スーパージョッキーとは、1983年~1999年に日本テレビ系列で毎週日曜13時に放送されたビートたけし司会のバラエティ番組である。
番組タイトルロゴでは「スーパーJOCKEY」と表記されているが、Wikipediaでの表記に倣い当記事でも「スーパージョッキー」と表記する。
概要
前史
前身番組は1971年~1982年に放送された「TVジョッキー」。当時文化放送の人気アナウンサーからフリーに転じたばかりの土居まさるを司会に据え、「奇人変人コーナー」「ザ・チャレンジ」といった一般視聴者参加のキワモノ芸やネタ見せコーナーと人気歌手の歌披露コーナーの2つが人気となり、すでにこの頃から日本テレビ日曜昼の名物番組として人気を博した。
しかし、放送時間の前倒しや土居まさるから松崎しげるに司会が変更された1982年4月以降から番組人気に陰りが見えるようになる。そこで当時まだ漫才ブームで頭角を現したばかりのビートたけし司会の新番組へとリニューアルされたのが「スーパージョッキー」である。
1980年代(昭和期)
番組開始当初は一般参加者参加型コーナーを引き継いだが、すぐに番組内容を変更。ビートたけしの弟子集団であるたけし軍団を中心としたお笑い芸人達による体当たりリアクション芸コーナーの「THEガンバルマン」と一般視聴者からの質問ハガキにその回のゲストが答える「書きゃいいってもんじゃないんだよコーナー」、そして「TVジョッキー」時代からの名残として番組ゲスト歌手による歌コーナーが主な番組の柱コーナーとなる。
この時代はリアクション芸というテレビ的な笑いの「THEガンバルマン」のコーナーを除き、全体的にラジオ番組に近い雰囲気のテレビ番組という特徴があった。「書きゃいいってもんじゃないんだよコーナー」では同時期にビートたけしがパーソナリティを務めていた「ビートたけしのオールナイトニッポン」(ニッポン放送)のハガキ職人が頻繁にネタ質問ハガキを送り採用されていたこともあり、非常にくだらない質問をぶつけられて困惑するゲストのリアクションも見ものとなっていた。
1986年12月に発生したフライデー襲撃事件の責任を取る形でビートたけしと襲撃に参加したたけし軍団メンバーが芸能活動を自粛した際、山田邦子や所ジョージが番組司会を代行している。
1990年代(平成期)
元号が昭和から平成へ改元された1989年、スーパージョッキーにも大きな変化が訪れる。
元々は「THEガンバルマン」の中の不定期企画として放送されていた「熱湯風呂」を手直しし独立コーナー化された「熱湯コマーシャル」が登場。この企画では、熱さで思わず顔が歪む入浴者の可笑しみ、時にはポロリまであるハプニング性、たけし軍団やダチョウ倶楽部らが自然発生的に見せる集団コントのカオスは空気などが受け、番組後半の名物コーナーに成長する。かつてのラジオ番組的な雰囲気は鳴りを潜め、日曜の昼下がりとしては非常に過激な笑いを追求するバラエティ番組へと脱皮した。
しかし、エロと下品さを嫌うPTAや良識派からはかつてよりクレームが多く寄せられる番組となった。
なお、「THEガンバルマン」とゲストの歌コーナーに関してはそのまま継続している。
1994年8月にビートたけしが起こし重症を負ったバイク事故で長期入院する事態となった際は総合司会をおかず、たけし軍団のガダルカナル・タカが実質的代行司会を行い、当時アシスタントとして番組に参加していた細川ふみえもサブ司会的役回りでサポートする形を取った。
終焉
昭和から平成にかけて長らく人気番組となっていたが、番組企画のマンネリ化やテレビ番組の倫理自主規制強化等の波には逆らえず1999年3月をもって16年3ヶ月の歴史に幕を閉じた。この番組の終了を期に日本テレビ系列日曜13時台は全国ネット枠からローカル枠へ降格し、系列局各局は独自に番組を編成する枠となった。2003年より関西ローカル番組として始まった「たかじんのそこまで言って委員会(現:そこまで言って委員会NP)」(読売テレビ)が2000年代後半以降日本テレビなどを除く多くの日本テレビ系列局でネット受けするようになり現在に至っている。
ちなみに、ビートたけしやたけし軍団らなどの口から「スーパージョッキーが打ち切りになったのは、当時日本テレビの社長が日本民間放送連盟の会長に就任した際に放送番組の風紀向上を謳ったところ『だったらお宅のところのスーパージョッキーを辞めろ!』という意見が湧き上がり辞めざるを得なくなったからだ」という笑い話が出ることがあるが、実際の真偽の程は不明である。
補足
- 番組開始当初は毎週生放送だったが、途中から生放送と撮って出し(生放送風収録)を続けて行う隔週生放送となった。
- 歌コーナーに関しては「ザ・トップテン」などに携わった当時の日本テレビ歌番組スタッフが深く関与している。1990年代前半にゴールデンタイムの歌番組が消滅した時代でもこの番組の歌コーナーが存続していたため、現在では日本テレビの映像アーカイブスとしてこのコーナーの映像が懐メロ番組等で利用される機会が多い。
- 「スーパージョッキー」の放送期間中、ビートたけしが「27時間テレビ」(フジテレビ)のメイン司会を務めたり裏の時間帯で「BIG3コーナー」を行った年にはこの時間帯のみフジテレビを抜けて日本テレビに出演する措置が取られていた。この時間差を利用し、1992年の27時間テレビでは日本テレビからフジテレビに戻ったたけしの車に明石家さんまがブロックをぶつける…つもりがたけしが助六姿で悠々と自転車で現れてそのままさんまの車に衝突するという、「27時間テレビ」史上最も有名な爆笑エピソードが生まれている。
関連動画
関連静画
関連項目
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