ステファン・ピエラ単語

ステファンピエラ
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ステファン・ピエラ(Stefan Pierer)exit とは、オーストリア出身の企業経営者である。

KTMCEO(最高経営責任者)を務めている。
  

略歴

オーストリア生まれ。暖房メーカーの営業として働く

1956年11月25日に、オーストリアシュタイアーマルク州ブルックアンデアムーアexitで生まれた。育ったのはエトミスルexitという町である。どちらも首都ウィーンから南西に120km離れていて、アルプス山脈の山間部にあり、森林が多く、がどっさり降る。

ギムナジウム(進学希望者向け高校)exit卒業した後、機械工学系の高等専門学校(5年制)exitに進学した。さらにレオーベン大学exitへ進学し、企業経営やエネルギー産業について学んだ。

1982年(26歳)に卒業して、Ingenieur技術者)になった。「学位を取得した」というのと大体同じ意味。

卒業後はHovalexitという会社に就職した。同社はリヒテンシュタインに本社があり、ボイラーなどの暖気装置を作っている。ドイツの住宅ではの寒さをしのぐため暖房が必需品なのだが、それを作っているのである。Hovalマルヒトレンクexit支社の営業部門に配属され、オーバーエスターライヒ州exitを担当した。

ステファン・ピエラCEOというとに衣着せない言動で知られるが、そういう性格になったのは営業の仕事を経験したからであろう。
  

1992年にKTMを買収し、急成長させる

1987年Hovalを退社してCross Industriesという名前の投資企業を設立し、弱冠31歳の投資になり、経営が行き詰まった会社に対して資アドバイスを与えて経営再建の支援をするようになった。

Cross Industriesオーストリア新聞広告を出していたのだが、その広告を見て電話をかけてきたうちの1人がハインツ・キニガドナーexitという人物だった。ハインツは元・モトクロス選手で、1984年1985年KTMマシンを駆ってモトクロス世界選手権250ccクラスexitを連覇した人物である。史上初めて「オーストリア企業KTMに乗ってチャンピオンになったオーストリア人」であり、オーストリア民的英雄だった。1988年モトクロスレースから引退し、業のパン屋を継いでいたのだが、このパン屋の経営が思わしくなかった。困ったので、ステファン・ピエラ率いるCross Industriesに相談したのである。

それをきっかけにハインツ・キニガドナーとステファン・ピエラは仲良くなり、休暇を一緒に過ごす仲になった。

1991年スペインイビサ島exitで遊んでいると、なんとKTM倒産したというニュースが流れてきた。現役時代に世話になったKTMを救ってあげて欲しいとハインツ・キニガドナーがステファン・ピエラに頼み、それをきっかけにステファン・ピエラはKTM再建に乗り出すことになった。


1992年にステファン・ピエラはCross Industriesを通じてKTMを買収した。当時のKTMの従業員数はわずか160人で、生産台数は6,000台だけ、買収額は220ユーロだった。

それがなんと、2007年には従業員数2,000人・生産台数90,000台にまで成長した。

2018年には従業員数2,900人、生産台数261,555台にまで成長している。

収益の方も堅調そのもので、2012年から2015年まで4年連続で年間10億ユーロの収益を叩き出している。


※この項の資料・・・記事1exit記事2exit記事3exit記事4exit
 

億万長者になる

KTMの成長で、ステファン・ピエラは億万長者になった。

アメリカ合衆国経済雑誌フォーブスexit世界長者番付というものを毎年3月に発表しているが、その2018年度版にステファン・ピエラの名前が入っており、推定資産12億ドル(1ドル110円とすると1,320億円)とされている。

