ステージチャンプとは、1990年生まれの日本の競走馬である。3000m超えのGIで2度2着に入るなど、長距離路線で沸かせた名脇役である。
主な勝ち鞍
1993年:青葉賞(OP)
1994年:日経賞(GII)
1995年:ステイヤーズステークス(GIII)
※以下、馬齢を旧表記(現表記+1歳)で記述します。
概要
血統
父リアルシャダイ、母ダイナアクトレス、母父ノーザンテーストという血統。父はのちにリーディングサイヤーとなる名種牡馬、母は重賞5勝を挙げた当時の女傑の代名詞、母父は1980年代を代表する名種牡馬とぴっかぴかの良血にして、まさに社台の結晶というべき血統である。半妹には3歳重賞を2勝し、桜花賞3着の実績を上げたプライムステージがいる。
ちなみにリアルシャダイ産駒には長距離GI3勝のライスシャワーを筆頭に中長距離を得意とするステイヤーが多いのであるが、例によって本馬もコッテコテのステイヤーであった。ダイナアクトレスは古馬で1400m戦や1800m戦でも勝っているんだけど。
3歳~4歳
92年11月に東京競馬場でデビュー。3戦目で蛯名正義騎手を背に勝ち上がる(ちなみにダート1200mという生涯戦績からすると信じがたい舞台である)。その後弥生賞をウイニングチケット・ナリタタイシンに次ぐ3着としクラシック戦線に臨むも、皐月賞ではナリタタイシンが鬼脚で差し切る後ろで足を伸ばせず7着に終わる。続くダービートライアル青葉賞では直線で早めに抜け出し、当時まだ未勝利のロイスアンドロイスらの追撃を半馬身振り切って2勝目を挙げたが、本番日本ダービーでは先行しながらBNWの激闘についていけない9着。ズブい馬そのものといった感じの戦いぶりであった。この春の結果を受けて蛯名騎手は降板、剛腕南井克巳騎手へと乗り替わりとなる。
秋は京都新聞杯から始動するがウイニングチケットの6着。こんな成績では買えるはずもなく菊花賞では9番人気に留まる。しかし菊花賞ではステイヤーの本領発揮、勝ったビワハヤヒデには5馬身ちぎられたもののウイニングチケットを半馬身抑えて2着に突っ込む健闘を見せ、3歳シーズンを終えた。
5歳(秋天まで)
94年は天皇賞(春)を目指して岡部幸雄騎手を背に1月から始動し、金杯(現・中山金杯)、AJCC、目黒記念と3戦連続で1番人気に押されるが順に2着、3着、4着。先行勢に届かないわ後ろから差されるわ、といかにもズブいステイヤーといった負け方である。
続く日経賞では4番人気。AJCCで完全に差されたマチカネタンホイザや前年の春天後絶不調とはいえGI2勝を挙げているライスシャワーは仕方ないとして、AJCCでいつものように逆噴射してステージチャンプの後塵を拝しているはずのツインターボをも下回っていた。しかしレースでは早めにツインターボを捕まえに行ったライスシャワーをマチカネタンホイザと共に追走し、ハナ差差し切って重賞初制覇を果たす。
勇躍して94年の天皇賞(春)へと乗り込んだステージチャンプだが岡部騎手はビワハヤヒデに行ってしまい、南井騎手に鞍上が戻ったもののビワハヤヒデとナリタタイシンに置き去りにされての5着(マチカネタンホイザと同着、一応3着のムッシュシェクルとはクビ-クビ差である)。続く宝塚記念は案の定距離が短く8着。秋も毎日王冠、天皇賞(秋)と連続で着外に終わる。
5歳秋天~6歳春天まで
この結果を受けて鞍上を3歳春までの蛯名騎手に戻し、アルゼンチン共和国杯に出走。惨敗続きで5番人気まで落ちる(前走勝ったとはいえ、重賞未勝利のシャコーグレイド以下である)が、斤量で有利なマチカネアレグロ・古馬GIでも好走してきた似たもの同士のアイルトンシンボリと差のない3着に突っこむ。ならばとばかりにステイヤーズステークスに臨むも、有馬を回避してやってきた3冠馬ナリタブライアンのライバル・エアダブリンに3馬身ちぎられてまたしても3着。
6歳となり、春天までは去年と全く同じローテーションを組んだ。そして結果も去年と同様…というか悪化した(6着、3着、8着、2着)。2度目となる95年の天皇賞(春)はステップレースの阪神大賞典を圧勝したナリタブライアン、およびそれを打倒しうると目されたサクラローレルが故障で不在の中、ステージチャンプは6番人気。まあ明らかに順調さを欠いているし仕方ない。
