スターロツチ単語

スターロッチ

スターロツチとは、日本の元競走馬・元繁殖である。
ハロウェー、コロナ友。

名表記は「スター」だと勘違いされやすいが、彼女が走っていた当時の規則では名に促音拗音(「ッ」や「ァ」等)を使用することが出来なかったため、「スター」が正式な表記。ただし発音は「スター」で合っている。

※当記事の齢表記は当時のものに合わせて旧表記で記載しています。

期待されない良血馬

スターロツチが生まれる前年の1956年、8戦8勝という圧倒的な成績を残し、最優秀3歳いたがいた。それがスターロツチの半にあたるライジングウイナーである。
このライジングウイナー、スターロツチの誕生年である1957年に4歳になると突然ちきれなくなったものの、それでも重賞で2着4回と活躍し、5歳時には京都記念()を勝っている活躍と言っても差し支えないだった。

血統がモノをいう競馬世界ではそんなライジングウイナーの半であるスターロツチに期待がかかるのは当然であり、そして競走馬になる際に彼女が高値で売れるであろうことはほぼ確実だと言えた。

だが、そんな希望に反してスターロツチを購入したいというは一向に現れず、とうとう2歳のを迎えてセリに上場されることになった。
ところがここでも彼女を買取りたいというはおらず、最終的に日本中央競馬会が買い取って抽せんとして調教を積むことになった。
ちなみに抽せん(抽籤)とは買取り手が現れなかった日本中央競馬会が購入し、ドラフトのウェーバー方式に似た抽せん方法で売られたのことであり、通常より安値で買えるが庭先取引やセリで買取り手が出なかっただけあって基本的には「安かろう悪かろう」というが多い。

「生まれてからセリの頃までリアルタイムで活躍していたライジングウイナーをに持つスターロツチがなぜこんなことに?」と思うかもしれないが、答えは簡単だった。
スターロツチがあまりに貧弱な体つきだったからだ。特にから後にかけての筋肉に乏しく、このせいで買取希望者が現れなかったのである。

だが、 宇都宮の育成牧場で調教を積むと体が一変。メキメキと成長し、スターロツチを見た生産者が「これ本当にうちのですか?」と三回も確認するほどに立体になっていた。それって牧場での扱いがよっぽど適当だったんじゃ?とか思わないでもないが言ってはいけない。

ともあれ、危うく買取り手が現れないところだったスターロツチはこれで中央競馬でのデビューが決まったのである。

低評価への反発

3歳の暮れに未出走戦でデビューしたスターロツチは3戦で初勝利を挙げると、その後も安定したレースぶりを見せて6戦3勝2着1回3着2回という成績で桜花賞に乗り込むことになった。
ただし初勝利の未出走未勝利戦はともかく、それ以降の勝利は4歳抽籤戦と4歳抽籤特別というレベルが低いレースでのものだったため、安定した成績ながらも桜花賞では5番人気とあまり高い評価は得られなかった。

だが、中団から直線で鋭い伸びを見せたスターロツチは勝利したトキノキロクに0.1差まで迫る好走を見せて3着。
次なる標であるオークスに向け、ステップレースの4歳特別(東)に向かった。
しかし、桜花賞後に調教を緩めたことが災いし、2番人気に推されながらも初めて掲示板を外す7着と惨敗。このことが原因で本番となるオークスでは9番人気と評価を下げてしまう。

しかし、セリ桜花賞と周囲の評価が低いと燃えてきたのがスターロツチだった。
中は桜花賞と同じく中団につけ、直線で大外を回って足を伸ばすと、最後はクイーンオンワードとの競り合いを制して1着でゴールに飛び込んだのである。
"売れない良血""落ちこぼれ抽せん"だったスターロツチは、とうとう同世代の頂点に立つことになったのだ。
ちなみにこれは抽せんとして史上初の八大競走制覇であり、手綱をとったベテラン高松騎手にとっても嬉しいクラシック勝利となった。

