セイウンスカイとは、1995年生まれの日本の競走馬。芦毛の牡馬。
日本競馬史でも珍しい群雄割拠世代・1998年クラシック世代において、皐月賞と菊花賞を制した二冠馬である。人呼んで「芦毛の逃亡者」「稲妻」。
メジロライアンで散々悔しい思いをしてきた横山典弘に最初の3歳クラシックをプレゼントした馬でもある。
主な勝ち鞍
1998年:皐月賞(GI)、菊花賞(GI)、京都大賞典(GII)
1999年:日経賞(GII)、札幌記念(GII)
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この記事では実在の競走馬について記述しています。 この馬を元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するウマ娘については 「セイウンスカイ(ウマ娘)」を参照して下さい。 |
概要
※本稿ではセイウンスカイの現役当時に合わせ、馬齢は2000年まで旧表記(現表記+1歳)、2001年以降は現表記で記述します※
くすんだ血統の仔
父シェリフズスター 母シスターミル 母父ミルジョージという血統。
父は現在でこそ「セイウンスカイの父」としてのみ有名だが、当時の競馬ファンは「いや誰だよ?」となった人ばかりであった。コロネーションカップと仏サンクルー大賞の2つのGIを制覇した英国産馬で、日本のオーナーブリーダー・西山牧場に購入され種牡馬となったものの、産駒達はちっとも走らず、牧場の経営再編に伴って用途変更されてしまったのである。
母シスターミルは未出走。母父ミルジョージは輸入種牡馬であり、日本の地方競馬で活躍馬を多数送りだし、没後2007年にはNRAグランプリ特別表彰馬に選ばれている。
遺されたシェリフズスター産駒は在庫処分価格で叩き売られ、西山牧場に残ったのは3頭だけ。そのうちの一頭がセイウンスカイであった。なお、当初の馬主登録は牧場創業者である西山正行名義だったが、正行氏の健康問題の都合(後述)からか、後に「西山牧場」名義に変更されている。
廃用になった種牡馬の仔である。期待なんぞされている筈も無い。当初セイウンスカイを引き取る予定だった調教師は約束を反故にし、結局担当となったのは、引退する父・保田隆芳の厩舎を引き継いだ新人調教師・保田一隆だった。保田師は入厩馬を探して父の代から付き合いのある西山牧場を訪ねてきたのだが、その時牧場にいた2歳馬はたった4頭だけで、「これだ!」と思える馬もいなかった。最終的に保田師は、入厩馬のバランス上牡馬が欲しかったこと、そしてシンボリ牧場由来の良質な母系を期待して、見栄えの悪いセイウンスカイを選んだ。
だが、セイウンスカイは3歳の秋になると馬体が見違えるようになり、調教を担当した青柳義博調教助手も「背中が良い」「これは走る」と思うようになっていった。
1998年:4歳
1月。徳吉考士を鞍上に迎えた新馬戦は6馬身差で圧勝。セイウンスカイは一躍競馬ファンにその名を轟かせる。
続くジュニアカップ(OP)でも5馬身差で逃げ切り勝ちを収め、「クラシックの有力候補!」と呼ばれるようになっていった。
だが、このジュニアカップではゲートイン時にスターターにステッキで小突かれる一幕があった。元々セイウンスカイはゲートインを渋る癖があったのだが、これ以降、それが徐々に悪化していくのである。更にレース後はソエを発症していた。
初重賞挑戦の弥生賞(GIII)では、以降のクラシック戦線を通じたライバルとなるキングヘイローとスペシャルウィーク、2頭の優駿と初対戦。結果はスペシャル-スカイ-キングの3強決着となり、初の敗戦を喫した。
皐月賞
西山正行の方針から西山茂行の時代への過渡期でした。
