スワップス(Swaps)は、1952年生まれのアメリカの競走馬・種牡馬である。
カリフォルニア州産馬というマイナーな出自ながらケンタッキーダービーを勝ち、その後もレコード勝ちを連発した快速馬。ブラッド・ホース誌選定「20世紀のアメリカ名馬100選」では第20位。
概要
父Khaled、母Iron Reward、母父Beau Pereという血統。
父カーレッドはイギリスで走りミドルパークS・セントジェームズパレスS勝利など12戦6勝。
母アイアンリワードは8戦未勝利。その半弟に本馬の2歳下のケンタッキーダービー馬*アイアンリージがいる。また、スワップスの全妹*アイアンエイジが日本で牝系を広げトランセンドなどを出している。
母父ボーペールは競走馬としては11戦して下級戦で3勝と冴えなかったが、その母キンナが1000ギニー馬という血統を評価され種牡馬入りした。その後ニュージーランドでリーディングサイアーを2回獲得したことが評価されてアメリカに輸入された。
本馬は馬産地としては主流から外れていたカリフォルニア州のオーナーブリーダーであるレックス・エルスワースの生産所有馬として、彼と古い付き合いのあるメッシュ・テニー調教師に預けられた。スパルタ調教が主流だった当時のアメリカ競馬にあって彼らはかなり自由な育成を施し、それもあってか食欲旺盛な本馬は1200ポンド(約544kg)にもなろうかという大型馬に成長した。
なお、余談であるが、エルスワースはその後経営難のため1974年末に牧場を放棄して夜逃げしてしまい、本馬の母のアイアンリワードなどはその影響で餓死するという悲惨な末路を迎えている。
競走成績
2~3歳時
閑話休題、本馬に話を戻すと2歳時は6戦して3勝だったが大レースの勝ち鞍はなく、あまり目立つ成績ではなかった。
3歳初戦のサンヴィセンテS(7ハロン)も勝ったが、このレース後に右前脚の蹄に感染症を患ったことから手術が行われた。幸い軽症で済んだことから1ヶ月後のサンタアニタダービー(9ハロン)に出走し、前走で3着に破ったジーンズジョーを再び2着に破って、2歳最終戦の一般競走から3連勝としてケンタッキーダービーへ向け東上した。
東海岸ではまだ注目の薄かった本馬だが、東上初戦の一般競走(6ハロン)でアーカンソーダービーを勝ったトリムデスティニーに8馬身半差をつけ圧勝して一気にケンタッキーダービーの有力勢力に名を連ねると、本番では東海岸を拠点とする前年の最優秀2歳牡馬ナシュアに次ぐ2番人気に支持された。レースでは本馬がハナを切って進むと直線で後続を離して迫るナシュアの追撃を受けたが、二の脚を使って1馬身半差で押し切った。勝ち時計もレースレコード・コースレコードがワーラウェイの持つ2:01.4だった当時としては優秀な2:01.8という時計であった。
その後蹄の状態の問題もあって登録のなかったプリークネスSとベルモントSには追加登録せず西海岸に戻り、5月末のウィル・ロジャースS(1マイル)を12馬身差で圧勝した。更に、前年に本馬と同じくカリフォルニア州産馬としてケンタッキーダービーを制したディターミン、前年のサンタアニタHなどを勝ったリジェクティドといった西海岸の古馬トップホースが出走してきた6月のカリフォルニアンS(8.5ハロン)ではゴール前で流しながら世界レコード1:40.4を叩き出して勝ち、7月のウェスターナーS(10ハロン)は大逃げを打ち6馬身差で楽勝した。
この頃、本馬が出走しなかったプリークネスSとベルモントSを制したナシュア陣営から「今のナシュアならスワップスは敵ではない」という宣戦布告が届き、これにスワップス陣営が乗る形で、ワシントンパーク競馬場10ハロンで8月末に10万ドルを賭けたマッチレースが行われることとなった。しかし、叩きとして出走したアメリカンダービー(芝9.5ハロン)こそコースレコードで勝利したものの、右前脚に抱えた裂蹄が悪化したことから本番のマッチレースでは全く力を出せず、ナシュアに6馬身半差を付けられて敗戦した。
この後蹄の治療のために休養入りし、3歳時は9戦8勝だった。唯一の敗戦となったマッチレースの対戦相手であるナシュアがプリークネスS、ベルモントSに加えて古馬相手のジョッキークラブゴールドカップを秋になって勝ったこともあり、年度代表馬・最優秀3歳牡馬はいずれもナシュアが獲得した。
4歳時
4歳時は休養を経て2月のロサンゼルスカウンティフェアH(8.5ハロン)で復帰し勝利すると、続くブロウォードH(1マイル70ヤード)では130ポンド(約59kg)を背負って1:39.6の世界レコードを記録し勝利した。しかし、続くカリフォルニアンSではゴール前で差を広げた際にウィリー・シューメーカー騎手が手綱を緩めたところを差され2着に敗れた。6月のアーゴノートH(1マイル)では立て直し、サイテーションが持つ世界レコードを0.4秒縮める1:33.2という時計をマークして優勝した。
