88年、菊花賞。
もしもその馬が、その男に出会わなかったら。
もしもその男が、その馬に出会わなかったら。本当の出会いなど、一生に何度あるだろう?
スーパークリークとは、日本の元競走馬・種牡馬である。1985年生、2010年没。
1987年デビュー、90年引退。オグリキャップ・イナリワンと平成三強を形成した近代型ステイヤーで、三強の内唯一の中央デビュー馬であった。
主な勝ち鞍
1988年:菊花賞 (GI)
1989年:天皇賞(秋) (GI)、京都大賞典(GII)
1990年:天皇賞(春) (GI)、産経大阪杯(GII)、 京都大賞典(GII)
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この記事では実在の競走馬について記述しています。 この馬を元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクターについては 「スーパークリーク(ウマ娘)」を参照してください。 |
概要
父は障害でも勝ち鞍があり、重賞勝利は全て2400m以上のもので、32戦して2着14回という詰め甘タイプのノーアテンション、母ナイスデイ、母の父はグリーングラスの父インターメゾという、スピードもクソもなさそうなスタミナお化け血統であった。これは牧場の方針で「菊花賞と天皇賞(春)を取れるステイヤーを作りたい」ということで、懇意にしていた岡田繁幸と考案したコッテコテのステイヤー狙いの配合なのである。なお、父方の曾祖父はイギリスクラシック三冠を制したニジンスキーであり、全くスピード要素が無い訳ではない。
当時はスピード競馬へと移行する最中であり、あまりにも時代を逆行していると思われたが、後に管理することになる伊藤修司調教師は幼駒時代の彼の動きを見て「これはいい馬だ」と思ったとか。左前脚が外向してる欠点を差し引いてもいい馬という評価ではあったが、外向や重たい血統が嫌われセリでなかなか売れず、なんとか牧場長懇意の馬主に売れたが、希望価格の800万に10万積んだだけの810万という安値であった。そのためか、命名も馬主がゴルフやってる時にたまたまクリーク(5番ウッド)を持っていたから「クリークって名付けるわ」と、半ば投げやり気味の命名であった。さすがにクリークだけじゃカッコつかないためスーパーを足すことになりスーパークリークとなったという。
(「今は小川(Creek)でも大河になってほしい」という由来もあるが真相はどちらなのか……)
デビュー、天才との巡り会い
逆指名。
僅かデビュー2年目の秋のことです。菊花賞をどの馬で行くか迷ってた。
結局1頭ずつ見てまわることにして、最後がスーパークリークだったんです。
無意識のうちに最後まで残しておきたかったんでしょうね。
あの時僕が行ったら、袖を加えてぐいぐいと何度も引っ張るんです。
「どこへ行くんだ。もうほかに見る馬はいないんだろう。
自分と一緒にいればいいじゃないかって」。そんな感じでした。
向こうのほうが、一足先に僕を乗せることに決めてたようです。
ともかく僕の初めてのGIタイトルは、スーパークリークがもたらしてくれた。
結局、いい時も悪い時もふくめて12回くらい乗ったかな…、
オグリキャップ、イナリワンとの3強対決の第100回天皇賞・秋も、
スーパークリークで勝ってますしね、
そういう意味じゃこの馬がいちばんの相棒といえるかもしれませんね。
とまあ、期待感はあんまりない馬であったのだが、いざ乗ってみるとスゴイいい動きをするので、デビュー後は評判となっていった。勝ち上がりに2戦を要したが、その後重賞でも好走し、4歳春のすみれステークスを勝つとクラシックの秘密兵器か!? となったが、ダービートライアルの青葉賞前に骨折で離脱となった。幸いにも軽度の骨折だったので、菊花賞戦線には間に合った。
しかし、復帰戦の神戸新聞杯で3着に敗れ賞金を積めず、菊花賞出走をかけて臨んだ京都新聞杯では斜行の煽りを食って6着に敗れてしまう。これにはすみれステークス以来の主戦武豊も大激怒したが、詮なきこと。出走順19位のスーパークリークには菊花賞出走の道は絶たれた……、
かに見えたが、岡田繁幸率いるラフィアンのマイネルフリッセがクリークに遠慮して回避、さらに当時菊花賞の有力前哨戦であった嵐山ステークスを勝利し、期待されていたハードバージ産駒センシュオーカンがまさかの負傷で急遽回避し、なんとか出走。
レースでは中団から4角まくりを決行すると後続をグングン突き放し5馬身ぶっちぎって圧勝。除外すら辞さない覚悟でクリークを信じた武豊に最年少での初GI、初クラシック制覇をプレゼントしてみせた。ちなみに、2着のガクエンツービートも出走順19位タイで回避がなければ出走ができない所であった。この二頭がいなかったら、どんな弱い菊花賞馬が生まれてしまったのか……。たらればになってしまうが、無事にセンシュオーカンが出走して見事勝ち、労役馬として酷使され散った父の無念を晴らすシナリオも、それなりに魅力があったと思うが……。実際に実現した、除外覚悟で彼を信じた若き天才・武豊最年少クラシック勝利の方がやっぱり絵になるかもしれない。
その後、有馬記念で公営笠松からやってきた怪物・同い年のオグリキャップと初めて対戦したがやらかして3位入線失格と、タマモクロスを抑えてついにGIを勝ったオグリの添え物にもなれなかった。若いころの武は存外荒っぽいのだ。メジロマックイーンのアレもそういう時代の若気の至りと言うべき事象なのかもしれない。
古馬、伝説の怪物・お祭り男との戦い
