「ズンドコ節」とは、日本の愛唱歌である。作詞者・作曲者ともに不詳。
勘違いされやすいが正確に言えば軍歌ではない。
概要
原曲は戦時中に各地でこっそり流行した「海軍小唄」という戦時歌謡である。
お国のために戦うという使命と、家族・恋人への郷愁・哀愁との葛藤を、戦地に赴いた若者の視点から歌っている。
所謂国威高揚の為のプロパガンダではなく、「死なずに帰ってきて欲しい」という想いから作られた歌であり、正確には軍歌ではない。
作詞曲者が不明ということで著作権的にパブリックドメイン状態らしく、戦後は多数のカバーが発売されて全国的に広まった。
海軍小唄
原曲である。作詞・曲が不明であり、どこで誰が歌い始めたものかは全く分からない。タイトルも「ズンドコ節」ではない。
テンポはかなりスローで、カバー曲の音頭のようなリズミカルなものではなくかなり重苦しい。
この曲のテーマも歌われた時勢にも、明るい・調子の良い曲にはそぐわないので至極当然である。
サビは「トコズンドコ ズンドコ」。
ズンドコ節(街の伊達男)
タイトルが「ズンドコ節」として一番最初にヒットしたカバーはこちら。
当時最先端のブギのリズムで伊達男(今で言うイケメンリア充)の恋物語に置き換えた歌詞になっている。
サビは「トコズンドコ ズンドコ」。
アキラのズンドコ節
(当時としては)アップテンポなジャズブラスバンドに合わせて大人の恋を描いたラブソングになっている。
全体的なメロディラインは原曲とはかなり違っていて、原曲の雰囲気は薄めである。
サビは「ズン ズン ズンドコ ズン ズン ズンドコ」。
ドリフのズンドコ節
歌は昭和を代表するコミックバンド&コントグループ、ザ・ドリフターズ。
洋楽のリズムを取り入れたファンキーなアレンジが為され、テンポもよりいっそうノリノリ(死語)なものになった。
歌詞は小林旭のものと同じく恋物語だが、こちらは庶民的・甘酸っぱい・情けない、身近な恋物語になっている。
1969年に発売されたレコードでは第4位、60万枚を超える大ヒットを記録し、レコード大賞大衆賞を受賞。
サビは「ズンズンズンズンズンズンドコ ズンズンズンズンズンズンドコ」。
この曲が与えた影響は凄まじく、今でもズンドコ節のカバーといえばファンキーなドリフか原曲に近い小林旭に二分されている。また、最近ではフランスで活躍する歌手(?)レ・ロマネスクが、オーディション番組でドリフのズンドコ節をカバーした歌を振り付きで披露し、激しいブーイングを受けるも次第に客がノリ始めて司会者共々踊り出すという何だか良く分からない結果を残す。その動画がフランスのYouTubeで第1位の再生数を叩き出すなど、ドリフの振り付けと意味不明なノリの良さは世界に通用するという事が判明した。あとサビの部分をORANGE RANGEがパクったけどそれはどうでもいい。
零心会のズンドコ節
1986~1987年に放送されたテレビドラマ『ザ・ハングマンⅤ』のED曲。歌は零心会。
零心会とは1983年に解散した「劇男零心会」から出来たグループの一つ(もう一つは劇男一世風靡(一世風靡セピアの母体))で、結成当時も「劇男零心会」を名乗っていた。
アレンジは80年代当時のデジタルサウンドと言った方がふさわしく、上記のどれにも当てはまらない。
歌詞は猫(1番)、犬(2番)、金魚(3番)が人間世界の出来事を皮肉っているという内容で、ハングマンシリーズ(というかあの手のドラマ)に上手くマッチしていた。
サビは「ズンズン ズンズン ズンズンドコ ズンズン ズンズン ズンズンドコ」。
EDでは、零心会のメンバーが旧帝国海軍の制服を着て、手旗信号を振りながら踊っていた。
きよしのズンドコ節
アレンジは完全に演歌でテンポも抑え目。メロディはアキラのズンドコ節がベースである。
オリコンで週間5位を記録、演歌では異例の大ヒットを飛ばし、紅白歌合戦のトリでもこの曲を歌唱した。
サビは「ズン ズンズン ズンドコ ズン ズンズン ズンドコ」。
また、西武ライオンズの細川亨捕手の入場曲に採用されて、西武ドームでは打席に立つ度に大合唱がわき起こる。
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