらこれほどのターボエンジンは走り屋からも危険と言われた。その上足回りが追いついておらず、運転に慣れない人が無闇にアクセルを開けると、とたんにトルクステアが発生してハンドルを奪われてしまう程の、まさにオーバースペックのじゃじゃ馬マシンだった。このバカ力を1速で発生させないように加給圧を0.3k程度に抑える機構として、簡素なソレノイドバルブを用いたローモードスイッチが運転席のサイドコンソールについた。ちなみにこれは非常に簡素なもので、配管の付け替えだけで、いともあっさりと無効化させることができる。
エンジンパワーだけではなく、走りの性能以上にリアハッチの脆さが露呈しており、例え過激な走りをしていなくても、ちょっと走りこんで5年もすればハッチストライカー辺りから軋み音が出てしまうほどの剛性の無さは、涙ものであった。
MCを受けて、初代から続いたキャブレター方式が全廃されてEFIに統一された。またオプションに運転席と助手席にSRSエアバッグを設定し、安全面の強化も図られた。
現在もターボモデルであるGTは人気で、個体数こそ少なくなったものの、草レースやジムカーナで見かけることがある。
歴代スターレットでも屈指の運動性能を誇るマシンだけに色々と弄られる対象になるほか、現在でもチューニングパーツが開発されているので密かな進化が続いている。
車輌型式一覧
スポーティモデル、ならびに前輪駆動仕様→EP82
四輪駆動仕様→EP85
ディーゼルエンジンモデル→NP80
モデル一覧
一般モデル→S
ターボモデル→1.3GT
特別仕様車→ソレイユ、ソレイユL、ソレイユL can等・・・
P90型
1995年、スターレットはフルモデルチェンジを受けて5代目へと成長した。
バブル経済の崩壊でたちまち新車販売の台数が落ちたものの、トヨタの入門車の位置づけを担っているだけあって販売台数が予想よりも落ちることなく、安定した人気を保ち続けた中でのモデルチェンジだった。
この頃から、車に対して快適性を求めるユーザーが多くなってきたことや、その快適さゆえの重大な交通事故の多発を懸念されたおりに出来上がった、トヨタの衝突安全ボディ「GOA」を、量産車で始めて採用される運びとなった。
このGOAは主に正面衝突時の衝撃をエンジンルームで極力吸収して乗員保護を目指すもので、さらにキャビンのメインフレームを太く頑丈にして歪みを最小限に留めて、ドアの開閉をしやすくするものであった。
基本的な構造やターボの出力に変更はなく基本的に前代を踏襲しているものの、先代1.3GTが余りにもパワーに溺れたスポーツ性を意識しすぎた反省点から、初心者でも扱いやすく、それでいながらも本気で振り回せて、尚且つ普段の街乗りでは快適に運転できる味付けが施された。具体的には、リアサスペンションの取り付け部分を強化して剛性を高めたほか、マウントブッシュを硬いものに変更してトラクションが逃げにくくするなどの対策だった。これらの改良によって先代よりも扱いやすくなったほか、トルクステアの発生の極力減らすようパワーステアリングの反応も微調整されている。
GOAによる重量増加やトラクション確保の改良によって、先代のような過激な走りは影を潜めたものの、2009年現在も同排気量車で依然として1、2を争う運動性能を維持している。
なお、NAに関しては環境性と乗り手の要求が違うことを考慮して、出力が85psまで下げられている。
この頃からエスティマなどの、所謂ステーションワゴンの人気が出てきたためにモデル展開は先代よりさら絞ったものの、ライバル車に対して後手に回るようなラインアップになりがちだった。これにワゴンブームも災いしてか、徐々にスターレットの売れ行きが落ちはじめてきた。
止めを刺されたのが、日産のK11型のマーチだった。
販売台数が追いつかれた時点でスターレットの役目は終わったと、販売担当から声が上がったらしい。これを聞いたトヨタの上層部は、新型車開発のサインを出した。
その車種というのが、低価格な上に低燃費で使い勝手のよい小型車として大成功となるNCP10型のヴィッツだった、しかし、万が一市場の反響が悪かった場合のために、暫くは保険用として継続生産されることになった。
そして1999年7月、ヴィッツの市場反響が当初の予想を上回る大成功で、スターレットの役目は完全にヴィッツに引き継がれたと判断された。1300ccエンジンを搭載した四輪駆動仕様のヴィッツが市場に投入されたと同時に、スターレットの生産を終了した。最後の生産日は7月26日だった。
車輌型式一覧
スポーティモデル、ならびに前輪駆動仕様→EP91
四輪駆動仕様→EP95
ディーゼルエンジンモデル→NP90
モデル一覧
一般モデル→ルフレ
スポーティモデル(NA)→グランツァ(Glanza)S
スポーティモデル(ターボ)→グランツァ(Glanza)V
レース仕様→モータースポーツパッケージ(MSP)
全面UVカットガラスを採用したモデル→各グレード名の後ろに、エクセレントパッケージ
特別仕様(RV)→リミックス
レトロ風の内装や、バンパー、グリルを装備したモデル→カラット
式典
長年トヨタの入門車を担ってきただけあって、世間や社内でも生産終了を惜しむ声も多かった。それは当時のトヨタの社長も重々理解していたようで、乗用車では異例とも言える引退式典が行われた。
オーナーズクラブの代表や愛好家も一同に集い、足掛け26年に及ぶスターレットの歩みを懐古しながら、その歴史の幕を下ろした。
なお、この式典は新聞に載ったほどの華やかなものだった。
備考
- 同時期に発売されたターセル、コルサ、カローラⅡのEL40、50型はスターレットと同じシャシであるが、パブリカの直系ではないのでスターレットの姉妹車としては扱われない。血筋で言うなら傍系である。
- 後継車種であるヴィッツのシャシなどは新開発であるものの、車輌型式「P」を受け継いでいるためパブリカの直系である。
- スターレットの名前には「小さなクルマでも、星のように光る存在になって欲しい」という願いが込められている。
関連動画
関連項目
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