その整理している馬たちの中でセイウンスカイが出ました。
血統の説明はできません。
ただはっきりと言えることは西山正行の(数打ちやいつか当たるんだ。)と言う理論が西山正行の最後の最後に、当たりました。
セイウンスカイと言う馬は、競馬の世界に金と心血を注いできた西山正行を死ぬ直前に、最後の最後にクラシック皐月賞の表彰台に上げるためだけに生まれてきた馬でした。
それ以外に説明ができません。―西山茂行・2023/8/16のブログ
「セイウンスカイ13回忌」より
ここで正行氏のせがれ・西山茂行らが鞍上の変更を要請した。一度の敗戦、しかも2着で……という、徳吉騎手にとってはあまりに厳しい要請であったが、西山牧場サイドにも絶対に負けられない事情があった。正行氏が患っているパーキンソン病が深刻化していたのだ。
当時、牧場の実務は茂行氏が担っていたのだが、正行氏の病気はどんどん進行し、介助無しでは歩けないまでになっていた。競馬場への口取り式出席すら危うくなってきていたのである。特に牡馬クラシック競走の制覇は、事実上セイウンスカイが最後のチャンスと言ってもよかった。少しでも上手い騎手に依頼したくなるのも当然の話だったのである。
保田師は徳吉騎手に、オーナー側の事情をじっくり説明し、降板を説得する。後任となったのは、この年デビュー12年目、「ノリ」こと横山典弘だった。開業間もない保田厩舎の主戦騎手となってくれる人材として白羽の矢が立ったのである。セイウンスカイに一跨りした横山騎手はその手ごたえにご機嫌になり、取材陣に「いつも武豊じゃぁ面白くないでしょう」と不敵に笑ったそうだ。これ以降、横山騎手はセイウンスカイの全戦を担当することになる。
横山騎手の言葉通り、皐月賞(GI)では4コーナー先頭からまったく衰えない脚を繰り出して先頭に躍り出ると、猛追するキングヘイローとスペシャルウィークを完封して優勝した。横山騎手と西山牧場にとっては牡馬クラシックGIの初勝利であり、保田厩舎にとってもGI初勝利となる、大変めでたい一戦となった。
ダービーから菊花賞まで
続くは当然、東京優駿(GI)。何しろ父は良く分からないが欧州血統。母の父がミルジョージだし、距離延長は望むところ。横山騎手も皐月賞で指を一本立てたように、この時点では三冠まで意識していたらしい。
しかしレース本番は、キングヘイロー鞍上の鞭が当たるというアクシデントでやや掛ってしまい(ちなみに当のキング鞍上の福永祐一はこの時、前日からのプレッシャーで頭が真っ白になっていた)、4コーナーで先頭には立ったものの、スペシャルウィークの強襲、そして鞭を落としてまで追い捲った武豊騎手の執念の前に完敗。4着。三冠の夢は破れた。
秋初戦は京都大賞典(GII)に。なぜ当時のステップレースである京都新聞杯に出なかったのかというと、スペシャルウィークとの対決を避けたわけではなく、生来ゲートを苦手としているセイウンスカイが万一ここでゲート再審査になる失態をやらかしてしまうと、日程的に菊花賞への道が閉ざされてしまうためである。
ここには春の天皇賞に勝っていた、古馬の王者(長距離限定)メジロブライトが出走してきていた。他にもシルクジャスティス、ローゼンカバリー、ステイゴールドといった強豪が揃い、流石にここは相手が強いか……と、思われたのだが。
セイウンスカイと横山騎手は「大逃げして、引き付けて、直線前にまた離す」という芸術的なレースっぷりで、メジロブライトらを完封。ブライトは狙い通りの物凄い末脚を発揮しており、あれで何で交わせないのかとブライトファンは唖然とした。
ちなみに同日、東の東京競馬場では史上最高のGIIと名高い「サイレンススズカの毎日王冠」が開催されていた。GI開催がないにも関わらず東西共に豪華なメンバーを揃え、どちらも逃げ馬が押し切るという中央競馬史上でも珍しい事態に当日現地に訪れていたファンは熱狂した。