レースは4番人気のライスシャワーが第3コーナーからのロングスパートを敢行し、直線に入っても後続を引き離しにかかる。1番人気エアダブリンら上位人気馬は届きそうになく、メジロマックイーンを下してヒール扱いが定着した93年春天以来の復活勝利なるか…といったところで大外からやってきたのがステージチャンプ。いつにない末脚でエアダブリンらを切り捨て、最後の最後で止まったライスシャワーと並ぶようにしてゴール板を通過。完璧に差し切ったと思った蛯名騎手はGI初制覇の喜びのあまりガッツポーズを見せた…が、実際にはハナ差ライスシャワーが粘り切っていた。かくしてライスシャワーは関東の刺客改め不屈のヒーローとなったが、ステージチャンプはGI制覇の最大のチャンスを逃す格好となってしまった。ちなみにこのレースの3着ハギノリアルキングもリアルシャダイ産駒であり、リアルシャダイ産駒の長距離適性の高さを改めて証明する形となった。
6歳春天~引退後
秋は京都大賞典と天皇賞(秋)は距離不適で着外に終わるも、アルゼンチン共和国杯では2着と復調。そしてステイヤーズステークスで1番人気に応えて待望の重賞2勝目を果たす。そして年末の有馬記念を目指す…はずが骨折して休養。宝塚記念を目指してオープン特別で復帰し、61kg背負って2着に突っ込むも今度は屈腱炎を発症。ぶっちゃけ引退してもおかしくはない年なのだが、現在の成績では種牡馬になれないのでGIをとるべく現役続行。次の春天への直行を選択する。
そして迎えた3度目、97年の天皇賞(春)。人気はサクラローレル・マヤノトップガン・マーベラスサンデーの3強に集約され、本馬は55.2倍の8番人気。もう8歳のロートル、しかもぶっつけともなればこの評価もやむなしか。
レース本番はサクラローレルがマーベラスサンデーを競り落としたところをマヤノトップガンが強襲…するその後ろでステージチャンプが力強く足を伸ばし、3強にこそおよばずも5歳馬2頭を競り落としての4着。長距離ならば力のあるところをみせつける形となった。しかしこの激走の代償は大きく、宝塚記念を前に骨折、次いで4度目の春天を前に屈腱炎を発症。とうとう引退となった。
良血ではあったが戦績が長距離に偏っていたこと、またすでにリアルシャダイの人気が下火になっていたことによって種牡馬にはなれず、ノーザンホースパークにて乗馬となった。その後秋田の高校で繋養されたのちに北海道に戻って余生を過ごし、2020年2月7日にこの世を去った。29歳の大往生であった。
奇しくも近い時期に同期のナリタタイシン・ビワハヤヒデもこの世を去っている。今頃あの世でクラシックや春天の思い出話でもしているのだろうか。
血統表
*リアルシャダイ Real Shadai 1979 黒鹿毛 |
Roberto 1969 鹿毛 |
Hail to Reason | Turn-to |
Nothirdchance | |||
Bramalea | Nashua | ||
Ralelea | |||
Desert Vixen 1970 黒鹿毛 |
In Reality | Intentionally | |
My Dear Girl | |||
Desert Trial | Moslem Chief | ||
Scotch Verdict | |||
ダイナアクトレス 1983 鹿毛 FNo.1-x |
*ノーザンテースト 1971 栗毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
Lady Victoria | Victoria Park | ||
Lady Angela | |||
モデルスポート 1975 黒鹿毛 |
*モデルフール | Tom Fool | |
Model Joy | |||
* | Red God | ||
Like Magic | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Lady Angela 4×5(9.73%)、Nasrullah 5×5(6.25%)
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(結果的に)ラストラン
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関連項目
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