概要
スポーツカーとは、自動車を運転する行為そのものを気晴らし(すなわちスポーツ)として満喫したり、他の運転者と競ったりすることを趣味とする人々のための車である。
あるいは、レーシングカーのうちでタイヤがボディーに覆われて市販車に近いイメージのスタイルを持ったものを指す。これはフォーミュラカーと対照的な存在としてレーシング界の人気を二分している。
本記事では主に古典的なスポーツカーについて解説するが、そういった車種は多くの売り上げが望めない割に開発費が多くかかるので、各メーカーは普通の乗用車(ハッチバック、セダン、ワゴン)をチューニングしたグレードをスポーツカーのような仕立てで売り出すことも多くなっている。ハッチバックをスポーティーな仕立てにしたものはホットハッチ、セダンをチューニングしたものはスポーツセダン、ワゴンベースのものはスポーツワゴンと呼ぶ。懐古厨保守的なクルマ好きはこれらをスポーツカーと認めず、スポーティーカーなどと呼んで区別したりする。
なお、SUVはSport utility vehicleの略とされるが、断じてスポーツカーでは無い。
スポーツカーの起源
そもそもスポーツカーとは、昔はレーシングカーと同じであった。いや、同じといえば語弊があるかもしれない。要するに現在ほどには明確に分けられていなかったのだ。
モータースポーツの黎明期、車の細かい保安基準や法規なんかはまだ無く、ドライバーたちは自分の車に乗ってサーキットに駆けつけてレースに参加し、そのまま同じ車に乗って帰るのが当たり前の光景だった。むろん違法改造だの暴走行為だのとぬかしてしょっぴこうとする警察もおらず、実に大らかな(別の捉え方をすれば、でたらめな)時代だったのである。
そのような中で、いわゆるオープンホイール(タイヤがむき出し)の車とタイヤがボディでカバーされた車の区別をする必要が生じた。前者はグランプリマシンと呼ばれ、やがてフォーミュラカーへと発展する。そして後者はスポーツカーと呼ばれたのである。
やがて、レースの世界は次第に細かいルール(レギュレーション)が定められてゆき、そのための車はレーシングカーと呼ばれるようになってゆく。その中で、フォーミュラカーはレース専用車となって市販車はほとんど姿を消した。そして、スポーツカーも市販車の保安基準や法規が整備されるに従って、レーシングカーとしてのそれと市販車のスポーツカーにはっきりと分けられてゆくことになる。
市販車としてのスポーツカー
上記でも述べたとおり、公道を走る自動車としての保安基準や安全性を満たしつつ、運転するドライバーに喜びを与えることを主目的とする車である。
いわゆる普通の乗用車などに比べて、大きいパワーを持ったエンジン、比較的軽量かつ空気抵抗の少ない背の低いボディ、それゆえの低重心と優れたパワーウェイトレシオ(車重をパワーで割った比率)、旋回性を高めるための固められたサスペンションなどを持つ。ボディタイプは2ドア・2シーターのクーペボディやオープンカーであり、4人乗りであっても後席はエマージェンシーシートと呼ばれる狭いものである。
当然ながら、ユーティリティ(使い勝手)は普通の乗用車に大きく劣り、一般的に燃費性能も悪い。それでいて価格は割高となる。さらに古いスポーツカーは走ることのみの性能を求めてカーエアコンなどの快適装備が省略される場合も多かった。これらは実用的な道具としてはいずれもマイナス要素であるが、非日常性(さらに、場合によってはプレミアム性も)を重視するスポーツカーの場合はむしろプラス要素となりえる。
では実用性より非日常性を重視した背の低いクルマは全てスポーツカーなのかというと、性能的には普通の乗用車となんら変わらないものもある。これをスペシャルティカーと呼ぶ。日本ではバブル期に流行したジャンルであるが、現在ではSUVの台頭に飲み込まれてほぼ絶滅している。
一定の快適性を確保しつつ長距離の移動手段としての性能を求めたものはツーリングカー、あるいはグランツーリスモ(GT)と呼ばれるが、現代のスポーツカーは(ケータハムのスーパーセブンのようなものを除いて)GTカーとしての快適性を持つものが大多数である。
また、スポーツカーの中でもプレミアム性を特に重視した車種をスーパーカーと呼ぶことがある。
レーシングカーとしてのスポーツカー
概要で述べたように、タイヤをボディで覆ったレーシングカーというのが、極めて大雑把だが分かりやすい捉え方である。主に、純レーシングカーであるプロトタイプカーと、市販車をベースにしたGTカー、ツーリングカーに別れる。プロトタイプカーがいかなるものかはプロトタイプの記事に詳しいため、そちらを参照。ここでは、なぜレースで使われる車がこのように呼ばれるようになったかを記すことにする。
かつて戦前の頃は、スポーツカーは全て市販車ベースと定められていた。とはいえ、その基準はカタログに載せられ、実際に販売されている事実があればいいという程度のゆるいものではあったが。
第二次大戦によるモータースポーツの中断期を経た後の混乱期の中で、どのメーカーも十分なレース向けの市販車を用意できなかった時期があった。そこでやむを得ず、「将来市販される予定のプロトタイプ」という条件でレースのためだけに作った車を主催者が許可したのである。しかし、「予定は未定」の言葉通り、ハナから市販する気などさらさらない車をエントリーさせるメーカーが現れ、これが常態化してしまった。
ついには、1958年のフェラーリ250TRの出現によって、フェラーリが58年から61年まで59年を除いてチャンピオンシップを独占するに至る。250TRはちゃんとカタログが用意されていたが、実際に市販されたのは最初の年だけで、その数もたったの19台である。しかも、毎年モデルチェンジしても追加市販されることはなかった。
慌てた主催者側は、1962年にフェラーリを封じ込めるべく、年間100台以上の生産を条件としてちゃんと市販車をベースとするGTカーを定めてチャンピオンシップをこれに移した。しかし、結局レース単体で見れば総合優勝を争って真っ先にチェッカーを受けるのはプロトタイプカーであり、観客の注目もそちらに集まるため、プロトタイプカーが廃れることはなかった。そればかりか、1964年から始まったフェラーリとフォードの対決による急激な進化はますますプロトタイプカーの魅力を増すこととなった。当時のF1が1500ccに制限されて今では考えられないショボいマシンであったためもあり、7000ccにも及ぶプロトタイプカーの迫力はスポーツカーレース全体の人気に大いに寄与したのである。
ついに1968年に主催者はプロトタイプカーをグループ6の名でチャンピオンシップ対象として公認した。こうして、プロトタイプカーは本来の「試作車」と言う意味を逸脱した、「市販車の面影がちょっと残ってるただのレーシングカー」として定着してしまった。
その後、グループ6(3000cc)→グループ4(5000cc)→グループ5(3000cc)→新グループ6(2100ccターボ)と変遷し、80年代のスポーツカーレース黄金時代となる、グループCの時代へと繋がっていくことになるのである。
グループC終焉後も、WSC、そしてLMPとして一部の時期を除いてプロトタイプカーはスポーツカーレースの主役であり続けている。
現在においても、スポーツカーのレースはプロトタイプとGTカーやツーリングカーの混走が普通に行われており、それぞれのクラスで優勝やチャンピオンシップが争われている。
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