菊花賞
最高の予行練習を演じて菊花賞(GI)。しかしスペシャルウィークも京都新聞杯を楽勝してきており、一番人気はスペシャルに譲った。
だが京都大賞典に引き続き、セイウンスカイはファンの脳裏に焼き付いて離れない、華麗に、かつ凄まじい逃亡劇を見せるのである。
スタートするとセイウンスカイは一気に行った。なんと3000mのレースなのに1000mを一分切るハイペースで入っていったのである。見守るファンはどよめいた。いくらなんでもオーバーペースなんではないのか? キングヘイロー(というかユーイチ)の暴走ダービーが頭を過ぎる。ハイペースを感じた武・スペシャルウィーク以下の有力馬は控えた。かっ飛んでいったセイウンスカイは一人旅で向こう正面へ。
…ん?なんかおかしいな?とファンが気が付いたのは第3コーナー手前である。なんかセイウンスカイの手ごたえがえらくユルユルだったのだ。それもその筈、セイウンスカイの1000~2000mのペースは64秒3。超スローに落としていたのである。しかしハイペースだと思い込んでいた後続馬は差を詰めてこない。セイウンスカイは一息も二息も入れることに成功していたのだった。
つまり、この時点でスペシャルウィーク以下ライバル各馬はセイウンスカイの術中にずっぽり嵌っていたのである。
残り1000mで一気にペースを上げたセイウンスカイ。スペシャル以下の後続馬も手綱をしごいて必死に追走するが、セイウンスカイは更にスピードを上げる。直線に入っても差は詰まらない。詰まる筈が無い。必死に追い込んできたスペシャル以下の壮絶な2着争いを尻目に、ただ一頭次元の違うレースを展開してセイウンスカイは悠々ゴール。このレースを実況した杉本清の「逃げた、逃げた、逃げた」は名フレーズの一つとして知られている。
菊花賞を逃げ切った馬は実に38年ぶり。タイムはレースどころか芝3000mの世界レコード。最強世代と呼ばれたクラシックでダービーこそ逃しはしたが2冠を達成したのである。
「レースに勝つには、レースを支配すればいいのだ。こういう風に」
折しも日本競馬界は「溜めたら溜めただけ最後に伸びる」サンデーサイレンス産駒に席巻され、「スローで進んで直線ヨーイドン」の競馬が常態化しつつあった。変貌する時代を見せられていた競馬ファンは、セイウンスカイがそう言っているような気がしたものである。そしてファンは、前週に夭逝したサイレンススズカ(彼もSS産駒だったが)に続く、圧倒的な強さを持つ逃げ馬の誕生に熱狂した。
しかし、一番人気に推された有馬記念(GI)では、いつものようにゲートインを渋った後、いつも通り逃げたのだが、4コーナーを回ったあたりで馬群に捕まり、2着から3馬身ほど離された4着に終わった。
1999年:5歳
年が明け、初戦は3月の日経賞(GII)。2着セイウンエリアに5馬身差で完勝する。
……ん?同じ西山の馬?もしかしてこいつは……? となった貴方は勘がいい。シェリフズスター産駒ワンツーフィニッシュである。所詮ファン目線の勝手な話ではあるが、つくづく廃用が惜しまれる。
なお、この日経賞の口取り式が、正行氏が参加した最後の口取り式となった。
5月の天皇賞(春)(GI)では、AJCCと阪神大賞典を連勝してきたスペシャルウィークに続く2番人気で出走。しかし、スペシャルと前年覇者メジロブライトに並ぶ間もなく交わされ、3着に敗れる。
休養を挟み、8月の札幌記念(GII)で再始動。ここでは「馬の行くまま」に走らせることにした横山騎手の方針がハマったのか、後方待機→3角まくり→同期の二冠牝馬ファレノプシスを抑えて差し切り勝ち。えーっ!?