アーゴノートHの2週間後のイングルウッドH(8.5ハロン)以降、本馬は全てのレースで130ポンドを背負うことになった。そのイングルウッドHでは1マイルを1:32.6で通過し、最後の半ハロンも全く止まらず、自身が前年に打ち立てた世界レコードを1.4秒縮める1:39.0というタイムを叩き出して勝利した。更に、アメリカンH(9ハロン)では世界レコード1:46.8と並ぶタイムを当時レコードを記録したヌーアより7ポンド重い斤量で記録して勝ち、ハリウッドゴールドカップ(10ハロン)ではコースレコードを1秒縮め、サンセットH(13ハロン)ではそれまでのレコードを2.4秒縮める2:38.2の世界レコードで勝利と連戦連勝した。
続けてワシントンパーク競馬場に遠征し、アーチ・ウォード記念H(芝8.5ハロン)に出走したが、堅い馬場が合わず7着に敗れた。続くワシントンパークH(1マイル)では前年のケンタッキーダービーで3着に破っており、当時の東海岸でナシュアに次ぐ実力馬とみなされていたサマータンがハイペースで逃げたが、これを2馬身差で交わし、コースレコードを2秒更新して勝利した。
その後、ユナイテッドネイションズHに出走する予定だったが蹄の状態が悪化し、当日に取り消した。仕切り直してその2ヶ月後のワシントンDCインターナショナルを目標にしたがその途上の10月に後脚を故障し、ギプスを装着せざるを得なくなった。苦痛で暴れた際にギプスを壊して生命が危ぶまれたが、ナシュアを管理したサニー・ジム・フィッツシモンズ師の提案で三角巾を使って天井から馬体を吊るすという形を取ることで、馬体を300ポンド(約136kg)も減らしてしまったもののなんとか一命は取り留めた。
この故障が元で当然ながら引退を余儀なくされ、通算成績は25戦19勝となった。4歳時は全米年度代表馬・最優秀ハンデ牡馬を受賞している。世界レコードを4距離・のべ5回塗り替え、しかもそのうち3距離が130ポンド、1マイルの世界レコードを更新したアーゴノートHも128ポンド(約58.1kg)というから只者ではない超快速馬であった。
なお、本馬の調教助手を務めていたアート・シャーマンという人物は後に騎手を経て調教師となり、本馬のケンタッキーダービー制覇から59年を経て同じカリフォルニア州産馬*カリフォルニアクロームで二冠を制するのだが、それはまた別のお話。
種牡馬として
閑話休題、引退後はカリフォルニア州で種牡馬入りしたが、1年目の種付けシーズン終了後に200万ドルでトレードされてケンタッキー州に栄転し、以降は死亡するまでケンタッキー州で供用された。1966年には殿堂入りを果たしている。
種牡馬としては牝馬ながら牡馬顔負けの大活躍を続け親子2代で殿堂入りした名牝アフェクショネイトリー、ケンタッキーダービーとベルモントSを制した*シャトーゲイなどを出し、ステークスウィナー率は8%とそこそこの数字を記録した。
1972年、20歳で死亡。遺体は当初繋養されていたスペンドスリフトファームに埋葬されたが、1986年に改葬され、現在はチャーチルダウンズ競馬場に埋葬されている。
血統表
Khaled 1943 黒鹿毛 |
Hyperion 1930 栗毛 |
Gainsborough | Bayardo |
Rosedrop | |||
Selene | Chaucer | ||
Serenissima | |||
Eclair 1930 鹿毛 |
Ethnarch | The Tetrarch | |
Karenza | |||
Black Ray | Black Jester | ||
Lady Brilliant | |||
Iron Reward 1946 鹿毛 FNo.A4 |
Beau Pere 1927 黒鹿毛 |
Son-in-Law | Dark Ronald |
Mother-in-Law | |||
Cinna | Polymelus | ||
Baroness la Fleche | |||
Iron Maiden 1941 鹿毛 |
War Admiral | Man o'War | |
Brushup | |||
Betty Derr | Sir Gallahad | ||
Uncle's Lassie | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Polymelus 4×5(9.38%)、Dark Ronald 5×5(6.25%)
- 父カーレッドは後世には牝系に入って名を残すことが多く、例えばワイルドアゲイン(BCクラシック)やいずれも日本で優秀な繁殖成績を収めた*アマゾンウォリアー(メジロラモーヌなどの牝系祖先)、*サンデーサイレンスの血統にその名が見られる。
主な産駒
- Affectionately (1960年産 牝 母 Searching 母父 War Admiral)
- *シャトーゲイ (1960年産 牡 母 Banquet Bell 母父 Polynesian)
- No Robbery (1960年産 牡 母 Bimlette 母父 Bimelech)
- Lady Vi-E (1967年産 牝 母 Simona 母父 Princequillo)
- スピリットスワプス (1973年産 牡 母 Candela 母父 The Rabbi)
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関連項目
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