翌年の春は後脚の筋肉痛が長引き結局全休。ついでにオグリキャップも軽度の負傷と馬主交代があって春全休。主役不在になるかと危惧された平成元年の古馬路線を救ったのは、大井からやってきてすぐに天皇賞春と宝塚記念を制した1歳上のイナリワンだった。スーパークリークは秋に復帰すると、京都大賞典をレコードで快勝し、この年が記念すべき第100回目となる天皇賞(秋)へ。一番人気はもちろんオグリだったが、クリークも二番人気に推されていた。
そしてレースは、三番手から早め先頭に立つと馬群を割るのに手間取ったオグリの猛追をクビ差だけ残し凌ぎ切りGI2勝目を挙げる。しかし、ジャパンカップではイブンベイの超絶ハイペース逃げで時計勝負に持ち込まれたせいかオグリとホーリックスの叩き合いに加われず、挙句ペイザバトラーに差され4着に終わる。
有馬記念では早めに先頭に立ったオグリを競り潰し先頭に立つが、秋二戦は雌伏していたイナリワンの追い込みの前にハナ差敗れ2着。ステイヤーとしての完成度の狙いすぎたツケか、キレや時計勝負で劣る部分が目立ってしまっていた感はある1989年秋であった。
しかし翌年春、大阪杯から始動した彼は「じゃあ切れ味勝負なんてしない」とばかりに半ば逃げるように先行し、同型のオサイチジョージを圧倒。
そして春の天皇賞。生産者が菊とここに照準を合わせて創った血統の集大成、それを見せる舞台。ここで他馬に負けるわけもなくイナリワンの追い込みを半馬身退け勝利。
次走を宝塚記念に設定。オグリをもう一回中距離で潰し、その上での凱旋門賞遠征を想定していたが、またも筋肉痛で回避、プランも白紙になった。
秋は京都大賞典を連覇し、秋の天皇賞連覇を期待されたが繋靭帯炎を発症し引退となった。
引退後
その後、平成三強の一角として大いに期待され、15億円のシンジケートが組まれ種牡馬入りした。
……まあ、こんなスタミナしかない血統じゃ種牡馬は辛く、失敗と言わざるを得ない結果に終わった。ステイヤー血脈ならば牝系に残ってよしと思われたが、残念ながら母の父としての唯一の重賞馬ブルーショットガンの母オギブルービーナスを通じた流れしか残っていない。サンデーサイレンスら平成になってからやって来た種牡馬が産みだした馬たちのスピードはそれだけ桁外れだったということの証拠である。
種牡馬引退後は功労馬として暮らしていたが、ライバルのオグリが2010年の7月に亡くなると後を追うように同年8月、体調を崩し死去。享年25歳。
幼い頃から泰然自若とした気性で、長じてからも気難しい面は出さず「こんなおとなしい種馬見たことないなあ」と言われるくらいの馬であった。故に、引っかかったりすることは一切なく、豊富なスタミナを生かした先行粘りこみという理想的競馬で安定感溢れる走りを見せ、中央デビュー馬で唯一オグリとイナリのライバルとして存立し得た。スピードも彼自身はそれなりに持ち合わせており、2000mのGIや重賞でも結果は残したため、いわゆるスピードもある近代型ステイヤーの走りとも言われる。
そんな彼の血を引く継ぐ馬は、もうおそらく大舞台では見ることは叶わないであろう。残念ではあるが、これも競馬というものである。
余談ではあるが、顔がデカい ことでも有名であった。それこそビワハヤヒデのように。
まあ、どうでもいいことではあるんだが、書かないと締まらない気がして……。
血統表
*ノーアテンション 1978 鹿毛 |
Green Dancer 1972 鹿毛 |
Nijinsky II | Northern Dancer |
Flaming Page | |||
Green Valley | Val de Loir | ||
Sly Pola | |||
No No Nanette 1973 芦毛 |
Sovereign Path | Grey Sovereign | |
Mountain Path | |||
Nuclea | Orsini | ||
Nixe | |||
ナイスデイ 1979 鹿毛 FNo.1-l |
*インターメゾ 1966 黒鹿毛 |
Hornbeam | Hyperion |
Thicket | |||
Plaza | Persian Gulf | ||
Wild Success | |||
サチノヒメ 1957 黒鹿毛 |
Sayajirao | Nearco | |
Rosy Legend | |||
*セントマキシム | Rockefella | ||
Sou'wester | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Hyperion 4×5(9.38%)、Nasrullah5×5(6.25%)
- 父*ノーアテンションは現役時代33戦6勝2着14回でオイロパ賞(GI)やドーヴィル大賞(GII)2着などがある。ちなみにドーヴィル大賞2着時の勝ち馬は同じく現役時代はイマイチ勝ちきれなかった*リアルシャダイだった。種牡馬としては本馬以外に一流馬は出せていない一発屋気味の成績に終わったが、本馬以外では数少ない中央重賞の勝ち馬であるテンジンショウグンが日経賞を制した際に20万馬券を出しており、本大百科でも記事になっている。また母父としてはダイワテキサスなどを出してそこそこ成功している。
- 母母父のサヤラジオは英ダービー勝ちなど9戦8勝の成績を残した名馬ダンテの全弟で、自身も愛ダービーや英セントレジャーを制した一流馬。直仔の*インディアナが日本に輸入されてタケホープなどを出したが、スタミナ自慢が祟ってか日本では後継種牡馬を残せずに終わっており、全体でも南米で父系がかろうじて残っている程度である。
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関連項目
外部リンク
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