これは馬の成長か? ファンは驚き、そして復活を確信した。10月末の天皇賞(秋)(GI)ではスペシャルウィークを筆頭に、ツルマルツヨシ、エアジハードあとキングヘイローとサクラナミキオーといった強力な同期組やメジロブライトを抑え、堂々の一番人気に推される。
しかし本場馬入場時にダイワテキサスと接触したことで気持ちが切れたのか、ゲートインを嫌がり、5分くらいごね続けた。結果、5着惜敗。
厩舎側と発走委員の間でゲートインの責任の所在で揉めに揉めた後、セイウンスカイは1ヶ月の出走停止処分を食らう。だが、そんなことはもはや些細な問題となってしまう。セイウンスカイは屈腱炎を発症してしまったのである。
西山正行はセイウンスカイの古馬の秋の天皇賞の時はもう病床で東京競馬場には行けず西山茂行が行っていました。
1番人気でしたが5着。
セイウンスカイは『なんだ、西山正行のじいちゃんもう競馬場来れないのか、俺の役目は終わったな。』
そう思ったのか屈腱炎を発症。
競走馬としては終わりました。(西山茂行、お前が天皇賞の表彰台に上がるのはまだ早いよ。)
そうも思ったのかな。―西山茂行・2023/8/16のブログ
「セイウンスカイ13回忌」より
2001年:2回目の6歳
病名とここまでの戦績を考えれば、引退もやむなしと言えた。しかし陣営は現役続行を選択する。復帰は延びに延び、新世紀を迎えた後、2001年の天皇賞(春)となった。
なお、JRAはこの年から馬齢表記を従来の数えから満表記に変更し、現役馬の年齢表記も1歳引き下げられた。なのでセイウンスカイは旧表記だと7歳になる。
あんなに強かったセイウンスカイはどこへ……??? と、ファンは頭の中を?マークで一杯にし、悲しみに暮れていた。問題だったのは、ファンの頭の中に、菊花賞でスペシャルウィークに影をも踏ませず逃げ切った、セイウンスカイの勇姿がこびりついていたことであった。もしもあんなレースをまたされたら誰も敵わない。そう思うと、どうしてもセイウンスカイを馬券で切れなくなってしまうのである。
もう6歳(7歳)。ライバルだったスペシャルウィークも既にいない。後輩の「世紀末覇王」テイエムオペラオーやそのライバル・メイショウドトウがいるここでは、いくらなんでも故障休養明け、一年半ぶりのセイウンスカイは苦しい。
そう思っているのに。そう分かっているのに。切れない。同じ京都のコースであの完璧な逃げ切り勝ちを見せつけたセイウンスカイの姿がちらついて、どうしても切れない…。結局、セイウンスカイは6番人気に支持された。
結果は逃げたものの、3コーナーで捕まったあとは失速し、大差の最下位入線だった。ああ、やっぱりな……というムードが京都競馬場に漂う一方、へろへろでゴールしたセイウンスカイを見て涙が出そうになったファンも多かったはずだ。
結局、このレースで引退。GIは4歳期の皐月賞と菊花賞しか勝てなかったが、掲示板を外したのはラストランだけという堅実な走りを見せ、シェリフズスターの名誉を少なからず回復させたのであった。
競走馬としての総評
同時期に活躍したサイレンススズカのように圧倒的なスピードで飛ばすタイプでも、他馬をねじ伏せるようなミホノブルボンのようなタイプでもない。緩急を操って他馬を翻弄するという玄人好みの逃げ馬であった。故に大崩はしなかったが、実力馬に徹底マークされると脆さも見せた。特に最大のライバル、スペシャルウィークの末脚はやはり脅威だった。
古馬になってからはゲート難に悩まされた。出遅れるのではなく、ゲートに入るのを極端に嫌がったのである。これがなければもう少し古馬G1でも活躍出来たんではないかと思うと残念である。
GI2勝。どちらも格式の高いクラシックではあるが、古馬GIでは惜敗・惨敗を繰り返した。故に戦績面では、どうしてもダービー馬スペシャルウィーク、外国産馬エルコンドルパサーとグラスワンダーに劣ると言わざるを得ない。
しかしながらあの菊花賞。レースを完璧に支配し、「こんな馬にどうやって勝つんだ」とファンに思わせたあのレースの時だけは、セイウンスカイは世代どころか史上最高の逃げ馬であったと断言出来る。
引退後
あの日は夏休み中で、岩見沢に泊まっていた。夜明け前に電話があり、とりあえず、岩見沢から友人の車を借りて門別にある西山牧場へ向かった。
その時はもうセイウンスカイは亡くなっていた。夜中に馬房で暴れて、自ら馬戦棒に頭を打ち死亡。真相は向かいの馬房にいたニシノライデンしかわからない。
わしは、あの華やかな舞台にいた馬が種牡馬も終わり、毎日放牧してエサを食べるだけの余生がつまらなくなり、自ら命を絶ったのかなぁと言う気がしている。
西山牧場から皐月賞と菊花賞を勝つ馬が出た。
この事実が今の西山牧場スタッフを支えています。