2018年度版フォーブス長者番付において、オーストリアたちの中で上から8番に位置している。この記事exit記録されている。
 

性格、私生活

スポーツカーを集める趣味はない。「1人が乗ることができるのは1台だけなので、多くのを集めてもしょうがない」と言っている。ヨット飛行機を収集する趣味もない。

オーストリア国民党中道で、政権与党である期間が長い)に政治している。

結婚していて、子供が2人いる。そのうち1人は、26歳までの学生時代にできた。

就職したときに「南半球オーストラリアと、ヨーロッパオーストリアのどちらかを勤務先に選べ」と言われた。そのときすでに妻子があったので、ヨーロッパ勤務を選んだ。

この項の資料・・・記事1exit記事2exit
 

歯に衣着せぬ言動でMotoGPニュースサイトを賑わせる

ステファン・ピエラCEOはMotoGPが大好きで、それに関して率直な発言をすることで知られている。発言のいくつかを紹介したい。
 

2016年「ホルヘ・ロレンソは雨になるとダメだ」発言

2016年4月18日ドゥカティワークスはホルヘ・ロレンソとの2年契約を結んだと発表したexit。このときの報酬は2年で25万ユーロと言われており、巨額のお金が動いた大契約だった。

2016年9月にステファン・ピエラCEOはこう語っているexit

ドゥカティワークスホルヘ・ロレンソにいくら払ったんだ?12万ユーロだって?それだけ支払ったにもかかわらず、ドゥカティは成功するかどうか確信を持てないだろう。なぜなら、ロレンソはが降ると多くの問題を抱えるからだ」

になると問題が増えるというのなら、『良いバイクに乗っているかどうか』というのが重要な問題ではなくなる(でダメになるような選手に良いバイクを与えてもしょうがない、と言う意味)」

KTMは、高いを払ってヨソのワークスチームからライダーを引き抜くつもりはない。Moto2クラスMoto3クラスの才あるライダーを探し出すつもりだ」

実際に、20142016年ホルヘ・ロレンソになると一気に遅くなっていた。2013年6月オランダGPで、濡れた路面を時速238kmで走行している最中に凄まじいハイサイド転倒をしたexit。これによりの走行にトラウマを抱えるようになったらしく、が降ると2桁順位にまで落ちるシーンが見られるようになっていた。


こんなことを言われたホルヘ・ロレンソは即座に反応、「ステファン・ピエラというお方は、良い記憶をお持ちでないか、プロフェッショナルMotoGPに関して詳しい、という意味)ではないかのどちらかでしょう。レースで速く走ったことがあるんですから」と言い返して、ちょっと面い舌戦となった。


ちなみに2年半後の2019年4月インタビューで、ステファン・ピエラCEOは「ホンダがマルク・マルケスとロレンソという2人のトップライダーを抱えたのは見るものを興奮させるね。ロレンソは2018年に3勝を挙げたんだし、レプソルホンダでも同じような活躍をするだろうexit」と褒めている。
  

2017年「ホンダは大嫌いなライバル」発言

2017年2月KTMワークスの決起式が行われた。

その式のなかで、ステファン・ピエラCEOは次のようなことを言い、MotoGP関連ニュースサイトを大いに賑わせた。

2017年KTMMoto2クラスに参戦する。そこでは、私が最も嫌うライバルであるホンダエンジンを独占供給している。しかし、それについては何の問題もい。KTMフレームカウルで、ホンダロゴを隠してしまうからだ」

2019年から、Moto2クラスエンジン独占企業トライアンフ英国企業)になるそうじゃないか。とても良いことだ」


KTMMoto3クラスダカール・ラリーexit(毎年1月に開催されるラリー南米大陸を横断する。こんな感じの競技exit)においてホンダしく競争している。実伯仲しており、なかなか良い勝負になっているので、ステファン・ピエラCEOの胸にはホンダへの競争心が常に煮えたぎっている。

そんななか、2017年1月のダカールラリーで、ホンダチームルール違反行為が話題となった。燃料補給が禁止されている区間で燃料補給をして、1時間のペナルティを受けたのである。これを見たステファン・ピエラCEOはホンダへの怒りがさらに燃えあがることになり、それからわずか1ヶ後の決起式で上記のような発言をすることになったのである。