不振の秋、そしてグランプリへ

オークス後、スターロツチは休まずに走り百合ステークスとオープンで勝ちを上げたが、中山4歳ステークス3着、京王オータハンデは5着と重賞では勝てず、先までと同じように「レースレベルが上がると勝ちきれない」という状況に陥っていた。
さらにスタンド完成記念、クイーンステークスではクラシック戦線のライバルだったチドリに連敗。東京特別でも3着に敗れるなどどうも調子が上がらなかった。(ただしクイーンステークスでは60キロとかなり重い斤量を背負わされての2着だったため、この敗戦は仕方ない面もある)

エリザベス女王杯秋華賞もなかった時代なため、続く特別ハンデキャップ競走を使って年内のレースは終わりか……と思いきや、このレースを使わないで大楽勝したことから新たな選択肢が増える。
第5回を迎えて年末の風物詩として定着しつつあった有馬記念推薦で出られることになったのだ。

しかし、いざレースに出走したもののスターロツチは9番人気であった。それもそのはずで、そもそもファン投票出場ではないうえにこの年の有馬記念は、二冠コダマ天皇賞オーテモン、ダービーコマヒカリ菊花賞キタノオーザ、皐月賞イルデイールと、スターロツチも含めて13頭中6頭が八大競走優勝というメンバーだったのである。
オークスを制して前走で復調しているとは言っても、しょせんは4歳。ここでは用しと考えられるのは当たり前だったと言えるだろう。

だが、こういう低評価の時に強いのがスターロツチというだった。メンバーというのが逆にあだとなり有が後方で牽制する中で、スターロツチは快速ヘリオスと一緒にスローペースでの逃げを打つ。
そして、距離にぶち当たり失速するヘリオスをに先頭に立ったスターロツチは追いすがるオーテモンに2身差をつける快勝でグランプリを制覇したのだった。

による有馬記念勝利は前年のガーネツトに続いて2年連続だったが、この後有馬記念を制するのは11年後のトウメイであり、さらにその後となるとトウメイから37年後のダイワスカーレットを待たねばならないというぐらいに有馬記念制覇は快挙なのだ。
さらに4歳(現3歳)による有馬記念制覇となると、スターロツチしか達成していないという偉大な記録である。

かしこれで燃え尽きたのか、有馬記念を制したスターロツチは翌年になると大不振に陥り、5歳は5戦0勝、安田記念では最下位になるなど散々な成績だった。
それでもになって京王オータハンデ久々勝利を上げる意地を見せたが、続く毎日王冠レース中に右前脚を脱臼。 
一命はとりとめたものの、そのまま引退することになった。

余談だが、スターロツチが有馬記念以来の勝ちを上げた京王オータハンデの日、競馬予想大川慶次郎氏が東京競馬場で開催された全レース京王オータハンデ含む)の予想を的中させ、氏が「競馬神様」と呼ばれるきっかけとなった。 

偉大なるスターロッチ系

故郷に帰って繁殖生活に入ったスターロツチだが、子供は期待ほど走らず、繁殖としては失敗に終わった。

と思いきや、孫以降の世代になって覚醒
第七子・ロツチの子であるハードバージ皐月賞を制したことを皮切りに、天皇賞サクラユタカオー、二冠サクラスターオーダービーウイニングチケットとGⅠ級レースを勝つ子孫が輩出され、長らく重賞戦線で活躍したサクラシンゲキマチカネタンホイザ、ワコーチカコロイヤルタッチ等の重賞勝ちが続出した。

その系は半のテツノホマレ(マックスビューティライバルとして知られるコーセイの曾祖)、半のカミヤマトミホノブルボンの曾祖)と合わせて「グレイダーロッチ系」と呼ばれるが、スターロツチに連なる血統は特に多くの活躍が輩出されているため、「スターロッチ系」として扱われる。

現代に続く血統を確立させたスターロツチは、繁殖引退した後はスターロッチ系の代表的な活躍であるサクラスターオーを務めるなど晩年も"活躍"を見せたが、サクラスターオーデビューする2ヶ前、立に育っ玄孫の姿に安心したのか、老衰で死去。
享年30歳という大往生であった。 

関連動画

"スターロツチの忘れ形見"サクラスターオー

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