永遠なれ芦毛の稲妻よ。―西山茂行・2023/8/16ポスト
より一部抜粋
引退後は種牡馬入りし、アロースタッドで繋養。2007年12月からは故郷の西山牧場に戻り、活動をつづけた。
だが、血統の悪さに加えて、01年春天の惨敗が後を引いた。結果として引退時期を見誤ったことになってしまい、種付け依頼は極端に少なかったようである。そもそもエルコンドルパサー、スペシャルウィーク、グラスワンダー、キングヘイローという、今もなお血統表でその名を見る機会の多い同期たちが競合相手とあっては……。
特に世界的良血馬ながらクラシック期は挫折を味わい、長い苦闘の果てにGIを1勝したキングヘイローは、セイウンスカイとは何から何まで対極的な同期として触れられることが多い。
2011年8月16日、死亡。死因は頭部打撲ではなく、心臓発作と診断されている。彼の仔から芦毛の逃げ馬の後継者は遂に現れず、直系も断絶している。ファンとしては無念極まりない。
芦毛の逃亡者セイウンスカイ。彼の雄姿はあの日の青空の色と共に、ファンの目に強烈に焼きついている。
―西山茂行・セイウンスカイ墓碑
余談
その血を継ぐもの
わしの意図はひとつ。
父のシェリフズスターが100打数1安打の種牡馬。
セイウンスカイもそうなる可能性は大。
わしが愛したこのセイウンスカイの血統を後世に残すには、桜花賞馬ニシノフラワーと交配し、
牝馬が産まれたらその血を繋ぎ、セイウンスカイの名はどこかで生き続けるだろう。
茂行氏はセイウンスカイの血と名を残すため、西山牧場の看板牝馬・ニシノフラワーとの交配に踏み切った。西山牧場を救った名牝と雑草種牡馬の交配は、茂行氏自ら「逆玉の輿」「狂気の交配」とまで評する、馬主のロマン以外の何物でもない「賭け」であった。かくして生まれた牝馬・ニシノミライによって、セイウンスカイの血は現代に伝わっている。
茂行氏の執念は、2019年のクラシック戦線を賑わせた後、雌伏の時を経て2022年と2024年の中山大障害(J・GI)を制したニシノデイジー(ニシノミライの孫、スカイが母母父)によって結実を見ることになる。
その他こぼれ話
- 横山典弘騎手の90年代のお手馬として、メジロライアンやトロットサンダー、サクラローレルと並び称されることが多いセイウンスカイだが、当のノリさんもスカイへの思い入れは強かった。1999~2001年の休養中には競馬記者に「この馬が復活したら、一冊の本にしてもらえないかな……」と持ち掛けていたという。
- 2021年の菊花賞では思いもよらぬ偶然が起こった。セイウンスカイ以来の「逃げて勝った菊花賞馬」となったタイトルホルダー。その鞍上は横山典弘の息子で、スカイが菊花賞を制した1998年に生まれた若手騎手・横山武史だったのだ。レースぶりもスカイ&典弘のそれを完全再現するかのような完璧な逃げっぷりであり、長年の競馬ファンたちの胸を熱くさせたのであった。
血統表
*シェリフズスター 1985 芦毛 |
*ポッセ 1977 栗毛 |
Forli | Aristophanes |
Trevisa | |||
In Hot Pursuit | Bold Ruler | ||
Lady Be Good | |||
Castle Moon 1975 芦毛 |
Kalamoun | *ゼダーン | |
Khairunissa | |||
Fotheringay | Right Royal | ||
La Fresnes | |||
シスターミル 1990 栃栗毛 FNo.23-b |
*ミルジョージ 1975 鹿毛 |
Mill Reef | Never Bend |
Milan Mill | |||
Miss Charisma | Ragusa | ||
*マタテイナ | |||
スイトアンジュレ 1985 鹿毛 |
*モガミ | Lyphard | |
*ノーラック | |||
アンジュレスイート | カーネルシンボリ | ||
*スイートフランス | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Nasrullah 5×5(6.25%)、Grey Sovereign 5×5(6.25%)
関連動画
関連項目
親記事
子記事
- なし
兄弟記事
- アインブライド
- エアジハード
- エリモエクセル
- エルコンドルパサー
- カラジ
- キングヘイロー
- グラスワンダー
- スペシャルウィーク
- ツルマルツヨシ
- ニホンピロジュピタ
- ハカタビッグワン
- ファレノプシス
- マキバスナイパー
- メイショウオウドウ
- ロンドンブリッジ
- ワールドクリーク
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