ス | ト | ラ | ビ | ン | ス | キ | ー |
概要
イーゴリ・ストラヴィンスキーとは、ロシアの作曲家、指揮者、ピアニストとしても知られる音楽家。20世紀を代表する作曲家の一人である。
1882年6月17日、ロシア帝国のサンクトペテルブルグに生まれる。大学で法律を学んでいたが、在学中に作曲家を目指すようになり、作曲家ニコライ・リムスキー=コルサコフ[1]の子息の紹介を受け、コルサコフに師事。作曲と管弦楽について学んだ。
1908年、自作曲の交響的幻想曲『花火』がディアギレフ率いるロシア・バレエ団によって初演された。これが認められ、以降『火の鳥』『ペトルーシュカ』『春の祭典』などの代表作を発表。原始主義と呼ばれる作風を確立した。
1914年、第一次世界大戦の戦火を避けるためスイスに移住。1920年発表の『プルチネルラ』から第二次世界大戦終結までは新古典主義に傾倒し、伝統的なクラシックに作風を変えていった。
1939年、ヨーロッパを離れアメリカに亡命。第二次世界大戦後は、かねてより対立していたシェーンベルクの十二音技法を用いた『ピアノとオーケストラのためのムーブメンツ』などを作曲。晩年に至るまで常に新しい作風を模索し続けた。1959年に来日してNHK交響楽団を指揮しており、映像も残されている。
生涯を通じて作風が変化し続けたため、「カメレオン作曲家」、「1001の顔を持つ男」とも呼ばれた。
ちなみに上記画像はNHKの伝説の作品「映像の世紀」OPに出てくる非常に印象的な一場面であり、「パリは燃えているか」の楽曲が流れている動画には、必ず誰かがストラビンスキーの文字を書き込んでいる。
日本との関わり
昭和34年(1959年)、演奏のために来日。この時ラジオで聴いた武満徹の『弦楽のためのレクイエム』を称賛したことによって武満の国際的知名度の向上に貢献している。
関連動画
関連商品
関連項目
脚注
- 1
- 0pt