スーダン(Sudan)とは、北アフリカに存在する国家である。
概要
基礎データ | |
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正式名称 | スーダン共和国 Republic of the Sudan جمهورية السودان |
国旗 | ![]() |
国歌 | نحن جند لله جند الوطن 直訳:我らは祖国と神の軍 |
公用語 | アラビア語・英語 |
首都 | ハルツーム |
面積 | 1,886,068 km²(世界第16位) |
人口(’08) | 約3090万人(世界第40位) |
通貨 | スーダン・ポンド(SDG) |
エジプトの南隣に位置しており、かつてはアフリカ大陸で最大の面積をもつ国だったが、南スーダンの独立に伴い現在は3番目となっている。
現在でも内戦・紛争が絶えず、大量虐殺が行われていると言われている。2005年の時点での国民の平均年齢は19.5歳(日本は43.1歳)。
スーダンはエジプトをはじめ7カ国と国境を接しており、ナイル川や紅海に面している。また石油資源も豊富なため、経済・情勢の安定を求めている国はアジア・ヨーロッパにも多い。しかし、50年にもわたる戦争は戦争依存経済を作り上げており、平和的な社会に戻すのにはさらに年月を必要とするだろう。
歴史
独立以前はイギリスの支配下にあり、南北で分割して統治されていた。これが独立後、南北内戦の火種となる。
1956年の独立当初から北部に住むイスラム教徒のアラブ系民族と南部に住むそれ以外の民族との戦闘が始まる。間に5年ほどの停戦期間があったが、政府がイスラム法を導入した事で対立が再燃。この南北内戦は、2002年にようやく休戦協定が結ばれるまでずっと内戦が続いていた。
その後2005年に和平合意が成立、南部スーダンに自治権が与えられた。2008年には南北の境界を巡って正規軍が衝突する事件が発生する(アビエイ問題)などしたものの、2011年1月にスーダン南部の自治政府による独立の是非を問う住民投票が実施され、独立賛成票が多数を占めた。2月には最終的な投票結果が確定し、スーダン政府与党は正式に南部の独立を承認。2011年7月9日、南部スーダンは「南スーダン共和国」として正式に分離独立した。
しかし一方で西部のダルフール3州では、スーダン政府とスーダンに石油利権を持つ中国によって支援されているアラブ系民兵組織ジャンジャウィードを中心として、現在も紛争・虐殺が続いている。2003年、これに反発して反政府武装組織「正義と平等運動」「スーダン解放運動/軍」が蜂起、ダルフール紛争とよばれるこの内戦は本格化。ジャンジャウィードによる民族浄化もエスカレートし、これまでに7万人以上の犠牲者と数百万人の難民が発生している。
この二つの内戦をあわせて、独立当初(1956年)から数えると約200万人が死亡したと言われており、第二次世界大戦以降でもっとも死者の多い戦争とされる。長らく国連軍派遣を中国の拒否権によって妨害されてきたが、北京オリンピックを境に姿勢を軟化。日本も南北内戦解決の為に国際平和協力隊を送っている。
2019年に、長期にわたって政権を握ってきたオマル・バシル大統領が失脚し、以降は民主化指導者と軍指導者が合意に基づき共同統治を行っていたが、2021年10月にアブドゥル・ファッターハ・ブルハーン将軍が率いる軍が緊急事態を宣言して文民による政権を解散するなど、政情は安定していない。[1]
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関連項目
脚注
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