この発言を取り上げている日本語記事はこちらexitこちらexitになる。
 

2017年「ヤマハやカワサキが好き。ホンダを負かすのは最高に満足を得られる」発言

2017年4月頃、スペインの名物記者マニュエル・ペチーノexitインタビュー記事において、「最も尊敬していて、私が最高に賞賛するバイク企業はヤマハです。もう1つ、カワサキも好きな企業です。ですが、ホンダを負かすことは最高の満足感を得ることができますexit」とっている。
 

2019年「ダニ・ペドロサを手放すなんて、ホンダは器量が狭い」発言

2018年6月5日、レプソルホンダはダニ・ペドロサに対して「来年の契約を結ばない」と通告したexitダニレプソルホンダの関係は2006年から2018年まで13年間続いていたので、多くの人を驚かせた。ダニは軽排気量クラスデビューした2001年からホンダ一筋だったので、もが1つの時代の終焉を感じた。

2018年7月12日、ダニ・ペドロサは引退を発表したexit

2018年12月9日日本ツインリンクもてぎホンダレーシングサンクスデーが開催され、ダニ・ペドロサは桒田哲宏室長や八郷隆弘社長と記念撮影に映り、マシンを贈呈されていたexit

ダニ・ペドロサホンダの間にはわりと和やかな雰囲気が広がっていたのだが、そこに一石を投じたのがアルベルト・プーチ監督だった。2018年シーズン中のプー監督は堅調に監督業をこなしていたのだが、12月になってついに口を開いたのである。その発言を報ずる記事はこちらexitである。


どうだろう、プー監督のこの発言は。チームを去りゆく人間に対して、あんまりな言いようではないか。

そこでステファン・ピエラCEOはダニ・ペドロサを援護するため、2019年2月KTM決起式で、またしても次のようなことを言ったのである。

14年以上ホンダに所属していたダニ・ペドロサが放出されたことに思いを馳せなければならない。どれだけホンダは器量が狭いんだ?exit

アルベルト・プーチ監督は器量が狭い!」と言えば良さそうなものだが、なぜか「ホンダは器量が狭い!」になっている。ホンダにとっては、とばっちりと言えるだろう。

ちなみに、アルベルト・プーチ監督も負けずに反撃しているexit
 

2019年5月「ヨハン・ザルコにはがっかりだ」発言

2019年からKTMワークスに移籍したヨハン・ザルコは大苦戦していた。2018年まで乗っていたヤマハマシンは優しく乗らねばならないのに対し、KTMマシンはかなり強引に乗らねばならない。2つのマシンは乗り味が大きく異なっていて、乗り換えに苦労していたのである。

2019年5月3日)に行われたFP1で、マシン乗り換えに苦労するヨハン・ザルコフランステレビ局Canal+のインタビューに対して暴言を吐いてしまった。

その発言はフランス語で行われたらしい。発言をイタリア語に翻訳した記事がGPOneに掲載されたexit

Il nostro telaio e l'erogazione della potenza sono una merda

これを日本語に訳すと「KTMのシャーシとパワーデリバリーは」となる。

イタリア語merdaフランス語merdeと同じ。どちらも、放送禁止なみの下品な言葉とされる。


どうだろう、ヨハンのこの発言は。マシンを作る人間に対して、あんまりな言いようではないか。

そこでステファン・ピエラCEOはKTMマシンを作る人たちを援護するため、次のようなことを言ったのである。

ヨハンのパフォーマンスには、単純に満足できないものだexit


ちなみに、ヨハンもさすがに言い過ぎたと思ったのだろう、Instagramこの動画exit投稿し、「金曜日アクシデントが起こっては非常に怒ってしまい、悪い言葉を口走ってしまった。KTMは良い仕事をしているし、も最大限頑っている」と謝罪に近い発言をすることになった。
 

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